上野 / 永井荷風

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地名一覧

吉野山

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淡紅ニシテ彼岸桜ト称スル者最多シ。古又嘗テ吉野山ノ種ヲ移植スト云フ。毎歳立春ノ後五六旬ヲ開花ノ候トナス。」

根岸

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は某楼があり、駒込追分には草津温泉があり、根岸には志保原伊香保の二亭があり、入谷には松源があり、向島秋葉神社

御殿山

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早く花をつけるものだと言われている。飛鳥山隅田堤御殿山等の桜はいずれも上野につぐものである。之を小西湖佳話につい

草津

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風俗を窺う一端となるであろう。其文に曰く、「草津とし云へば臭気も名も高き、其本元の薬湯を、ここにうつして

島原

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僻隅ニ澆浩シ維新以降漸次ソノ繁昌ヲ得タリ。乍チニシテ島原ノ妓楼廃止セラレテ那ノ輩這ノ地ニ転ジ、新古互ニ其ノ栄誉

谷中

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桜花は上野の山内のみならず其の隣接する谷中の諸寺院をはじめ、根津権現の社地にも古来都人の眺賞した名木が

有馬

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あり、入谷には松源があり、向島秋葉神社境内には有馬温泉があり、水神には八百松があり、木母寺の畔には植半

外神田

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た。その頃わたくしは押川春浪井上唖々の二亡友と、外神田の妓を拉して一夜紫明館に飲んだことを覚えている。四五輛の

木母寺

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には有馬温泉があり、水神には八百松があり、木母寺の畔には植半があった。明治七年に刊行せられた東京新

根津神社

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。地ハ神祠ニ因ツテ名ヲ得タリ。祠ハ即根津神社ナリ。祠宇壮麗。祠辺一区ノ地、之ヲ曙ノ里ト称シ

道灌山

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明治三十年頃までは日暮里から道灌山あたりの阻台は公園にあらざるも猶公園に均しき閑静の地であった

根津

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、大行寺、長久院、西光寺等には枝垂桜があり、根津の社内、谷中天王寺と瑞輪寺には名高い八重咲の桜があった

間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツテ名ヲ得タリ。祠ハ即根津神社

松子雁の饒歌余譚に曰く「根津ノ新花街ハ方今第四区六小区中ノ地ニ属ス。三面ハ渾

根津の遊里は斯くの如く一時繁栄を極めたが、明治二十一年六月三十日

根津の娼楼八幡屋跡の温泉旅館は明治三十年頃には紫明館と称して

書生気質中の叙事と多く異る所がなかったであろう。根津の社前より不忍池の北端に出る陋巷は即宮永町である。電車線路のいまだ

な思いがする。然し当時に在っては、不忍池の根津から本郷に面するあたりは殊にさびしく、通行の人も途絶えがちであった。ここ

ここに雁の叙景文を摘録すれば、「其頃は根津に通ずる小溝から、今三人の立つてゐる汀まで、一面に葦が茂

寛永寺

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について見聞する所を述べた。明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし、或

となった処には維新前には下寺と呼ばれた寛永寺所属の末院が堂舎を連ねていた。此処に停車場を建てて汽車の

本郷

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について按ずるに享保初年の頃で、いくばくもなくして本郷に移り又芝に移った。南郭文集初編巻の四に即事二首篠池作

根津権現

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の山内のみならず其の隣接する谷中の諸寺院をはじめ、根津権現の社地にも古来都人の眺賞した名木が多くある。斎藤月岑の東都歳事

見るが如きものは既に大抵烏有となったようである。根津権現の花も今はどうなったであろうか。

根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在ったこと

飛鳥山

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の中最早く花をつけるものだと言われている。飛鳥山隅田堤御殿山等の桜はいずれも上野につぐものである。之を小西湖

上野の公園

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震災の後上野の公園も日に日に旧観を改めつつある。まず山王台東側の崖に繁っ

して言わしむれば、東京市現時の形勢より考えて、上野の公園地は既に狭隘に過ぐる憾がある。現時園内に在る建築物は帝室博物館

上野公園

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風月、優ニ四時ノ勝ヲ鍾ム。是ヲ東京上野公園トナス。其ノ勝景ハ既ニ多ク得ル事難シ。況ヤ此

所を述べた。明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし、或時はここ

わたくしは甚散漫ながら以上の如く明治年間の上野公園について見聞する所を述べた。明治時代の都人は寛永寺の焼跡

に停車場を建てて汽車の発着する処となしたのは上野公園の風趣を傷ける最大の原因であった。上野の停車場及倉庫の如きは

上野公園地丘陵の東麓に鉄道の停車場が設けられたのは明治十六年七月

下谷

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の邸前を過ぎることを語っている。桜痴居士の邸は下谷茅町三丁目十六番地に在ったのだ。

