蓼喰う虫 / 谷崎潤一郎

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地名一覧

関東

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、しかしこう云う南国的な海辺の町の趣は、決して関東の田舎にはない。そう云えばいつぞや常陸の国の平潟の港に

行っても壁の色がうつくしい。老人の説だと、関東は横なぐりの風雨が強いので、家の外側はみな板がこいの下見に

女を往々町で見かけることが珍しくないのを思えば、関東の人が浄瑠璃劇を見るのと違って、西国の人は案外自分の身辺

倫敦

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もう二十年ばかりになります、―――千九百九年に、倫敦にいた時会ったのが最後でした、手紙は始終やりとりをしてい

四条

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くらいな小さな都市がいい。大阪は勿論、京都でさえも四条の河原があんな風に変って行く世の中に、姫路、和歌山、堺、西宮、

四国

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ものだろうよ。やっぱり旅をして面白いのは、上方から四国、中国、―――あの辺の町や港を歩くことだね」

満洲

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た。戦争で国を追われて、露西亜にも居、満洲にも居、朝鮮にも居、そのあいだにいろいろの言葉を覚えたとか

大阪

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松竹が金を出しゃあしない。こんな物こそむずかしく云うと大阪の郷土芸術なんだから、誰か篤志家が出て来なけりゃあならないん

