ひかげの花 / 永井荷風
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この老婆は以前は大塚の坂下町辺、その前は根岸、または高輪あたりで、度々私娼媒介の廉で検挙せられたこの仲間の
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かけたが、どうしても通じないんだ。今は四谷にいるんだからね。実はこれから行って見ようかと思っていた
であった。仕方がないので重吉は玉子と共に四谷の大通へ出て、やっと歯医者をさがし、再び診察してもらうと、今度は
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変る年の春頃であった。その年夏のさかりに毎夜丸の内の芝原へいろいろ異様な風をした人が集って来て、加持祈祷を
車夫などと夜がふけてからそっと屋敷を抜出して真暗な丸の内へ出掛けたが、或夜巡査に咎められ、屋敷から親元へ送り返された。
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に乗って、重吉が芝桜川町へ行く途中、お千代は明治座の前あたりでおろしてもらった。
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の当日、逃げ迷った道すがら、おたみを助け、その郷里の桐生に往って年を越し、東京に帰って来てから、引取る人の尋ねて
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であったが、毎年八月中未亡人が店を休んで鎌倉へ避暑に行く。その後を追いかけて行った時、ここに忽ち情交が結ばれ
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た。都会にあこがれて、両親の言うことをきかず、東京市内の知人をたよって家を飛出し、高輪の或屋敷へ女中奉公に住込ん
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連れて見物に行く。暑中休暇には二人連れで三日ばかり箱根へ出掛ける。郊外の家はその前に畳んで牛込矢来町に移っていた
然るに次の年の春、塚山が芸者をつれて箱根へ遊びに行った時、同じ旅館の隣室に泊っていた六十あまりの老夫婦
再びおたみと金貸の老人とに邂逅した。老人は箱根から帰った後間もなく老妻を失い、話相手におたみをつれて伊香保の
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も繁くなったので、二人はそのまま話をやめて雷門まで来た。
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お家にいた時です。おばさんに手をひかれて明石町の河岸をあるいて蟹を取って遊んだことは一生忘れません。わたくしの
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も増して一層あわただしく暮れたような心持で、お千代は八丁堀の妾宅に、重吉は僅二、三町はなれた新富町の貸間に新年を
裏口から逃出すと、外は寒い風が吹いている。しかし八丁堀の通には夜店が出ていて人通りも賑かなので、知らず知ら
わたくしは急いで八丁堀の母の家へ出かけて行きました。母のことは大体友達のつゆ子から
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二人の生活は、最初家を借りた赤坂から芝公園へ引越した後、更に移って東中野へ落ちついた頃には、何
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」と歩きながらまず『毎夕』をひろげて見て、「根津の松岡がやられたんだ。芳沢旅館の事は出ていないが、
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二人の生活は、最初家を借りた赤坂から芝公園へ引越した後、更に移って東中野へ落ちついた頃には、何も知ら
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のけいこに通っていた時である。お妾さんは日比谷公園の避難先から直様渋谷へ家を借りたが、おたみは裁縫をならい
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重吉の家は新潟の旅館で、両親は早く死し兄が家督を取っていたが、経費
半年あまりを過ぎて、或日塚山は新潟まで行く用事があって、汽車に乗った時、再びおたみと金貸の
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白鞘の匕首でおどかされた事があってから、非常に水戸の人を恐れているのである。
