断腸亭日乗 06 断腸亭日記巻之五大正十年歳次辛酉 / 永井荷風
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携へて風月堂に徃き晩餐をなし、堀割づたひに明石町の海岸を歩む。佃島の夜景銅版画の趣あり。石垣の上にハンケチを
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会委員筱崎氏といへる人来りて、七月三日丸の内なる衛生会楼上にて、徃年統計恊会に関係ありし人々の追善紀念会を執行
六月二十九日。午後雨なきを幸に丸の内に徃き用件をすまし、有楽座に久米秀治を訪ふ。久保田萬太郎来合せ、
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三人を招飲す。風寒からず。帰途人形町を歩みて八丁堀に至る。歳暮の市街到る処雑沓甚し。彩旗花の如く紅燈星の
慶応義塾教授小泉沢木の二氏、小山内氏と余とを八丁堀の偕楽園に招飲す。余腹痛あり。酔を成す能はず。
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三月十六日。晩餐後明治座に赴く。松莚君令閨の鶉にて自作の狂言を見る。
四月五日。竈河岸八新亭にて正午明治座当祝の酒宴あり。帰途毎夕新聞社に唖※子を訪ひ、新橋の弥生
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十月二日。午後富士見町与謝野氏の家にて雑誌※星編輯相談会あり。森先生も出席せらる。
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五月廿五日。曇りて風冷なり。小日向より赤城早稲田のあたりを歩む。山の手の青葉を見れば、さすがに東京も猶去りがたき
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。午後百合子来る。十六夜の月を観むとて相携へて愛宕山に登る。清光水の如く品海都市斎しく蒼然たり。芝山内の林間を歩み新橋
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七月廿三日。天候いよ/\穏ならず。両国川開中止となる。
の夜肆を見、また浅草仲店を歩む。百合子興に乗じ更に両国より人形町の夜市を見歩くべしと云ふ。余既に昔日の意気なく、寒夜深更の
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五月九日。日比谷公園の躑躅花を看る。深夜雨ふる。
八月八日。この日立秋なり。夕餉の後日比谷公園を歩む。繊月樹頭に懸かる。
楽屋を出で風月堂に来りて晩餐をなすなり。百合子と日比谷公園を歩み家に伴ひ帰る。百合子本名は智子と云ふ。洋画の制作に
十二月二十日。晩※後風月堂より歩みて日比谷公園を過ぐ。夏夜の雑沓に反して、満園寂々人影なし。葉落ちて枯木
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五月七日。大雨車軸の如し。浅草下谷辺水害甚しと云。
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き、独食事をなし有楽座に久米氏を訪ふ。松山画伯里見醇とプランタン酒亭に至る。花月画伯猿之助を伴ひて来るに
有楽座に有嶋武郎の作死と其前後を看る。帰途松山画伯の酒亭に憩ひ、主人と款晤夜分に至る。
百合子と各室を異にして一宿することゝなる。久米松山の二氏は家近きを以て歩みて帰る。余一睡して後厠
、其自働車に乗りて一まづ花月に徃く。久米松山の二氏も共に徃く。画伯越前の蟹を料理せしめ酒を
十一月廿八日。清元会の帰途平岡松山の二画伯と赤阪の長谷川に徃く。岡田画伯水上瀧氏既に在り。
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七日。曝書の旁為永春水が港の花を読む。深川のむかしを背景にして、一篇を成したき思ひ、今に失せず
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正月四日。晴れて暖なり。銀座を歩む。
二月廿一日。唖※子と銀座清新軒に飲む。春寒料峭。
二月二十八日。風暖なり。銀座に徃き鳩居堂にて細筆五十本ほど購ふ。堀口大学レニヱーの著ヱスキツス
。晴天。母上鷲津貞同道にて来訪せらる。倶に銀座の風月堂にて食事をなし、余は別れて木曜会に徃く。春月
四月十六日。銀座通の商舗早くも麦※帽を陳列す。路傍に西洋百合天竺葵の
四月三十日。陰る。銀座街上青楓画伯に逢ふ。
八日。晴れたれど雨意猶去らず。溽暑を催す。銀座通の夜景盛夏の如し。平岡画伯に逢ふ。
岡鬼太郎君来訪。其著脚本集の序を需めらる。銀座にて麦藁帽を買ふ。
七月十二日。玉山子と銀座の草市を歩む。
風月堂にて偶然延寿太夫夫婦に逢ふ。庄司理髪店に立寄り、銀座通に出るに道普請にて泥濘踵を没す。商舗の燈火は黯澹
