廃墟から / 原民喜

廃墟からのword cloud

地名一覧

東照宮

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を過ぎて、東練兵場の焼野が見え、小高いところに東照宮の石の階段が、何かぞっとする悪夢の断片のように閃いて見えた

尾道

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行のバスの行列に加わっていた。宇品から汽船で尾道へ出れば、尾道から汽車で本郷に行けるのだが、汽船があるものか

に加わっていた。宇品から汽船で尾道へ出れば、尾道から汽車で本郷に行けるのだが、汽船があるものかどうかも宇品まで

狭い場所は種々雑多の人で雑沓していた。今朝尾道から汽船でやって来たという人もいたし、柳井津で船を下ろさ

江波

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た。八丁堀から土橋まで単線の電車があった。土橋から江波の方へ私は焼跡をたどった。焼け残りの電車が一台放置してある

が、甥は一寸負傷したので、手当を受けに江波まで出掛けた。ところが、それが却っていけなかったのだ。道々、もの凄い火傷

宇品

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、私は宇品行のバスの行列に加わっていた。宇品から汽船で尾道へ出れば、尾道から汽車で本郷に行けるのだが、汽船

本郷に行けるのだが、汽船があるものかどうかも宇品まで行って確かめてみなければ判らない。このバスは二時間おきに出るの

日陰のない広場に人の列は動かなかった。今から宇品まで行って来たのでは、帰りの汽車に間に合わなくなる。そこで私

本郷

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た。宇品から汽船で尾道へ出れば、尾道から汽車で本郷に行けるのだが、汽船があるものかどうかも宇品まで行って確かめて

を耳にしたので、その翌々日、呉線経由で本郷へ行くつもりで再び廿日市の方へ出掛けた。が、汽車の時間を

八丁堀

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が、ふと舟入川口町の姉の家を見舞おうと思いついた。八丁堀から土橋まで単線の電車があった。土橋から江波の方へ私は焼跡を

とした人々の姿が睡れない頭に甦って来る。八丁堀から駅までバスに乗った時、ふとバスの窓に吹込んで来る風に、

瀬戸内海

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になっていたという話や、そうかと思うと瀬戸内海のある島では当日、建物疎開の勤労奉仕に村の男子が全部動員されて

広島

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。亡くなったのは、そこの家の長女の配偶で、広島で遭難し歩いて此処まで戻って来たのだが、床に就いて

大手町の川に臨んだ閑静な栖いで、私もこの春広島へ戻って来ると一度挨拶に行ったことがある。大手町は原子爆弾の中心

私が広島で暮したのは半年足らずで顔見知も少かったが、嫂や妹

ていて下さい」と先生は云った。だが、白昼広島上空を旋回中という事態はもう容易ならぬことではあった。ある

次第に警報は頻繁になっていた。爆音がして広島上空に機影を認めるとラジオは報告していながら、空襲警報も発せられ

を訪れると、庭さきまで患者が溢れていた。尾道から広島へ引上げ、大手町で遭難したという婦人がいた。髪の毛は抜けて

、とにかく見舞に行くことにして出掛けた。そして、翌日広島から帰って来た妹は、電車の中で意外にも西田と出逢った

ているような気持がするのである。灰燼に帰した広島の家のありさまは、私には殆ど想い出すことがなかった。が、夜明

通知が速達で十日目に届いた。彼は汽車で広島へ通勤していたのだが、あの時は微傷だに受けず、その後

再びこちらの妹に応援を求めて来た。その妹が広島へ出掛けた翌日のことであった。ラジオは昼間から颱風を警告して

何か広島にはまだ有害な物質があるらしく、田舎から元気で出掛けて行った人

っていた。――鉄道が不通になったとか、広島の橋梁が殆ど流されたとかいうことをきいたのは、それから

たので、本郷町の方へ行きたいと思った。広島の寺は焼けてしまったが、妻の郷里には、彼女を最後まで

広島までの切符が買えたので、ふと私は広島駅へ行ってみることに

で、廿日市町の妹のところへ身を寄せ、時々、広島へ出掛けて行くのでした。あの当時から数えてもう四カ月も経って

の片隅で、そんな話をきくのが好きでしたが、広島へ度々出掛けて行くのも、いつの間にか習慣のようになりまし

実際、広島では今でも何処かで誰かが絶えず八月六日の出来事

氏に限ったことでないことがわかりました。実際、広島では誰かが絶えず、今でも人を捜し出そうとしているの

千葉

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たが、どうかすると、まだ私はあの棲み慣れた千葉の借家で、彼女と一緒に雨に鎖じこめられて暮しているよう

大手町

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広島へ戻って来ると一度挨拶に行ったことがある。大手町は原子爆弾の中心といってもよかった。台所で救いを求めている夫人

痛ましいのは嫂の身内であった。槇氏の家は大手町の川に臨んだ閑静な栖いで、私もこの春広島へ戻って来る

庭さきまで患者が溢れていた。尾道から広島へ引上げ、大手町で遭難したという婦人がいた。髪の毛は抜けていなかったが

東京

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「とんでもない、俺達は朝鮮から帰って来て、まだ東京まで行くのだぜ、道々十里も二十里も歩かねばならないのだ

京橋

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かまだあの時の逃げのびて行く気持を呼起すのだった。京橋にかかると、何もない焼跡の堤が一目に見渡せ、ものの距離が