来訪者 / 永井荷風
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ですか。それでは向ひ合せで御在ます。わたくし佐賀町が生れましたところで、それから冬木町に居りました。」
「全くお淋しいでせう。然し佐賀町の方は皆様御丈夫なんでせう。」
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するとそれから又半年あまり過ぎた頃である。箱根でむかしから代々旅館を業としてゐる人の息子で、嘗て本郷の大学
に面会し其物を一見する必要があると思ひ、早速箱根の岩田に返書を送り其来訪を求めた。
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を泊めることは出来ないと言ふんで、仕方がないから入谷のアパートに居る妻の兄の処へ行つて貰ふことにしたんです
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外へ出ても行く先のない時には白井は上野か早稲田の図書館へ行き本を読んだり昼寝をしたりして日を送ることにし
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に流行した漢文の雑著に精通してゐる。白井は箱崎町の商家に成長し早稲田大学に学び、多く現代の英文小説を読んでゐる。
に通つてゐる事、細君の生家が二三年前まで箱崎町で何か商ひをしてゐた事など、わたくしは其後談話の際
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ません。あすこに大嶋へ行く船が泊つてゐます。三原山へ行つた彼等は勇気があつた。彼等は幸福だ。三十越すと
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妻花子が良人の不しだらに呆れて娘三人を連れて千葉市××町に隠居してゐる実母の許へ引越し其地の郵便局へ通勤し
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時間を計つて、両国の停車場に常子を迎へ、円タクで越前堀の貸間に行つた。横町はお岩稲荷へお百度を踏みに来る藝者の行
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かと、真間の鴻麓堂へ手紙で問合すと、安房郡××村へ引越したと云ふ返事がきた。別に是非とも面談せねばなら
追はれた為らしいが、さてその引越先をどうして安房郡××村に択んだものか、その理由はわからない。
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から代々旅館を業としてゐる人の息子で、嘗て本郷の大学の国文科に学んでゐた時分、折々わたくしを訪問しに来たもの
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、熟睡することができなくなつてゐる。或日夢に玉川上水の流れてゐる郊外を歩いてゐる。(夢裡に見る風景は作者が明治三十
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く泊るんですから時間を打合せて、その次の日あなたが両国の駅へつく時分、わたしは真間から出かけて落合ふことにしませう。」
はどちらかの親達につれられて一緒に行つた。毎年七月両国に川開の花火があがる晩方、花子の家では親類の人達が子供をつれて花火を
躬ら運命の道となした其砂道を歩きながら、昨日の午後両国駅の構内で常子と出会ひ、隅田丸で大川を溯り吾妻橋から浅草公園をあるき
よ/\昨日の事がばれたのだなと思つた。それにしても両国から行かへりの電車は勿論、東京へ行つてから浅草公園を歩いてゐる中も油
には久須と湯呑とが盆に載せられ、菓子皿には帰り道に両国で買つた干菓子までが入れてあつた。
の昼前きのふ電報で打合せをして置いた時間を計つて、両国の停車場に常子を迎へ、円タクで越前堀の貸間に行つた。横町はお岩稲荷へ
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名を木場貞、一人は白井巍と云ふ。木場は多年下谷三味線堀辺で傭書と印刻とを業としてゐた人の家に
や有喜世新聞の綴込を持つて来てくれたのは下谷生れの木場で、ハーデーのテス、モーヂヱーのトリルビーなどを捜して来てくれ
のものに似せてあることであつた。わたくしは木場が下谷三味線堀にゐた印刻師の子である事を思合せて更に又慄然
