十九の秋 / 永井荷風

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地名一覧

大阪

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た人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった

横浜

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は覚えていない。わたくしは両親よりも一歩先に横浜から船に乗り、そして神戸の港で、後から陸行して来られる両親を

神戸

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は両親よりも一歩先に横浜から船に乗り、そして神戸の港で、後から陸行して来られる両親を待合したのである

京都

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碇泊しているので、そのあいだに、わたくしは一人で京都大阪の名所を見歩き、生れて初めての旅行を娯しんだ。しかしその時の

長崎

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えながら小舟に乗って父をたずねに来た。その頃長崎には汽船が横づけになるような波止場はなかった。わたくしは父を訪問

やがて船が長崎につくと、薄紫地の絽の長い服を着た商人らしい支那人が

朝の中長崎についた船はその日の夕方近くに纜を解き、次の日の午後に

東京

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何如璋は、明治十年頃から久しい間東京に駐剳していた清国の公使であった。

わたくしが東京を去ったのは明治三十年の九月であったが、出帆の日

陣笠のようなものを冠っていた姿は、その頃東京では欧米の公使が威風堂々と堀端を乗り歩く馬車と同じようなので、

乗った。母とわたくしも同じくこの馬車に乗ったが、東京で鉄道馬車の痩せた馬ばかり見馴れた眼には、革具の立派な馬

て、適当な学校を見つけて就学したいと思った。東京に帰ればやがて徴兵検査も受けなければならず。また高等学校にでも入学