荷風戦後日歴 第一 / 永井荷風
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柚湯をたく。晩食を饗せらる。外出中扶桑書房來訪。北海道宗谷の人阿部清八氏鹽鮭其他の名産を贈らる。
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處、一宇の廢祠あり。草間の石柱を見て初て白幡天神社なるを知る。
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を見る。農家の垣に木槿花ひらき唐もろこし既に熟す。札幌より其地の物價を手紙にて書越せし人あり。左の如し。
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數日前のことなるべし。大阪にて警吏朝鮮人の闇賣をなすもの多數を捕へしに、同國人之
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凌霜子來話。共に海神町の別墅に至る。海神町は東葛飾郡に在り。船橋市の西端なり。むかしはワダツミと言ひしが如し。凌霜子所
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再びこの禍あり。出でゝ小川氏を訪ふ。過日九州旅行中、錦帶橋の知人より其地の美酒を贈られ持ち歸りしとて之
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湯をたく。晩食を饗せらる。外出中扶桑書房來訪。北海道宗谷の人阿部清八氏鹽鮭其他の名産を贈らる。
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田園の眺望甚佳し。東京より某氏の書簡中、「過日宮城へ押掛候連中の指導者の家には隱匿米隨分澤山有之候趣、池袋
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園町なる巖谷小波先生が木曜會の席上に於てなり。京都の人にて其家は成田屋といひて富める酒問屋なりし由。破産
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麥早くも舒びて穗あり。正午扶桑書房清水氏來り青森の林檎、新宿中村屋ドーナツ其他を贈らる。小川氏來話。共に八幡町
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月十七日。雨。夜初て蛙聲をきく。去年岡山の西郊にて聞馴れしものとは其音調少しく異るところあり。人に各郷
十餘册を貸さる。小説浮沈校正刷校了。去年此日岡山にて火に遭ふ。
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月廿四日。陰。午前新生社酒井氏來話。午後下谷うさぎ屋來話。共に八幡驛前の露店を見る。
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微風あり。正午省線電車にて沿道の風景を見んがため千葉に至る。市街燒亡の後バラツク多く建てられおでん汁粉を賣る。京成電車にて
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晴。洋服を注文す。洋服屋白髮の老人、もと深川冬木町に住し昨年三月罹災、現在小岩に住すと云。背廣千五百圓
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一月十四日。晴。暖。東京の諸友に市川へ轉居の事を報ず。
適せし地なるが如し。住民の風俗も澁谷中野あたり、東京の西郊にて日常見るものとは全く同じからず、所謂インテリ風に化せざる
の間際にて久しく居ること能はず、英國に赴き半歳ほどにて東京に歸り一時泉岳寺畔に僑居す。大正十年頃妻を娶りて世田ヶ谷代田
る酒問屋なりし由。破産の後小説家三宅青軒をたよりて東京に來り小波山人が五番町の家に寄寓し、二十歳頃より文筆を以て
庭には古幹に苔厚く生じたる老梅あるを見る。東京には無きものなり。籬笆茆舍林下に散見する光景おのづから俳味
三月廿四日。日曜日。晴。東京にてはいよ/\米の配給なくなり粗惡なるパンにて人民露命をつなぐやう
。距生嘉永五年八月二日。春秋六十二。葬東京雜司谷。其病革。特旨叙正四位。盖異數也。配鷲津
國事。走四方。二年志于西學。負笈入東京。三年爲大學南校貢進生。四年游學美國。六年歸朝。
依頼せし服部製の懷中時計をとゞけくれたり。その後東京は焦土となり今日まで余が避難先を知らざりし爲お預りの時計
近くに牛乳パンを賣る農家あり。一合三圓。品質東京のものに比すれば遙によし。
雨。去年此夜中野のアパートにて火に襲はれしなり。東京より清潭子來書。その一節に曰く「大歌舞伎は繁昌乍ら戰爭以來技藝
。晴。白雲新緑相對照して田園の眺望甚佳し。東京より某氏の書簡中、「過日宮城へ押掛候連中の指導者の家に
