矢はずぐさ / 永井荷風
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を脱せざりし頃絶えず用ひたるかの矢筈草今も四谷の家にあり。煎じて参らすべければ聊かその匂ひの悪しきを忍びたまへとて
遊びて和歌を学びしは久しき以前の事なり。近頃四谷に移住みてよりはふと東坡が酔余の手跡を見その飄逸豪邁の筆勢を
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われは東京市中の閑地追々土木工事のために伐り開かるべきことを憂ひて止まざるものなれ
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の太夫となりて金紫と号す瓦解の後商となり横浜に出で産を起し※上に有馬温泉を建つ二子あり坂東秀調はその長子藤間
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矢筈草は俗に現の証拠といふ薬草なること、江戸の人山崎美成が『海録』といふ随筆第五巻目に見えたり。
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の如くその茎蔓のやうに延びてはびこる。四谷見附より赤坂喰違の土手に沢山あり。青山兵営の裏手より千駄ヶ谷へ下る道のほとりに
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。病なくして病あるが如き身のさまこそいぶかしけれ。下谷の外祖父毅堂先生の詩に小病無名怯暮寒〔小病に名
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国の料理ほど野菜に富めるはなかるべし。西洋にては巴里に赴きて初めて菜蔬の味称美すべきものに遇ふといへどもその種類
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に憤りたまふべし。『矢筈草』とは過つる年わが大久保の家にありける八重といふ妓の事を記すものなれば。
その翌年草の芽再び萌出る頃なるを、われも一夜大久保を去りて築地に独棲しければかの矢筈草もその後はいかがなりけん
それ懐中の湯婆子よ懐炉よ温石よと立騒ぐほどに、大久保より札の辻までの遠道とかくに出勤の時間おくれがちとはなる
てや、浮世の夢をよそに、思出多き一生を大久保の里に埋め、早衰のわが身が朝夕の世話する事とはなり
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殊勝に立働きてゐたりしが、故あつて再び身を新橋の教坊に置き藤間某と名乗りて児女に歌舞を教ゆ。浄瑠璃の言葉
より聞きて始めて知りしなり。八重その頃明治四十三、四年新橋の旗亭花月の裏手に巴家といふ看板かかげて左褄とりてゐたり。
の病さへ癒えて舞ふに苦しからずなりなば再び新橋にや帰らん新に柳橋にや出でんあるひは地を選びて師匠の札をや
の如き能くわが記憶する所なり。現に城南新橋の畔南鍋街の一旗亭にも銀屏に酔余の筆を残したまへ
けるが、その折にはわれさまでは驚かず、大方新橋あたりの妓家ならずば藤間が弟子のもとに遊べるならんと思ひしに
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酒も家業なれば是非もなく呑過して腹いたむる折々日本橋通一丁目反魂丹売る老舗その名失念したりに人を遣して矢筈
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山の手の辺鄙を選び四谷荒木町に隠れ住みけるなり。わが家とは市ヶ谷谷町の窪地を隔てしのみなれば日ごと二階なるわが書斎に来りて
春泥容易に乾かず。五月早くも蚊に襲はる。市ヶ谷の喇叭は入相の鐘の余韻を乱し往来の軍馬は門前の草を食み
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より赤坂喰違の土手に沢山あり。青山兵営の裏手より千駄ヶ谷へ下る道のほとりにも露草車前草なぞと打交りて多く生ず。採り
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われは東京市中の閑地追々土木工事のために伐り開かるべきことを憂ひて止まざる
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我が懶惰の習ひにや馴れ染めけん、かつは日頃親しく尋来る向島の隠居金子翁といふ老人のすすめもありてや、浮世の夢をよそ