「でも大阪の芸術に感心していらっしゃるんじゃないの? まあ大阪に降参しちゃった

大阪の芸術に感心していらっしゃるんじゃないの? まあ大阪に降参しちゃったようなもんだわ」

「あたしも大阪の芸術には降参しちゃったわ。たった一と幕だけでお父さん以上に降参

宵闇に蝙蝠の飛ぶ町のありさまを、―――昔の大阪の商人町を胸にえがいた。風通か小紋ちりめんのようなものらしい着附

「どうしてもいい。大阪に用があるんだけれど、今日でなくっても差支えない」

をどうして家へ連れて行くかが問題だな、大阪まで汽車で、それから自動車ででも行くか」

頭が冴えてしまっておちおちと睡れない。一週に一度大阪の事務所へ顔を出す日に、夫がわざと気を利かして子供と一緒に

は一日空けてあるんです、その積りで昨日の午後に大阪の用を済まして来たんだから」

起りはざっと二年も前のことである。或る日大阪から帰って来ると、ヴェランダで妻と相対している見馴れない一人の客

老人の道楽が、ちょっと羨ましくないこともなかった。聞けば大阪の通人なぞのあいだでは、好きな芸者を道連れに仕立てて、毎年淡路の

「昔は大阪の天満橋の橋詰から淀川通いの船が出た。その船宿のあった所

それがこの頃は地唄になって、週に一度ずつ、わざわざ大阪の南の方に住んでいる或る盲人の検校の許まで二人で稽古に行く

。殊に大都会よりも昔の城下町くらいな小さな都市がいい。大阪は勿論、京都でさえも四条の河原があんな風に変って行く世の中に、

でしまえば永久にこの技術は亡びるであろう。天狗弁は大阪へ出て文楽の楽屋を手伝っているけれど、仕事というのは昔からある

たことじゃあないさ。昔はみんなああだったんで、大阪あたりじゃつい近年までその習慣が残っていたあね。今でも京都の旧家

「聞く人が聞くと、淡路浄瑠璃と云っていくらか大阪とは違うんだそうだが、わたしなんかには分らないね」

の前とか、伊勢音頭とか、ああ云う物はなかなか大阪とは違っていて面白いそうだよ」

て来たのであった。たとえば玉藻の前なぞは、大阪では普通三段目だけしか出さないけれども、此処では序幕から通して

の着せ方にも依るのであろう。と云うのは、大阪のに比べて目鼻の線が何処か人間離れがして、堅く、ぎごちなく出来

来て人形の身の丈が、―――殊にその首が、大阪のよりもひときわ大きく、立役なぞは七つ八つの子供ぐらいはありそうに

八つの子供ぐらいはありそうに思える。淡路の人は大阪の人形は小さ過ぎるから、舞台の上で表情が引き立たない。それに胡粉を

それに胡粉を研いてないのがいけないと云う。つまり大阪では、成るべく人間の血色に近く見せようとして顔の胡粉をわざとつや消し

反対に出来るだけ研ぎ出してピカピカに光らせる淡路の方では、大阪のやりかたを細工がぞんざいだと云うのである。そう云えば成る程、此処

上下にも動き、赤眼を出したり青眼を吊ったりする。大阪のはこんな精巧な仕掛はありません、女形の眼なぞは動かないのが

人は自慢をする。要するに芝居全体の効果から云えば大阪の方が賢いけれども、この島の人たちは芝居よりもむしろ人形そのもの

たのである。なんでもその前から、見物席が大阪の太夫ということに反感を持つらしい土地ッ児と、そうでないものと

「近々にまた大阪に用があるんだけれど、此方が何とか極まるまでは行きたくない、

アナタ方自身デカタヲ附ケルマデ遠ザカッテイルノヲ賢明ダト信ジタノデス。実ハ大阪ヘ行ク用モアルノダガ、ソレデ出発ヲ差シ控エテイマス。行ッテモ今度ハ寄ラナイデ

「たしか大阪の、何とか云う検校さんじゃあなかったんですか」

五条

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、もう今の世では流行らなくなってしまったものを五条あたりの古着屋だの北野神社の朝市などから捜して来ては、その埃

南禅寺

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「あのうな、南禅寺へ電話をかけておくれでないか、―――二人で行くから、静かな

須磨

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…あなたがいらっしゃれば行きますし、………でなければ須磨へ行ってもいいんです」

「須磨の方にも約束があるのかね?」

お互の気づまりな道中が思いやられた。それに、「須磨へ行くのは明日でもいい」と妻はそう云っているものの、多分

かかった時分には、妻と阿曽とが腕を組み合って須磨の海岸をぶらついている影絵が彼の脳裡に描かれていたので、

「あのう、須磨から奥様にお電話でございます」

「今日は須磨へは行かなくってもいいんですか」

へは姿を見せないようになり、美佐子の方から「須磨へ行く」ことになったのであった。

しまって、あのまま今以て曖昧模糊。美佐子は相変らず須磨へ出かける。僕は京都の老人のお供で淡路へ来ている。そして大いに見せつけ

必ずしも面あてにそうした訳ではないが、美佐子が須磨へ出かけた留守に「ちょっと神戸へ買い物に行って来る」と、身軽な運動

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河原があんな風に変って行く世の中に、姫路、和歌山、堺、西宮、と云ったような町は、未だに封建時代の俤を濃く残し

大江山

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足だのが舞台一面に散乱する。奇抜な方では大江山の鬼退治で、人間の首よりももっと大きな鬼の首が出る。

大井川

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ことがある。―――ほれ、『宿屋』の次が大井川の川留めで、あれから深雪が川を渡って、駒沢のあとを追いながら東海道

妹背山

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いう奴を見なけりゃあ話にならない、明日の出し物は妹背山だそうだから、こいつはちょっと見物だろうよ」

ロンドン

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たのか二百ドルが鐚一文も負からない、この本は目下ロンドンにだって二部とはない、それを負けろなんてお前が無理だと抜かすんだ

鹿ヶ谷

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もうこれっきり来ないであろうとも思えたからだった。鹿ヶ谷の方に隠居所を作って茶人じみた生活をしている六十近い年寄りと

「さあ、この辺は知らないが、鹿ヶ谷の近所の山にいくらだってあるでしょう」

淀川

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平凡なようだが、じっと身にしみて聞いていると淀川の水の音がひびくようだと云う。

明石

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いる。ぼんやり眺めていたあいだに、いつのまにか明石の舟別れの段が済み、弓之助の屋敷も、大磯の揚屋も、摩耶ヶ

箱根

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所でぐっすり眠りを貪りたさに、一と晩どまりで箱根や鎌倉へ出かけて行っては、それこそほんとうに心置きなく、日頃の疲れを

「箱根や塩原がいいなんて云ったって、日本は島国の地震国なんだから、あんな景色

鎌倉

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ぐっすり眠りを貪りたさに、一と晩どまりで箱根や鎌倉へ出かけて行っては、それこそほんとうに心置きなく、日頃の疲れを十分に

亜米利加の場末へ行ったような貧弱なビルディングである。たとえば鎌倉のような町が関西にあったとしたら、奈良ほどには行かないと

塩原

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「箱根や塩原がいいなんて云ったって、日本は島国の地震国なんだから、あんな景色は何処

江戸

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概して野暮なものであるのに、この唄には何処か江戸の端唄のような意気なところのあるのが、上方に降参したようで

飛鳥山

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にかさのある風呂敷包みを持参している。明治初年の飛鳥山へでも行ったならば、花見時には定めしこんな光景が見られたで

宝塚

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「午から弘君を連れて宝塚へでも出かけようかって云ってましたぜ」

文楽座

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もすすめればお久も口を添えたので、この間の文楽座の印象もあり、その淡路浄瑠璃につい好奇心が動いたのであった。「