に寓していたのである。是の事は既に拙著下谷叢話の中に記述してある。

深川

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ヲ汲来ツテ之ヲ湯中ニ和スト云フ。中略方今深川ノ仲街ニ開ク者ヲ以テ巨擘トナス。中略俳優沢村氏新戯場

稍幽静なる地区には必温泉場なるものがあった。則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草津温泉があり、根岸に

明治二十一年六月三十日を限りとして取払われ、深川洲崎の埋立地に移転を命ぜられた。娼家の跡は商舗または

。服部南郭、屋代輪池、清水泊※、梁川星巌、深川永機等皆一タビ、跡ヲ湖上ニ寄ス。爾来文人韻士ノ之ニ

上野

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上野

震災の後上野の公園も日に日に旧観を改めつつある。まず山王台東側の崖

て其品致を下さなかった。さればこの時代に在って上野の風景を記述した詩文雑著のたぐいにして数寄屋町の妓院に説き及ば

始て内国勧業博覧会がこの公園に開催せられた。当時上野なる新公園の状況を記述するもの箕作秋坪の戯著小西湖佳話にまさる

上野の始て公園地となされたのは看雨隠士なる人の著した

言われている。飛鳥山隅田堤御殿山等の桜はいずれも上野につぐものである。之を小西湖佳話について見るに、「東台

上野の桜は都下の桜花の中最早く花をつけるものだと言われて

桜花は上野の山内のみならず其の隣接する谷中の諸寺院をはじめ、根津権現の社地

本郷向ヶ岡の丘阜を背にし東に面して不忍池と上野の全景とを見渡す勝概の地である。然しわたくしの知人で曾てこの地

して言わしむれば、東京市現時の形勢より考えて、上野の公園地は既に狭隘に過ぐる憾がある。現時園内に在る建築物は

たのは上野公園の風趣を傷ける最大の原因であった。上野の停車場及倉庫の如きは其の創設の当初に於て水利の便ある秋葉

東京

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地となされたのは看雨隠士なる人の著した東京地理沿革誌に従えば明治六年某月である。明治十年に至って

東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜられ、明治十九年十二月三日享年六十三で歿した。

教授し、後に東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜられ、明治十九年十二月三日享年

。維新の後私塾を開いて生徒を教授し、後に東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜ

雪花風月、優ニ四時ノ勝ヲ鍾ム。是ヲ東京上野公園トナス。其ノ勝景ハ既ニ多ク得ル事難シ。況ヤ

谷中天王寺は明治七年以後東京市の墓地となった事は説くに及ぶまい。墓地本道の左右に繁茂

ない。わたくしは此のたびの草稿に於ては、明治年間の東京を説くに際して、寡聞の及ぶかぎり成るべく当時の人の文を引用

は植半があった。明治七年に刊行せられた東京新繁昌記中に其の著者服部撫松は都下の温泉場を叙して、「輓近

当時居士は東京日日新聞の紙上に其の所謂「吾曹」の政論を掲げて一代の

を見るばかりとなった。わたくしをして言わしむれば、東京市現時の形勢より考えて、上野の公園地は既に狭隘に過ぐる憾

後治療の法を講ぜんとするが如きものであろう。東京の都市は王政復古の後早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火

日暮里

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斎藤月岑の東都歳事記に挙ぐるものを見れば、谷中日暮里の養福寺、経王寺、大行寺、長久院、西光寺等には枝垂桜が

一昨年の春わたくしは森春濤の墓を掃いに日暮里の経王寺に赴いた時、その門内に一樹の老桜の、幹は半

明治三十年頃までは日暮里から道灌山あたりの阻台は公園にあらざるも猶公園に均しき閑静の

駒込

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寺院に宿泊していた事を記述し、それより根津駒込あたりの街の状況を説くこと頗精細である。是亦明治風俗史の

ものがあった。則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草津温泉があり、根岸には志保原伊香保の二亭があり、

十八九年頃の大学生が矢場女を携えて、本郷駒込の草津温泉に浴せんとする時の光景が記述せられて居る。是

恵比寿

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又吉野屋ニ革ム此ノ他局店ハ曰ク三福長屋、曰ク恵比寿長屋等各三四戸アリ。徒コレニ過ギズ。然ルニ皇制ノ余沢僻隅

向島

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志保原伊香保の二亭があり、入谷には松源があり、向島秋葉神社境内には有馬温泉があり、水神には八百松があり、木母

神田

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」と言った。然し幾くもなくして湖山は其居を神田五軒町に移した。