をつくつて見た。翌日木場が以前から知つてゐる下谷西町の古本屋へ行つて相談すると、案外値をよく引取つてくれ
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を語つた。木場は父が死んでから母と共に静岡の実家に行き幾年かを送つた後、一人東京に帰つて来て
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白井は長女が十八になり、しかも数日前千葉の女学校を卒業をしてしまつたのであるが、明かに答へる
列車が千葉の駅へつく。二人はとも/″\省線電車へ乗りかへようと
も震災後左前になつて、当主の兄が家族をつれて千葉へ引込んだやうな訳で、夫婦とも今は見得ばつてゐるどころでは
「千葉に実家の母が居ますからね、そこへ問合せれば行先はわかります
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ですか。それでは向ひ合せで御在ます。わたくし佐賀町が生れましたところで、それから冬木町に居りました。」
「全くお淋しいでせう。然し佐賀町の方は皆様御丈夫なんでせう。」
蛇屋ですつて。」と細君は未亡人の親元はもと佐賀町で相応の米問屋であつたさうだが、父は相場で失敗して
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恬淡な態度を以て、震災前に病死したわたくしの畏友深川夜烏子に酷似してゐると思はねばならなかつた。
して貸家にしたのである。死んだ主人はもと深川冬木町の材木問屋で、胸の病気があるため、その妻と共に転地
「藤田さんは深川で育つたといふ話だが、お里はやつぱり材木屋かね。旦那
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はその年齢いづれも三十四五歳、そして亦いづれも東京繁華な下町に人となつた江戸ツ子である。一人はその名を木場
に静岡の実家に行き幾年かを送つた後、一人東京に帰つて来て、一しきり××先生の家に書生となつてゐた
語調は繁華な下町育の人に特有なもので、同じ東京生れでも山の手の者とは、全く調子を異にしてゐる。呉服屋
白井はその頃千葉県稲毛に家を借り東京へ出て来て帰りの汽車に乗りおくれる時には、木場の鴻麓
今日これを読返して見ると、編中の叙景は東京近郊のひらけなかつた頃の追憶に基くもので、それが執筆の目的で
間もなく未亡人は白井の細君と心やすくなつた。二人とも東京の下町に成長したので、田舎に移住してから互に話相手
或日白井は未亡人と東京へ行く汽車に乗り合せた。白井はまだ乗らない中、早くも未亡人が乗車
に、女に対する礼儀のやうに見せて席を立ち「東京へお出ですか。」
幸、さり気なく歩み寄つて、「わたくしは真間まで参ります。東京は丁度お花見時分で御在ますね。」
「どこも唯込み合ふばかりで、東京は全くつまらなくなりました。」
「皆さん。東京にいらつしやるんですか。」
「東京はどちらです。わたくし、以前は箱崎に居りました。」
――家賃と食料とはあなたがお稼ぎなさいと言ふ。東京から稲毛、稲毛から房州へとだん/\辺鄙へ移転した訳は、
。隣家のことなので、未亡人がこの間のやうに東京へでも出かけるやうな時があつたら、逃さず後を追ひかけようと思つ
「あなた、明日一寸東京まで行つて来ます。何か用があつたら、ついでにたして来ませ
花子はめつたに東京へ行つた事がない。両親の命日と盆とに浅草北三筋町
「いえ、なに。東京なら大よろこびです。これから、どうぞ御遠慮なく。」
白井は出放題にこんな事を言つて、その後はちつとも東京へ行かず、毎日午後から隣へ行き、夕飯に帰つて来て、夜
。はゝゝは。兎に角一度外で逢ひませう。やつぱり東京がいゝでせう。目立たなくつて。」
「日曜日に東京の銀行へ……。」娘の辰子はぢつと母の顔を見詰めてゐ
にパパの事を考へてゐるにちがひない。パパは今頃東京の何処でランデブーをしてゐるのだらう。いろ/\さま/″\
のも知らず無我夢中で乳繰り合ひ、言合はして東京へ遊びに出かけてゐる。わたし達一家族を養つて行く真面目な考のない
。それにしても両国から行かへりの電車は勿論、東京へ行つてから浅草公園を歩いてゐる中も油断なく注意してゐた
「まア、そんなに険悪なの。ねえ、あなた、東京へ引越しませうよ。昨夜相談したやうに。アパートでも貸間でも
でも折角さがしたんだから。それにわたし田舎よりやつぱり東京にゐたいのよ。あした、家をかたづけに一ツしよに帰つて下さい
し、つい此間まで大嶋行の港があつたし、東京の生活を能く知つてゐる人でなくつちや、鳥渡出来ない仕事だな
