書かでもの記 / 永井荷風

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地名一覧

矢来町

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の月』と題せし未定の草稿一篇を携へ、牛込矢来町なる広津柳浪先生の門を叩きし日より始まりしものといふべし。われその

の寓居を尋ねその門生たらん事を請ひぬ。先生が矢来町にありし事を知りしは予め電話にて春陽堂に聞合せたるによつてなり

先生が寓居は矢来町の何番地なりしや今記憶せざれど神楽坂を上りて寺町通をまつすぐに

先生が矢来町の閑居には小鳥と共に門人もまた加はり来りぬ。最初に長谷川濤涯君

牛込

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簾の月』と題せし未定の草稿一篇を携へ、牛込矢来町なる広津柳浪先生の門を叩きし日より始まりしものといふべし。われ

その名を借用せしなり。この年朝日新聞記者栗島狭衣君牛込下宮比町の寓居に俳人谷活東子と携提して文学雑誌『伽羅文庫』

サンジェルマン

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次の日われサンジェルマンの四ツ角なる珈琲店パンテオンにて手紙書きてゐたりしに、向側なる卓子

神田美土代町

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その芸名なり。余もまた久しく浅草代地なる竹翁の家また神田美土代町なる福城可童のもとに通ひたる事あり度々『鹿の遠音』『月の

本能寺

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。つづいて十一月には一番目『太功記』馬盥より本能寺討入まで団洲の光秀菊五郎春永なり中幕団洲の法眼にて「菊畑」。菊五郎

両国

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し妓家櫛比する浅草代地の横町にかくれ住む。たまたま両国大相撲春場所の初日に当りてあたり何となく色めき立てる正午近くなり。わ

下谷

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ことなし。いまだ電車なき世なりしかどその夜われは一人下谷よりお茶の水の流にそひて麹町までの道のりも遠しとは思はず楽しき

巴里

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川上壮士役者音二郎が事なりより新聞を郵送し来れりとて巴里劇界の消息を語出されぬ。かくて三十分ばかりにて我は再び破笠子

更にわが方には見向きもしたまはず破笠子を相手に今朝巴里の川上壮士役者音二郎が事なりより新聞を郵送し来れりとて巴里劇界の

心もおのづからに薄らぎゐたりしかば、唯ひとり巴里の巷の逍遥にうつらうつらと日を過すのみなりき。

巴里に入りて拉甸区の一客舎に投宿したり。然れども巴里にはもとより知る人ひとりもなかりしかば先生の旅館も知るによしなく紹介を

譬へんに物なし。やがてわれは里昂の銀行を辞職し巴里に入りて拉甸区の一客舎に投宿したり。然れども巴里にはもとより知る

今やその望み半既に達せられし折柄、あたかも好し先生の巴里に来れるを耳にす。わが欣び譬へんに物なし。やがてわれは里昂

博士を訪ひし事ありしがその折上田先生の伊太利亜より巴里に来られしことを聞知りぬ。わが胸はいまだその人を見ざる

が辱知となるを得たりしは千九百八年三月先生の巴里に滞留せられし時なり。これより先わが身なほ里昂の正金銀行

なる左側小紅亭とよべる寄席に行きぬ。この寄席もまた巴里ならでは見られぬものの一なるべし。木戸銭安く中売の婆酒珈琲

着たる姿を怪しむ如く顔見合せ今更の如く昨日となりにし巴里のこと語出でて愁然たりき。

にて突然音づれ来給へり。この時のわがよろこびは初めて巴里にて相見し時に優るとも劣らざりけり。なべて洋行中の交際とし

水戸

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の素顔とその稽古とを見得たり。狂言はたしか『水戸黄門記』通しにて中幕「大徳寺」焼香場なりしと記憶す。団十郎

京都

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を要するやの噂ちらと耳にせしかば早速事を京都なる先生に謀りしことありき。これに対する先生の返書今偶然これを

