すみだ川 / 永井荷風
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雲の峯は影もなく消えている。長吉はその時長命寺辺の堤の上の木立から、他分旧暦七月の満月であろう、赤味
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岸に二度も出た。その結果長吉は遥か向うに明治座の屋根を見てやがてやや広い往来へ出た時、その遠い道のはずれに
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三社祭の折お糸は或年踊屋台へ出て道成寺を踊った。町内一同で毎年汐干狩に行く船の上でもお糸は
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午頃まで長吉は東照宮の裏手の森の中で、捨石の上に横わりながら、こんな事を考えつづけ
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辞退してその家を出た。春の夕陽は赤々と吾妻橋の向うに傾いて、花見帰りの混雑を一層引立てて見せる。その中にお
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のである。学校の事も何も彼も忘れて、駒形から蔵前、蔵前から浅草橋……それから葭町の方へとどんどん歩いた。しかし
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びっくりしてしまった。甥の長吉が釣台で、今しも本所の避病院に送られようという騒の最中である。母親のお豊は長吉が
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は今夏休みですがね、遊ばしといちゃいけないと思って本郷まで夜学にやります。」
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して品物を並べたてている最中である。長吉は夢中で雷門の方へどんどん歩いた。若い芸者の行衛を見究めようというのではない。
と思い出した。お豊は乗って来た車から急に雷門で下りた。仲店の雑沓をも今では少しも恐れずに観音堂へ
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路は到る処旧観を失っていた。以前木造であった永代と両国との二橋は鉄のつり橋にかえられたのみならず橋の位置も変りまたその両岸
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て考えたが、お豊の方は着々話しを進めて染井の墓地の地代が一坪いくら、寺への心付けがどうのこうのと、それ
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堀割づたいに曳舟通から直ぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先の分らないほど
の水が麗な青空の色をそのままに映している曳舟通り。昔は金瓶楼の小太夫といわれた蘿月の恋女房は、綿衣
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はね。」とお豊は同じ言葉を繰返して、「駒込のお寺が市区改正で取払いになるんだとさ。それでね
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て見たが、二日目三日目にはつくづく遠い神田まで歩いて行く気力がなくなった。今までは毎年長い夏休みの終る頃といえ
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当惑した。けれども大体の方角はよく分っている。東京に生れたものだけに道をきくのが厭である。恋人の住む町
て散歩に出掛けるのを常とした。しかしわが生れたる東京の市街は既に詩をよろこぶ遊民の散歩場ではなくて行く処とし
た。わたくしは洋行以前二十四、五歳の頃に見歩いた東京の町々とその時代の生活とを言知れずなつかしく思返して、この心持
その頃に東京を去り六年ぶりに帰ってきた。東京市中の街路は到る処旧観を失っていた。以前木造であった
まま電車に変ったころである。わたくしは丁度その頃に東京を去り六年ぶりに帰ってきた。東京市中の街路は到る処
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事も何も彼も忘れて、駒形から蔵前、蔵前から浅草橋……それから葭町の方へとどんどん歩いた。しかし電車の通っている
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学校の事も何も彼も忘れて、駒形から蔵前、蔵前から浅草橋……それから葭町の方へとどんどん歩いた。しかし電車の通っ
ある。学校の事も何も彼も忘れて、駒形から蔵前、蔵前から浅草橋……それから葭町の方へとどんどん歩いた。しかし電車
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長吉は浜町の横町をば次第に道の行くままに大川端の方へと歩いて行った
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と新大橋との間を一廻した後、長吉はいよいよ浅草の方へ帰ろうと決心するにつけ、「もしや」という一念にひかさ
歩いて行く中いつか浅草公園の裏手へ出た。細い通りの片側には深い溝があって、
の上を眺めた。引幕には市川○○丈へ、浅草公園芸妓連中として幾人となく書連ねた芸者の名が読まれ
の光景は明治三十五、六年の時代である。新橋上野浅草の間を往復していた鉄道馬車がそのまま電車に変ったころである
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たが、日曜日一日を過すとその翌朝は電車に乗って上野まで来ながらふいと下りてしまった。教師に差出すべき代数の宿題を一
市街の光景は明治三十五、六年の時代である。新橋上野浅草の間を往復していた鉄道馬車がそのまま電車に変ったころで
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憚りながら役者だ。伊井一座の新俳優だ。明後日からまた新富町よ。出揃ったら見に来給え。いいかい。楽屋口へ廻って、
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むかしのままに木づくりの姿をとどめたものは新大橋と千住の大橋ばかりであった。わたくしは洋行以前二十四、五歳の頃に見歩い
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及び市街の光景は明治三十五、六年の時代である。新橋上野浅草の間を往復していた鉄道馬車がそのまま電車に変ったころ
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一杯。」と腰を下した。正面に待乳山を見渡す隅田川には夕風を孕んだ帆かけ船が頻りに動いて行く。水の面の
帰りらしい小舟がところどころ木の葉のように浮いているばかり、見渡す隅田川は再びひろびろとしたばかりか静に淋しくなった。遥か川上の空の
を早めたが、しかし山谷堀から今戸橋の向に開ける隅田川の景色を見ると、どうしても暫く立止らずにはいられなくなっ
、今突然、橋の上に出て見た四月の隅田川は、一年に二、三度と数えるほどしか外出する事のない母親
『賢き一青年の休暇』に現したる人物と斉しく、隅田川の風景によって偶然にもわが記憶の中に蘇り来った遠い過去
美を追究せんとする作者の止みがたき主観的傾向が、隅田川なる風景によってその抒情詩的本能を外発さすべき象徴を捜めた理想的
小説『すみだ川』である。さればこの小説一篇は隅田川という荒廃の風景が作者の視覚を動したる象形的幻想を主と
はやはりいにしえの唄に残った隅田川の両岸であった。隅田川はその当時目のあたり眺める破損の実景と共に、子供の折に見覚えた朧ろ
たる歩みを休めさせた処はやはりいにしえの唄に残った隅田川の両岸であった。隅田川はその当時目のあたり眺める破損の実景と共に、
街路も著しく変っていた。明治四十一、二年のころ隅田川に架せられた橋梁の中でむかしのままに木づくりの姿をとどめたもの
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両国橋と新大橋との間を一廻した後、長吉はいよいよ浅草の方へ帰ろうと決心
の中でむかしのままに木づくりの姿をとどめたものは新大橋と千住の大橋ばかりであった。わたくしは洋行以前二十四、五歳の頃
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両国橋と新大橋との間を一廻した後、長吉はいよいよ浅草の方へ