」は人形より外にはないかも知れない。彼女は文楽座の二重舞台の、瓦燈口の奥の暗い納戸にいるのかも知れ

梅田

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夫婦はそんなふうに別々の心を抱いて阪急の豊中から梅田行きの電車に乗った。三月末の彼岸ざくらが綻びそめる時分のことで

自分の鼻先へ屏風を立ててしまうのである。二人は梅田の終点で降りて別々に持っている回数券を渡して、申し合わせたように二三

「此処からだと、梅田から汽車で行った方が早いでしょうか」

横浜

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彼女を知ってからでもすでに十年以上になる。まだ横浜が地震で今のようにならなかった時分、彼女は山手と根岸とに邸

兵庫

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船が兵庫の島上へ着いたのはまだ昼前の十一時ごろであったが、要

浜松

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「ふん、そうかそうか、かどわかされて、それから浜松の小屋になる。―――とすると『真葛ヶ原の段』と云うのが

の段も済んでしまったらしく、今やっているのは浜松の小屋のようだけれど、日はまだ容易にかげりそうなけはいもなく、天井

文句に聞き覚えはあるけれど、その螢狩りや舟別れやこの浜松の小屋の段やを見るのは初めてであった。しかしこの物語は時代物の

関西

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一緒に斯波家へ持って来ているのである。そして関西へ移ってからは土地の風習に従って一と月おくれの四月の三

のどかである。別に特長のある町ではないが、関西は何処へ行っても壁の色がうつくしい。老人の説だと、関東は

ような貧弱なビルディングである。たとえば鎌倉のような町が関西にあったとしたら、奈良ほどには行かないとしても、もっと落ち着い

前の持ち主が建てて一二年にしかならないものを、関西へ移って来た年に買い取ったので、この八畳の日本間はその

道頓堀

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と二人きりで外を歩く場合の、―――此処から道頓堀までのほんの一時間ばかりではあるが、お互の気づまりな道中が思いやられ

じゃあないんだよ。文楽座は焼けちまったんで、道頓堀の弁天座という小屋なんだそうだ」

。阿曽も事情は認めているにしろ、彼女が夫と道頓堀へ出かけたと聞いたらとにかく愉快である筈はない。真に已むを得ない

たが、夫は電話で委しく教わったものと見えて、道頓堀のとある芝居茶屋を訪ねて、そこから仲居に送られて行くのである。

道頓堀の夜の灯の街へ吐き出されたとき、美佐子はほっとしたように云っ

の中に彼女の横顔が収まるのを見届けてから、再び道頓堀の人波の中へ引っ返して行った。

神戸

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ない筈のことをそうハッキリと云うまでもないから、「神戸へ買い物に行く」という言葉の裏に「阿曽に会いに行く」と

それを思いはしたけれども、実は夕方、「ちょっと神戸まで買い物に」といって彼女が出かけて行ったのを、恐らく阿曽に

「神戸で飯を食って行こうか、子供は犬がいるんだから先へ帰る

を受け取ったらじいやを連れて先へお帰り、小父さんは神戸に用があるそうだし、………」

も小父さんと一緒だ。小父さんは実は、久しぶりで神戸のすき焼がたべたいと云うんで、これから三ツ輪へ出かけるんだ

から飼っているコリー種の牝で、去年の五月に神戸の犬屋から買った時にちょうど花壇に咲いていた牡丹に因んで名

「あ、そう云えばお父さん、昨日神戸から連れて来る時に、この犬を見ておかしなことを云った人が

「これ? これは肝臓のソーセージ。神戸の独逸人の店のよ」

必要でなかったからだけれども、その頃彼女は退屈しのぎに神戸へ仏蘭西語の稽古に行っていて、そこで友達になったらしい話し

朝の八時頃、神戸行きの船が客を乗せている桟橋のところで、要は二人の順礼

、いつも両方に女を五六人ずつは置いていた。神戸のこの家もその頃から別荘のようになっていたばかりでなく、

べく挨拶に出て来たのである。彼女はまだ、神戸へ来てから三月にはならないと云っていた。戦争で国

なら巴里へ行ったって相当に蹈めるぜ、こんな女が神戸あたりにうろついていようとは思わなかった」と、或る時彼に案内さ

ではないが、美佐子が須磨へ出かけた留守に「ちょっと神戸へ買い物に行って来る」と、身軽な運動服のいでたちで出て、

京都

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ゆうべ京都の妻の父から、「明日都合がよかったら夫婦で弁天座へ来るように

