放水路 / 永井荷風
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来路を顧ると、大島町から砂町へつづく工場の建物と、人家の屋根とは、堤防と夕靄とに
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大正九年の秋であった。一日深川の高橋から行徳へ通う小さな汚い乗合のモーター船に乗って、浦安の海村に遊んだことがある
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北千住の間を往復する乗合自動車と、また西新井の大師と王子の間を往復する乗合自動車とが互に行き交っている。六阿弥陀と大師堂へ
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往復する乗合自動車とが互に行き交っている。六阿弥陀と大師堂へ行く道しるべの古い石が残っている。葭簀張りの休茶屋もある。千住
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大正九年の秋であった。一日深川の高橋から行徳へ通う小さな汚い乗合のモーター船に乗って、浦安の海村に
冬さえまた早く尽きようとするころであった。或日、深川の町はずれを処定めず、やがて扇橋のあたりから釜屋堀の岸づたいに歩み
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隅田川の両岸は、千住から永代の橋畔に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには
いた六阿弥陀詣を試みたことがあった。わたくしは千住の大橋をわたり、西北に連る長堤を行くこと二里あまり、南足立
古い石が残っている。葭簀張りの休茶屋もある。千住へ行く乗合自動車は北側の堤防の二段になった下なる道を走っ
、忽ち方向を異にし、少しく北の方にまがり、千住新橋の下から東南に転じて堀切橋に出る。橋の欄干に昭和六
西新井橋の人通りは早くも千住大橋の雑沓を予想させる。放水路の流れはこの橋の南で、荒川
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荒凉の気味が身に迫るのを覚えた。わたくしは東京の附近にこんな人跡の絶えた処があるのかと怪しみながら、乗合いの
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放ちながら、礫を打つようにぱっと散っては消える。曳舟の機械の響が両岸に反響しながら、次第に遠くなって行く。
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行く。かくの如き好景は三、四十年前までは、浅草橋場の岸あたりでも常に能く眺められたものであろう。
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を聳かしている。この処は、北は川口町、南は赤羽の町が近いので、橋上には自転車と自動車の往復が烈しく、わたくし
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堤の南は尾久から田端につづく陋巷であるが、北岸の堤に沿うては隴畝と水田が
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合している。ところどころ桜の若木が植え付けられている。やがて西新井橋に近づくに従って、旧道は再び放水路堤防の道と合し、橋際に
には川口と北千住の間を往復する乗合自動車と、また西新井の大師と王子の間を往復する乗合自動車とが互に行き交っている。
西新井橋の人通りは早くも千住大橋の雑沓を予想させる。放水路の流れは
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江北橋の北詰には川口と北千住の間を往復する乗合自動車と、また西新井の大師と王子の間を往復
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北の方にまがり、千住新橋の下から東南に転じて堀切橋に出る。橋の欄干に昭和六年九月としてあるので
堀割が綾瀬川の名残りではないかと思っている。堀切橋の東岸には菖蒲園の広告が立っているからである。下流には
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忽ち方向を異にし、少しく北の方にまがり、千住新橋の下から東南に転じて堀切橋に出る。橋の欄干に昭和六年
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(例)隅田川
隅田川の両岸は、千住から永代の橋畔に至るまで、今はいずこも散策の
が築かれて、放水路の水は、短い堀割によって隅田川に通じている。
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船はいつか小名木川の堀割を出で、渺茫たる大河の上に泛んでいる。対岸は土地が
わたくしは小名木川の堀割が中川らしい河の流れに合するのを知ったが、それと共
葛西志』を繙いた。これによって、わたくしはむかし小名木川の一支流が砂村を横断して、中川の下流に合していた事
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橋という長い橋がかけられている。その長さは永代橋の二倍ぐらいあるように思われる。橋は対岸の堤に達して、
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期して、その夜は空しく帰路を求めて、城東電車の境川停留場に辿りついた。
地に雑草のはびこる外、一叢の灌莽もない。境川は既に埋められてその跡は乗合自動車の往復する広い道になっている
た。露伴先生の紀行によると、明治三十年頃、境川の両岸には樹木が欝蒼として繁茂していた事が思い知られる
。この支流は初め隠坊堀とよばれ、下流に至って境川、また砂村川と称せられたことをも知り得た。露伴先生の紀行
紙屑や新聞紙が捨ててあるようになった。乗合自動車は境川の停留場から葛西橋をわたって、一方は江戸川堤、一方は浦安の方
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わたくしはこの堀割が綾瀬川の名残りではないかと思っている。堀切橋の東岸には菖蒲園の