に任すより仕様がなかった。かつて学生のころ、重吉は水戸出身の同級生と争って、白鞘の匕首でおどかされた事があってから
事を説き、漢文の教師で柔道は三段だという水戸の兄は重吉が種子の家に入り込んだ来歴を詰問して、その答弁
忽種子の遺産の処分について議論が持出された。水戸から出て来たのは中学校の教員で種子の兄だという。仙台
の一度も会ったことのない親戚が二人、その一人は水戸から、他の一人は仙台から病院へ呼寄せられた。その翌日の夜種子
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来たのは中学校の教員で種子の兄だという。仙台からのはその地の弁護士で叔父だという。家中をさがしても故人
ない親戚が二人、その一人は水戸から、他の一人は仙台から病院へ呼寄せられた。その翌日の夜種子が息を引取ると、親戚
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「その後まるで影形も見せないから、お玉さんは東京にいないんだろうッて、家のやつもそう言っていたよ。じゃア
行った時、ここに忽ち情交が結ばれ、涼しくなって東京に立戻ると間もなく女は玉突場を売払う、重吉は下宿を引上げる。
、せめてその費用なりとも稼ぎたいと、お千代は再び東京へ女中奉公に出た。三、四年の後相応の人が媒介を
た。都会にあこがれて、両親の言うことをきかず、東京市内の知人をたよって家を飛出し、高輪の或屋敷へ女中奉公に
たみを助け、その郷里の桐生に往って年を越し、東京に帰って来てから、引取る人の尋ねて来るのを待つ間、娘
もなく、またお互に知り合う機会もなかったのです。東京は実にひろいところだと思いました。
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だし、どうにも仕様がないから、ついこの間まで渋谷の小さいカフェーに働いていたのよ。思ったよりは忙しい店なん
た時である。お妾さんは日比谷公園の避難先から直様渋谷へ家を借りたが、おたみは裁縫をならいに家を出たまま
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五人を引きつれ、活動写真を見に行ったり銀座通や浅草公園を歩いたりする。重吉も欠かさずお供にさそわれる学生の中の一人
処に預け、夜具と手提革包を載せた自動車に乗って浅草千足町一丁目の藤田という荒物屋をたずねた。松竹座の前を真直に
向の横町に米屋の二階をさがし当て、重吉の方は浅草芝崎町の天岳院に日輪寺という大きな寺のあるあたり、重に素人屋
見てから、お妾さんはおたみをかわいがって、浅草などへお参りに行く時はきっと連れて行き、いろいろなものを買ってやっ
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学生四、五人を引きつれ、活動写真を見に行ったり銀座通や浅草公園を歩いたりする。重吉も欠かさずお供にさそわれる学生の
あくる日お千代は重吉に新聞の広告を見てもらって、銀座通の或カッフェーに行って見たが、最初の店では年が少し
なく聞いて見るがいいというので、お千代は再び銀座へ出掛けたが表通にはそういう貼紙のしてある店が見当らない。
暫くの中、外の町のカッフェーをさがして、それから銀座へ出るようにしたらどうだ。」
「うむ。銀座は何かがはでだからな。それじゃ、初め暫くの中、外の
行ったものかかえって当がつかない。それのみならず、銀座通の裏表を歩いて、ほんのちょっとではあるがカフェーの内を窺って
「銀座は歩けないくらい人が出ていたよ。」
「銀座の方じゃ、カフェーは二十五日から毎晩二時までやるんだとさ。
もやって見る気になったんだよ。銀座はやっぱり銀座だな。弐円になったぜ。」と銀貨を見せる。
ふいと己もやって見る気になったんだよ。銀座はやっぱり銀座だな。弐円になったぜ。」と銀貨を見せる。
「銀座にはステッキガールが出るという話だから、それらしいやつの後をつけ
人はわたしの耳に口を寄せて、「あなた、毎晩銀座を歩くのか」ッていうのさ。わたしのことを街娼だと思った
込んで何か買ってもらおうと思ってさ。二人でぶらぶら銀座を歩いたのよ。丁度人の出さかる時分だから松屋の前なんぞは押さ
であるお客様に逢ったのよ。御飯にさそわれて、銀座の裏通のおでん屋へ行ったから、帰りにデパートへ連込んで何か
行こうかと思ってるのよ。そら、昨夜話をした銀座のお客さ。わたしをストリートだと思って、連れて行ったお客さ。
変った新しい刺※を求めていた。その折から偶然銀座の人中でお千代に袂を引かれ、これが噂に聞く街娼だと
同じようにてらてら輝っている。この老人は杉村といって銀座西何丁目に宏大なビルジングを持っている羅紗屋の主人である。いずこ
