花火 / 永井荷風

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地名一覧

小石川

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最初のものであろう。数えて見ると十二歳の春、小石川の家にいた時である。寒いので何処へも外へは出なかっ

其の日の朝わたしは高台の崖の上に立っている小石川の家の縁側から、いろいろな旗や幟が塀外の往来を通って行くの

牛込

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往来止めである。三宅坂へ戻って麹町の大通りへ廻り牛込のはずれの家へついたのは夜半過であった。

三宅坂

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大臣官舎を警護する軍隊でここも亦往来止めである。三宅坂へ戻って麹町の大通りへ廻り牛込のはずれの家へついたのは夜半過で

タコマ

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明治三十七年日露の開戦を知ったのは米国タコマに居た時である。わたしは号外を手にした時無論非常に感激

北海道

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加藤清正がまだ朝鮮に生きているとか、西郷隆盛が北海道にかくれていて日本を助けに来るとかいう噂があった。しかも斯く

大津

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大津の町で露西亜の皇太子が巡査に斬られた。この騒には一国を

東京

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のはわが家の格子戸ばかりである。わたしは始めて今日は東京市欧洲戦争講和記念祭の当日であることを思出した。

西洋から模倣して新に作り出した現象の一である。東京市民が無邪気に江戸時代から伝承して来た氏神の祭礼や仏寺の開帳

子供の心を動かした。今から回想すると其の頃の東京は、黒船の噂をした江戸時代と同じように、ひっそりして薄暗く

に遊ばせてくれたので、わたしは三十八年の真夏東京市の市民がいかにして市内の警察署と基督教の教会を焼いたか

て十一月も半頃と覚えている。都下の新聞紙は東京各地の芸者が即位式祝賀祭の当日思い思いの仮装をして二重橋へ

。病来久しく世間を見なかったわたしは、此の日突然東京の街頭に曽て仏蘭西で見馴れたような浅葱の労働服をつけた職工

上野

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にある鍍金屋の鑢の響もしない。みんな日比谷か上野へでも出掛けたにちがいない。花火の音につれて耳をすますと

読みにくい漢文調の祝辞が載せられ、人がぞろぞろ日比谷か上野へ出掛ける。どうかすると芸者が行列する。夜になると提灯行列が

明治三十一年に奠都三十年祭が上野に開かれた。桜のさいていた事を覚えているので四

日比谷

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の突当りにある鍍金屋の鑢の響もしない。みんな日比谷か上野へでも出掛けたにちがいない。花火の音につれて耳を

面に読みにくい漢文調の祝辞が載せられ、人がぞろぞろ日比谷か上野へ出掛ける。どうかすると芸者が行列する。夜になると提灯

その道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走って行くのを見た。わたしはこれ迄見聞し

日比谷へ来ると巡査が黒塀を建てたように往来を遮っている。暴徒が

をかくそうかと目当もなく貸家をさがしに出掛けた。日比谷の公園外を通る時一隊の職工が浅葱の仕事着をつけ組合の旗を

市ヶ谷

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明治四十四年慶應義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら折々市ヶ谷の通で囚人馬車が五六台も引続いて日比谷の裁判所の方へ走って

銀座

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の燃えているのを見た。電車は無い。弥次馬で銀座通は年の市よりも賑かである。辻々の交番が盛に燃えている最中

。再び表通りへ出てビーヤホールに休むと書生風の男が銀座の商店や新橋辺の芸者家の打壊された話をしていた。

麹町

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軍隊でここも亦往来止めである。三宅坂へ戻って麹町の大通りへ廻り牛込のはずれの家へついたのは夜半過であった

永田町

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虎の門外でやっと車を見付けて乗った。真暗な霞ヶ関から永田町へ出ようとすると各省の大臣官舎を警護する軍隊でここも亦往来止め

新橋

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出てビーヤホールに休むと書生風の男が銀座の商店や新橋辺の芸者家の打壊された話をしていた。

桜田御門

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は江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下民の与り知った事ではない

浦賀

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をひきはじめた。わたしは江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下