の露店又は農家について購ふことを得べし。東京の人に比すれば幸多しと云ふべし。飯後出でゝ鬼越の田間を
※秧の時節人々雨なきを憂ふ。扶桑書房主人來書に東京市中米の配給なくなりてより文學書類の賣行俄に惡しくなりしと云
七月初三。時※雨。眞間の雜誌店にて東京市街戰災燒亡早見地圖を買ふ。四圓五十錢。これを見る
蟲聲をきく。蟋蟀か促織か定かならず。多年東京にて聞馴れしこほろぎとは其の鳴き方少しく異るところあり。
町の男女の連立ち來りて凉むもあり。良人の東京より歸來るを待つらしく見ゆるもあり。案外早く時間を消し得たり。驛
日。晴。早朝鰯賣の聲をきく。明治時代の東京を思起さしむ。※下阿部雪子來話。この夜中秋。月色清奇。
九月十九日。陰。午後凌霜子來話。東京某生の來書に、芝口もと太田屋牛肉店前の道路に朝九時
日。快晴。午後海神。日暮歸らむとする時、主人東京より來りまた/\晩餐を馳走せらる。
初四。時※雨。午後海神に行く。日暮主人の東京より來るに會ふ。夜九時家に歸るに絃歌騷然たり。再び出で
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。長男十時過に來りトラツク遂に進行しがたくなりたれば目黒の車庫に至り、運轉手明朝車を修繕して後來るべしと云ふ。
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※下凌霜子來り話す。去年一月廿五日、新富町の別宅、その近傍は空襲の火災に罹りしが、幸に無事なりし
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腸、和蘭陀皿の如きは佳作なりき。※の腸は新宿の娼妓を描きしものなりき。
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居ること能はず、英國に赴き半歳ほどにて東京に歸り一時泉岳寺畔に僑居す。大正十年頃妻を娶りて世田ヶ谷代田に移り住みたり。
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を知りしは明治三十二三年の頃なるべし。麹町元園町なる巖谷小波先生が木曜會の席上に於てなり。京都の人
日曜日。晴。風冷。昨日の如し。築地の空庵子麹町平安堂製細筆を贈らる。蓋し災前製作の良品なり。午後凌霜
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三月十四日。晴。午後凌霜子來り過日神田今川小路の古き筆匠玉川堂にたのみ細筆を注文いたし置きしにこの程出來
九月廿二日。日曜日。晴。神田の和書製本師池上氏小包にて枕山絶句鈔。春濤詩鈔。服部愿卿詩集
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昨日の如し。此頃米兵暴行掠奪の噂頻々たり。黄昏銀座通にて毆打せられし上紙入を奪はれしものありと云。日本人の
て火鉢に炭火を置く。午後小瀧氏來話。魔法罎に銀座ルパンの珈琲を入れて持來る。厚情謝すべし。夜半月あり。
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呼ぶにや知らねど、これ余の最も好むものなり。曾て堀切の園にありし花大にして絞の色さま/″\なるは
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連中の指導者の家には隱匿米隨分澤山有之候趣、池袋闇市の商人同士にて話し居候を立聞仕候て、如何にもありさうな事
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京成沿線立石にもあり。省線沿線には龜有、新小岩、小岩の町々にも在り。いづれも去年三月龜戸玉の井燒亡後直に出來たる
子を生落したりと云。色町は新小岩のみならず小岩の町端にも在り。こゝは白人のみにて黒人は來らざる由。午後凌
。陰。早朝より家内のラヂオ轟然たり。午後出でゝ小岩小松川邊を歩む。驟雨に逢ふ。
髮の老人、もと深川冬木町に住し昨年三月罹災、現在小岩に住すと云。背廣千五百圓、外套二千五百圓と云。
十一月初九。時々微雨。日暮小岩の町を歩す。
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なり。京成沿線立石にもあり。省線沿線には龜有、新小岩、小岩の町々にも在り。いづれも去年三月龜戸玉の井燒亡後直に
六月十一日。晴。午後省線新小岩町の私娼窟を歩す。省線驛前に露店並びたる處より一本道の
子は黒人の子を生落したりと云。色町は新小岩のみならず小岩の町端にも在り。こゝは白人のみにて黒人は來らざる
近況を知る。米兵の妾になれるものも少からず。新小岩驛前のアパートに住める□□子は黒人の子を生落したりと
月初六。日曜日。半陰半晴。午後海神に行く。新小岩その他戰後の私娼窟米兵を迎ることを禁ぜらると云。
十月廿六日。晴。午前森銑三氏來話。午後新小岩の歸途春街氏を訪ひ重ねて買宅のことを依頼す。夜
小西氏邸内の一室を借りラヂオ避難所となす。晩間新小岩散歩。屋臺店に飮む。