をさがしても容易には得られまい。一昨日の晩銀座通で自分の袖を引いたのも商売気ばかりではないらしいと勝手に断定
ないのであった。幸にも十二時近くになって銀座の方に火事があったので、杉村は急に帰仕度をした
ながら、重吉は上海事変の号外よりも、お千代が初めて銀座通で頭の禿げた杉村の袖を引いた時のことを想像した
ず知らず歩いて桜橋まで来ると、堀割の彼方に銀座の火影が遠く空一帯を彩どっている。また知らず知らず京橋まで来る
」重吉は再び去年お千代の為した事を思返し、銀座を徘徊する女にはいろいろ種類があることを知った。「店へ引張っ
今あすこの横町でルンペンが仁義をやっていたわ。銀座といっても広う御在ます。はははは。」
「一口に銀座といっても広う御在ます……。」
わたくしたちと一緒に罰金を取られてから、今では銀座四丁目裏のカルメンというバアに働いています。わたくしはつゆ子さんのはなし
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未亡人は麹町平川町辺に玉突場を開いていた。そして玉突に来る学生四、五
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を借りた赤坂から芝公園へ引越した後、更に移って東中野へ落ちついた頃には、何も知らない人の目には羨しいほど平和
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は見て見ない振りをしていたおかげで、とうとう人形町にカフェーを出さしてもらった。」
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この老婆は以前は大塚の坂下町辺、その前は根岸、または高輪あたりで、度々私娼媒介の
「本郷区富坂町、太田てつ。大塚辻町宮原こう。赤坂区氷川町吉岡つゆ……。」
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カフェーは二十五日から毎晩二時までやるんだとさ。神田の方よりも勉強するね。」
がいいから。」とは言ったものの、お千代は神田辺でもカフェーは二時までやるのかも知れないと始めて気が
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と思って、一緒に円タクに乗ってしまったのさ。浜町まで五拾銭だと言って、それから男の人はわたしの耳に
「そうね。ちょっと浜町へ行こうかと思ってるのよ。そら、昨夜話をした銀座のお客
「浜町公園の側だし、今までわたしたちの知らない家だから、その心配はない
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から仕様がないのよ。昨日芳沢旅館の帰道だわ。新橋のガードの下であるお客様に逢ったのよ。御飯にさそわれて、
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歩いて行くと、じきに松竹座前の大通に出る。田原町の角に新聞売が鈴を鳴しているのを見て、重吉は銅貨
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「どこでもいいんだ。京橋か日本橋の中ならおれには一番便利なんだ。ここの家へ電話でそう
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八丁堀の妾宅に、重吉は僅二、三町はなれた新富町の貸間に新年を迎え、間もなく二月ぢかくになったが、
「新富町です。」
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ではどこのホールにも出られなくなったので、五反田の円宿のマスターに紹介してもらって、この方面へ転じたはなしを
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一緒でしたか。」と彼氏がききます。わたくしは初め新宿のホールでつゆ子と友達になり同じ貸間にいた事や、それから同じ
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の向き次第あちらこちらと歩き廻って、大分つかれた時分、京橋の河岸通が向うの方に見渡される裏通り。両側ともカッフェーばかり並んでいる
「どこでもいいんだ。京橋か日本橋の中ならおれには一番便利なんだ。ここの家へ電話
火影が遠く空一帯を彩どっている。また知らず知らず京橋まで来ると燃えるような燈火と押返すような人通りの間から、蓄音機の
九時頃なのに、尾張町のカフェーにいる女がぶらぶら京橋近くを歩いている理由がわからなかったのである。
お千代が娘のおたみを京橋区新栄町の女髪結の許にやったのは大正六年の秋、海嘯