貴兄をして教育界の沈滞したる空気中に入れしかも京都の如き不徹底古典趣味の田舎へ移す事は貴兄自身にとりてもわが文学

先生の手紙に対し種々考を述べ置候が要するにただ今京都を去る事は出来兼ね候趣返事いたし、また貴兄を推薦されし森

京都にては全く話対手なく困却仕候唯宅の者と散歩して食事で

色めき立てる正午近くなり。われ銭湯より手拭さげて帰り来る門口京都より東上せられし先生の尋ね来らるるに会ひぬ。さては先生の

数日の後先生再び京都に赴かんとせらるるや我いかにしけん今までは一度も先生を停車場に

奈良

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しものと存候このつぎ御来遊のせつは御一所に奈良へ出かけたきものに候妻よりよろしく 匆々

遊んで河沿の宿にとまり翌朝奈良へまかりこして新築の奈良ホテルといふに休み、そこより車を雇ひて春日社頭の鹿をはじめ

とともに宇治川に遊んで河沿の宿にとまり翌朝奈良へまかりこして新築の奈良ホテルといふに休み、そこより車を雇ひて

深川

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と、思へばいよいよ喜びに堪へず、直に筋向なる深川亭にいざなひしが、何ぞ図らんこの会飲永劫の別宴となら

麹町

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の秀才なりしが明治三十四年同門の黒田湖山と相図り麹町三番町二七不動のほとりに居をかまへ文学書類の出版を企てき

どその夜われは一人下谷よりお茶の水の流にそひて麹町までの道のりも遠しとは思はず楽しき未来の夢さまざま心の中にゑ

上野

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その勢力甚盛なるあり。新刊の『活文壇』は再三上野三宜亭に誌友懇談会を開き投書家を招待し木曜会の文士交※文芸

お茶の水

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。いまだ電車なき世なりしかどその夜われは一人下谷よりお茶の水の流にそひて麹町までの道のりも遠しとは思はず楽しき未来の

新橋

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や吉原品川楼の抱が和鞍に乗りての遊山また新橋芸者が自転車つらねて花見に出かけし噂なぞかしましき事ありけり。

きのふの御作中柳橋の芸者が新橋といふ敵国を見る処おもしろく拝見仕候また先日のモリス・バレスが故郷の

品川

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自転車と馬乗りとはその頃の流行なりしにや吉原品川楼の抱が和鞍に乗りての遊山また新橋芸者が自転車つらねて花見

銀座

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日比谷には公園いまだ成らず銀座通には鉄道馬車の往復せし頃尾張町の四角今ライオン珈琲店ある辺に

日比谷

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日比谷には公園いまだ成らず銀座通には鉄道馬車の往復せし頃尾張町の四角

浅草

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門人にて吾童といふはその芸名なり。余もまた久しく浅草代地なる竹翁の家また神田美土代町なる福城可童のもとに通ひたる事あり度々

を冠らず尻端折にて向脛を出し半合羽日和下駄にて浅草山の宿辺の住居より木挽町楽屋へ通ひ衣裳鬘大小の道具帳を

退いて世の交りを断たん事を欲し妓家櫛比する浅草代地の横町にかくれ住む。たまたま両国大相撲春場所の初日に当りてあたり何

向島

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遑あらざれど真に文章をよくするものに至つてはもし向島の露伴子を措きなば恐らくは我右に出るものあらざるべしと傍若

東京

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はと思ひつつ今日までに相成候が今月末は是非とも東京へ参り御眼にかかりたく存をり候実はただ今直にても御面会

に相成候然るに一月三十一日に至りて急に東京より来信これあり珍らしき事を聞込候

候が仏語の極めて初歩のみを教へる事にて重に当地あるひは東京の仏蘭西法科へ入学する者のための如く随て狭い田舎の事なれば

に秘密に致をり候やうに承をり候が実は今度東京の慶応義塾にてその文学部を大刷新しこれより漸々文壇において大活動