十六、七のころ / 永井荷風
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になった。(東京で治療を受けていた医者は神田神保町に暢春医院の札を出していた馬島永徳という学士であった。
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の窓からも寝ながらにして、曇った日にも伊豆の山影を望み、晴れた日には大嶋の烟をも見ることができた
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出て、高等学校の入学試験を受ける準備にと、わたくしたちは神田錦町の英語学校へ通った時、始めてヂッケンスの小説をよんだ。
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『ウェークフィルドの牧師』。それからサー・ロジャス・デカバリイ。巴里屋根裏の学者の英訳本などである。中村敬宇先生が漢文に訳せられた
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二月になって、もとのように神田の或中学校へ通ったが、一週間たたぬ中またわるくなって、今度
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の町はずれにあった足柄病院へ行く事になった。(東京で治療を受けていた医者は神田神保町に暢春医院の札を出して
病院の一室に夢を見るのもまた始めてである。東京の家に帰ったのは梅雨も過ぎて庭の樹に蝉の声を
間もなく、その日もまだ暮れかけぬ中、急いで東京に帰られた。わたくしは既に十七歳になっていたが、その頃
東京の家からは英語の教科書に使われていたラムの『沙翁物語』
話は前へもどって、わたくしは七月の初東京の家に帰ったが、間もなく学校は例年の通り暑中休暇になるの
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カ月ほど外へ出たことがなかったので、人力車から新橋の停車場に降り立った時、人から病人だと思われはせぬかと
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病気にならぬ頃、わたくしは同級の友達と連立って、神保町の角にあった中西屋という書店に行き、それらの雑誌を買っ
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聴いたのである。裳川先生はその頃文部省の官吏で市ヶ谷見附に近い四番町の裏通りに住んでおられた。玄関から縁側まで古本が
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後作ったいろいろの原稿と共に、わたくしは悉くこれを永代橋の上から水に投じたので、今記憶に残っているものは一