十年振 一名京都紀行 / 永井荷風
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わたしの旅行は今日全く人から忘れられたかの汐留の古いステーシヨン――明治五年に建てられたとかいふ石造りの新橋ステーシヨン
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、下加茂の社の如きは其の前者に屬し、詩仙堂、三千院、修學院等の如きは後者の中に列せられべきものであらう。
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左右の山は次第に相迫つて前面に聳る比叡山はいよ/\近くいよ/\險しく見え始める。牛車と大原女の往來が多く
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に殘つてゐる。幽暗なる蝋燭の火影に窺ひ見た島原の遊女の姿と、角屋の座敷の繪襖とは、二十世紀の世界には
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大正八年の春の頃であつた。夜半八丁堀の溝渠に沿うて築地の僑居に歸らうとした道すがら、わたしは家毎
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大正二年の夏慶應義塾講演會の大阪に開催せられた時わたしも厚かましく講演に出掛けたのが旅行の最終であつ
十年前大阪へ行く時、丸の内の東京驛停車場はまだ工事の半であつた。たしか大正
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はまだ幾條も日本風の橋が殘つてゐた。粟田御所の塀外に蛟龍の如く根を張つてゐる彼の驚くべき樟の大木は
祇園の垂糸櫻は大分弱つてゐる。粟田御所の大樟にも枝の枯れた處が見えてゐる。その樹下を過る度に
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一日粟田神社に近き一寺院の境内を過ぎた時、わたしは足駄をはいて野球を弄ぶ
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隅田川の汎濫と其翌年淺草の大火とを以て江戸の古蹟とまた江戸趣味との終焉を告ぐるものとなした。以後年々市區
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ひを米國の都會に於て見るのと巴里のモンマルトルに於て見る時との相違に似てゐるであらう。プロテスタントの教義の嚴
の兒女は唯淺間しく恐しきものに見えるばかりであるが、モンマルトルに來れば道徳の判斷に先じて吾々はまづドガ、ボナアル、ロートレツク等が
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金閣寺、永觀堂、下加茂の社の如きは其の前者に屬し、詩仙堂、三千院
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洋食屋との外には稀に之を見るばかりである。京極の夜の巷を歩いてもわたしは銀座通りで見るやうな染色のけば/
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祇園の垂糸櫻は大分弱つてゐる。粟田御所の大樟にも枝の枯れ
京都に來て祇園の妓を聘するのと東京に在つて新橋に遊ぶのとは全然情緒を異
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一日鹿ヶ谷に法然院を尋ねた後銀閣寺に入つてわたしは案内者の説明を聞いてゐる中、偶然以上のやうな事を
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幸にして近世文明の容易に侵略する事を許さぬ東山の翠巒がある。西山北山を顧望するも亦さほどに都市發展の侵害を被つて
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一日鹿ヶ谷に法然院を尋ねた後銀閣寺に入つてわたしは案内者の説明を聞いてゐる
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一名京都紀行
の朔日、わが市川松莚子、一座の俳優を統率して京都に赴き、智恩院の樓門を其のまゝの舞臺となし野外の演藝
に遊ばうとした折、又その翌年故上田博士が京都に歸らるゝ時、また大正八年松居松葉子が重て歐米漫遊の途
藝術の何たるかを討ね究めやうとすれば是非とも京都の風景と生活とに接觸して見なければならないと云ふやうな
京都に遊ぶのはこの度が四囘目である。明治三十年の頃父母
の高くなつた事なぞ十年前の光景に比較すれば京都らしい閑雅の趣を失つた處も少くはない。嘗て一度眺め賞してより
から十年を過ぎた。十年ぶりに來て見た京都の市街は道幅の取廣げられた事、橋梁河岸の改築せられた
樹木の枯死するのを見てゐる東京人の眼には京都はいかにも松樹千歳の緑に包まれ青苔日に厚く自ら塵なき舊都
が染物を洒してゐた。大體に於て今日の京都は今日の東京の如くに破壞せられてはゐなかつた。年々
りがなかつた。堀川の岸に並び立つ柳の老木は京都固有の薄暗い人家の戸口に落葉の雨を降らせてゐた。白川の
然し京都には幸にして近世文明の容易に侵略する事を許さぬ東山の
た小道なぞで、わたしは物買ひにでも行くらしい京都の女の銘仙か節糸織の縞の袷に前掛をしめた質素な小
もの過去の追憶にまさるはない。わたしは此儘永く京都に止りたいやうな心になつたのもこれ等の爲である。
生活の状態と社會組織の既に激變しつゝある今日、京都に殘る古代の社寺庭園樹木の存亡は引いて國民將來に於ける思想上
。これはわたしひとりの考ふべき問題ではない。啻に京都市民のみならず廣く國民一般の考慮して然るべき問題であらう。時勢