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一年あまりの月日が過ぎた。木場は北千住に住んでゐたのであるが、真間の手児奈堂の境内に転居し
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思召があつたんださうです。姉さんが売子、妹は上野のPPといふ喫茶店の女給で、姉さんよりはずつとモダーンでした。わたし
する。外へ出ても行く先のない時には白井は上野か早稲田の図書館へ行き本を読んだり昼寝をしたりして日を送る
「いつもお揃ひね。」とてる子は五六年前、上野の喫茶店で二人を迎へた時のやうな笑顔と調子で白井へ挨拶を
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の無沙汰を謝し近頃不思議な写本を手に入れた。西銀座の巽堂といふ古本屋で買つたのであるが、わたくしの自筆本
「西銀座の巽堂には一葉女史の手紙と草稿がありました。一まとめに
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に見る風景は作者が明治三十年代頃に見馴れた千駄ヶ谷附近田園の描写である。)歩いてゐる中、風景は忽然一変して
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白井が稲毛の寓居を引払つた理由は、家賃を一年あまり滞らせ、遂に家主
つた身の上ばなしはそれなり中絶して、込合ふ電車は稲毛から船橋八幡を過ると、早くも国府台の森が見えるやうになつた。
食料とはあなたがお稼ぎなさいと言ふ。東京から稲毛、稲毛から房州へとだん/\辺鄙へ移転した訳は、要するに幾分で
家賃と食料とはあなたがお稼ぎなさいと言ふ。東京から稲毛、稲毛から房州へとだん/\辺鄙へ移転した訳は、要するに
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を思ひついたのは三四年前、丁度今日のやうに浅草公園をぶらついた帰途、三好町の河岸通のとある天麩羅屋の二階へ上
東京へ行つた事がない。両親の命日と盆とに浅草北三筋町の寺へ墓参に行くくらゐなので、白井は不審な
の構内で常子と出会ひ、隅田丸で大川を溯り吾妻橋から浅草公園をあるき、日の暮れるのを待つて、尾久町の待合へ行つて
も両国から行かへりの電車は勿論、東京へ行つてから浅草公園を歩いてゐる中も油断なく注意してゐたのに、不思議な
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「きかないから知りません。銀行は日本橋の第百ですつて。」
折好く数日の後、わたくしは偶然木場が日本橋の白木屋前で電車を待つてゐるのに出会つた。木場は狼狽へる
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、空も水も唯真暗な中に、近くは石川島から月島へかけ、それから更に遠く越中嶋の方へと燈火の点々として
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て、二通の封書を見せてくれた。二通とも新橋の藝妓に送つたものであるが、二三度読返しながらいくら考へて見
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。(作者が二十歳の頃よく釣舟を漕いで往復した小名木川、中川、隠亡堀あたりの描写である。)
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「京橋区湊町○丁目○○番地で加藤といふ荒物屋です。」
とほりである。興信所の報告書は白井と藤田未亡人とが京橋区湊町二丁目○○番地に二階借りをしてゐる事、それから白井
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続いてゐる広い大川口の夜景が横はつてゐる。永代橋の上にはまだ電車が通つてゐるので夜はさほど更渡つた
中、いつの間にか夜が明けたと見えて、永代橋を渡るらしい電車の音の轟然として河水に響くのがきこえた。
、町の散歩には却て適してゐた。わたくしは永代橋のたもとから河岸通を歩み、溝川にかけられた一の橋から栄橋を
顔が映つてゐる。痩せちまつたと言ふんです。永代橋より長いあの橋の真ン中から水の中に顔の映る筈がないと思ふ
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「さうです。城東電車で境川からバスに乗ると二十分位でせう。さびれた処ですが、往来に