十月七日。晩餐の後唖々子と銀座を歩み、新冨座の立見をなす。帰宅の後明星の草稾をつくり
一戸を搆へ好勝手なる生活をなし居れるなり。一時銀座出雲町のナシヨナルといふカツフヱーの女給となりゐたる事もあり。
十二月七日。快晴。銀座にて靴を買ふ。弐拾六円なり。
十二月十八日。暖気前日の如し。銀座通煉瓦地五十年祭なりとて、商舗紅燈を点じ、男女絡繹たり
廿三日。曇りて寒し。晩間九穂子と歳晩の銀座を歩む。九穂子二十年来の痳疾、膏盲に入り小水通ぜず、
日。午後旧稾を添刪す。夜百合子と相携へて銀座通歳晩の夜肆を見、また浅草仲店を歩む。百合子興に乗じ更に
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正月廿五日。正午松莚子に招かれて日本橋末広に飲む。
十一日。この日より入梅。朝より雨ふる。大石国手日本橋出張所に徃き再び診察を請ふ。帰途丸善にて洋書二三冊を買ふ。
六月十七日。日本橋に大石国手を訪ふ。途次榛原帋舗の前を通過ぎし故、雁皮紙罫
九月九日。日本橋若松家にて玄文社合評会あり。此夕寒冷火鉢ほしきほどなり。
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の酒宴あり。帰途毎夕新聞社に唖※子を訪ひ、新橋の弥生に一酌す。
如く品海都市斎しく蒼然たり。芝山内の林間を歩み新橋停車塲に至りて手を分ちぬ。
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五月七日。大雨車軸の如し。浅草下谷辺水害甚しと云。
七月三十日。浅草散歩の途上古書肆浅倉屋を訪ひしが獲るところなし。
十月廿三日。午後百合子来る。倶に浅草公園に徃き千束町の私娼窟を一巡して帰る。百合子余が家に宿す
酒肴を設けて来客を待つなり。立寄りて一酌し、浅草公園を歩み、自働車にて帰宅す。この夜明星晩※会ありしが
百合子と相携へて銀座通歳晩の夜肆を見、また浅草仲店を歩む。百合子興に乗じ更に両国より人形町の夜市を見歩くべしと云ふ
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重て贅せず。毎月二十五日は風月堂休業なれば神田今川小路の支店に立寄りしに、こゝも亦戸を閉しゐたり。九
六月三十日。夕餉の後神田仏蘭西書院に徃く。帰途風雨来らむとす。此夜燈前筆を
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早稲田のあたりを歩む。山の手の青葉を見れば、さすがに東京も猶去りがたき心地す。此等の感想は既に小著日和下駄の中に記述
商舗の燈火は黯澹として行人稀なり。余東京の市街近日の状况を見るや、時々何のいはれもなく亡国の悲愁
夜地震のため水道浄溜池破壊せし故なりと云ふ。東京市の水道工事は設置の当初より不正の事あり。即浜野某等の
の響は蕭蕭として雨の濺ぐに似たり。東京市中の光景にして雅致愛すべきところは人影少き処なり。人
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六月二日。大久保辺にて運転手李某とよべる韓人乱酒なし、刀を振つて道路を行くもの十七
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を陳ぶ。白金雷神山の麓を過ぎ、権之助阪を下り目黒不動祠の茶亭に憩ひ、浅酌黄昏に至る。
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九月廿四日。日比谷の横町に俄国人の営めるカツフヱーウクライナといふ酒亭あり。平岡画伯と劇
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、男女絡繹たり。百合子と風月堂にて晩※をなし、上野清水堂の観世音に賽す。百合子毎月十八日には必参詣する由。何
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、及余の三人を招飲す。風寒からず。帰途人形町を歩みて八丁堀に至る。歳暮の市街到る処雑沓甚し。彩旗花の
見、また浅草仲店を歩む。百合子興に乗じ更に両国より人形町の夜市を見歩くべしと云ふ。余既に昔日の意気なく、寒夜深更の風
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の酒亭に飲む。窗を開きて欄干に凭るに、築地川濁水の臭気甚し。曾て柳嶋橋本に飲み、天神川の臭気に鼻を掩
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降続きし雨深更に至り益※甚し。明治四十三年秋隅田川暴漲の事を想出しぬ。翁家の富松も既になき人の数
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展覧会を催さむとて、三越呉服店事務員及余等両三人を京橋角東洋軒に招飲す。