京都の市街はこの後果していつまで過去及現在の幽靜閑雅の趣を
寶物である。この二ツのものがなかつたなら現在の京都は正に冷靜なる博物館と撰ぶ處なきに至るであらう。
ひまた妓女を愛さなければなるまい。緇衣と紅裙とは京都の活ける寶物である。この二ツのものがなかつたなら現在の京都は
京都に遊ぶことを喜ぶものはおのづから僧侶を敬ひまた妓女を愛さ
の畫を見て此れを窺ふも妨げはあるまい。京都を藝術の都市として鑑賞しやうとする時吾等は現代の佛教徒
と、櫻花丹楓に映ずる銀釵紅裙の美とは京都に來つて初めて覓め得べき日本固有なる感覺の美の極致である――
然し一度京都に來つて東山の林間に逍遙すれば、何人と雖永くこゝに此の幽
京都府廳とこの地方の林務署とは既に林中に訓示を掲げて東山の
てゐる。一度病樹の巷を去つて松柏鬱然たる京都に來るや否や、わたしはまづ何より先にアナトールフランスが佳樹靜思の
東京を出發する時わたしは斯くまでに京都を愛しようとは全く思つてゐなかつた。
は當つてゐなかつた。わたしが俄に京都を愛し京都に感謝せんとしたのはわが推測の少しく早計に過ぎた事を
てこの推測は當つてゐなかつた。わたしが俄に京都を愛し京都に感謝せんとしたのはわが推測の少しく早計に過ぎ
日々東京市の變革を目覩するにつけてわたしは獨り京都のみならず國内の都市はいづれも時勢の打撃を受けて東京及その
聳る富豪某の邸宅の甚しく風致を害するを憤つて、京都の市街も早晩東京の日比谷に類する光景を呈するであらうとの感慨を抱い
廢止せられた事を聞き、此を惜しみ悲しむのあまり、京都も亦東京の如く傳來の年中行事を失ひ終るの日も遠いことで
この度京都の再遊はわたしをして恰も老夫の故山に歸臥したるが如き安慰
京都には今でも合乘の人力車がある。藝者とお客の合乘を
京都に來て祇園の妓を聘するのと東京に在つて新橋に遊ぶのと
に留ることは決して巴里を知るの道ではあるまい。京都に遊んでよく山水殿堂の美を賞するものはおのづから脂粉の氣
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たぐひを米國の都會に於て見るのと巴里のモンマルトルに於て見る時との相違に似てゐるであらう。プロテスタントの
藝術を除外して巴里に留ることは決して巴里を知るの道ではあるまい。京都に遊んでよく山水殿堂の美を
藝術を除外して巴里に留ることは決して巴里を知るの道ではあるまい。京都に遊んで
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病來十年わたしは一歩も東京から外へ出たことがなかつた。
事を約した。こゝに於てわたしも十年振りで東京の家を出る事となつた。
十年前大阪へ行く時、丸の内の東京驛停車場はまだ工事の半であつた。たしか大正四年の春松本泰
とも思はれぬ神祕の極みであつた。わたしは東京の友人に送つた繪葉書に、吾等は其の郷土の美と傳來
年々上野や芝山内の樹木の枯死するのを見てゐる東京人の眼には京都はいかにも松樹千歳の緑に包まれ青苔日に
してゐた。大體に於て今日の京都は今日の東京の如くに破壞せられてはゐなかつた。年々上野や芝山内
を見るたび/\、何のわけとも知らずわたしは東京の町の女の二十年ほどむかしの風俗を思出すのであつた。
東京市中に在つて此等に類する官廳の訓示は大抵の場合却つて人を
東京市中の庭園路傍の草木は塵埃煤烟の爲めに悉く生色を失つてゐる
東京を出發する時わたしは斯くまでに京都を愛しようとは全く思つてゐな
ならず國内の都市はいづれも時勢の打撃を受けて東京及その近郊の如くなりつゝあるに相違ないと推測してゐたからで
は一度も内地の旅行を企てたことがなかつた。日々東京市の變革を目覩するにつけてわたしは獨り京都のみならず國内
邸宅の甚しく風致を害するを憤つて、京都の市街も早晩東京の日比谷に類する光景を呈するであらうとの感慨を抱いて東歸の途
た事を聞き、此を惜しみ悲しむのあまり、京都も亦東京の如く傳來の年中行事を失ひ終るの日も遠いことではあるまい
特徴なき都市は永住の策を講ずるに適しない。現今の東京はさながらイカサマ紳士の徒に邸宅の門戸を大にして愚民を欺き驚
變遷と相俟つて、僅に十年にして遂に東京市をして世界最醜の都會たらしむるに終つた。
東京の人にして東京を去り覊旅却て家園に勝る樂しみを覺ゆるとは、わが薄倖
東京の人にして東京を去り覊旅却て家園に勝る樂しみを覺
をかけてゐるのを見て振返らない人は殆どない。東京ほど岡燒の激しい處は世界に稀である。
東京では藝者が通ると人が目に角を立てゝ見る。中には
京都に來て祇園の妓を聘するのと東京に在つて新橋に遊ぶのとは全然情緒を異にする處がある。
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ステーシヨン――明治五年に建てられたとかいふ石造りの新橋ステーシヨンからのみ爲されてゐた譯である。さう思ふとわれながら
京都に來て祇園の妓を聘するのと東京に在つて新橋に遊ぶのとは全然情緒を異にする處がある。それは恰も西洋
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の如くに破壞せられてはゐなかつた。年々上野や芝山内の樹木の枯死するのを見てゐる東京人の眼には
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ばかりである。京極の夜の巷を歩いてもわたしは銀座通りで見るやうな染色のけば/\しい飛模樣の羽織や縫取
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甚しく風致を害するを憤つて、京都の市街も早晩東京の日比谷に類する光景を呈するであらうとの感慨を抱いて東歸の途につい
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わたしは明治四十三年の秋隅田川の汎濫と其翌年淺草の大火とを以て江戸の古蹟とまた江戸