身動きが取れなくなる。たとえばこの頃の妻の行為がありのままに京都の父親にでも知れたら、いかに物分りのいい老人でも世間の手まえ娘

父もうっとうしいけれども、それよりお久がいやであった。京都生れの、おっとりとした、何を云われても「へいへい」云って

研ぎ出しの提げ重の抽出しへ入れて、飲み物から摘まみ物までわざわざ京都から運んで来るのでは、茶屋に取っても有り難くない客であろうが

彼女が笑うと、京都の女が愛らしいものの一つに数える茄子歯が見えた。二枚の

と、思わずにはいられなかった。この調子だと京都の老人の茶人ぶりも馬鹿には出来ない。更に十年も立つうちに

を固守するまでもないのだけれど、実を云うと、京都が近くなったために毎年父親が節句になるとその人形をなつかしがって

あろう。彼女は初節句の祝いに人形好きの父親が特別に京都の丸平で拵えてくれた古風な雛を、結婚の時道具と一緒に

盲人の検校の許まで二人で稽古に行くのである。京都にも相当の師匠はあるのに大阪流を習うというのは、それ

たいであろうに、それを辛抱しているのはさすがに京都生れであると、要はときどき感心もすれば、この女の心の作用

時分、その頃の蔵前の住居と云うのは、今の京都の西陣あたりの店の構えと同じように、表通りは間口の狭い格子造りに

以て曖昧模糊。美佐子は相変らず須磨へ出かける。僕は京都の老人のお供で淡路へ来ている。そして大いに見せつけられている。美佐子

「へえ、―――蕗のとうがたべたいお云やすけど、京都では市場へ行たかておへん、だあれもあの苦いもんようたべる人

も昔の城下町くらいな小さな都市がいい。大阪は勿論、京都でさえも四条の河原があんな風に変って行く世の中に、姫路、和歌山

ても、もっと落ち着いた、しっとりとした趣があろう。京都から西の国々の風土は自然の恵みを授かることが深く、天の災

だが、実際ありゃあいい考だね。江戸っ児に云わせると京都の人はしみッたれだと云うけれど、出先でまずい物を喰うよりその

つい近年までその習慣が残っていたあね。今でも京都の旧家なぞだと、お花見なんかには小僧に弁当と酒を提げさし

「京都ではよく女がそうしているじゃないか」

「うん、そう。そのうちに是非京都へ見に来て貰いましょう、今度こそいいのを手に入れるから」

わざわざ京都の老人にまで知らせてやった今になっても、まだ子供には

「ええ、―――京都へ行く前になさる? 後になさる?」

「明日にも御入洛待上候と云うんだから、京都を先になすったらどう? 此方へやって来られると面倒だし、

栂の柱が年相応のつやを持ち出して、これからそろそろ京都の老人の気に入りそうな時代が附いて来るのである。要は

背広服に着かえてから、着物と一緒にふところから落ちた京都の老人からの手紙を拾って上衣の内隠しへ収めた。が、紙入れの

和歌山

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四条の河原があんな風に変って行く世の中に、姫路、和歌山、堺、西宮、と云ったような町は、未だに封建時代の俤

奈良

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たとえば鎌倉のような町が関西にあったとしたら、奈良ほどには行かないとしても、もっと落ち着いた、しっとりとした趣

徳島

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なくなった。今人形師と名のつく者は阿波の徳島在に住んでいる天狗久と、その弟子の天狗弁と、由良の港

、帰り道には福良から船で、鳴門の潮を見て徳島へ渡り、天狗久にも会って来ようと云うのである。

で、いい加減にするつもりだが、―――とにかく福良から徳島へ渡って、それから帰ります」

先日は失礼致候。あれより予定の通り阿波の鳴門徳島を経て去月二十五日帰洛、二十九日御差立の貴札昨夜披見致候

巴里

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露西亜生れの女とは自由に露西亜語で話した。「巴里へ行けば私は一と月で仏蘭西人と同じようにしゃべってみせる」

だ浅黒い皮膚のつやであった。「君、この女なら巴里へ行ったって相当に蹈めるぜ、こんな女が神戸あたりにうろついていよう

のある者をこうして置くのは勿体ない話だ、巴里やロス・アンジェルスへ行っても立派に一本立ちが出来るし、堅儀

たことはなかったのである。彼の頭には「巴里へ行ってもこの女なら相当に蹈める」と云った友達の評価

東京

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上を膝でずっている裾さばきの※の下から、東京好みの、木型のような堅い白足袋をぴちりと篏めた足頸が一寸ばかり

」云っている魂のないような女であるのが、東京ッ児の彼女と肌が合わないせいもあるであろう。が、お久と

。そこへ行くと上方の方は浄瑠璃でも地唄でも東京のように撥を激しく打つけない。だから余韻と円みがあると云う

までにしないと表わすことが出来ないような感情なら、東京人はむしろそんなものは表わさないで、あっさり洒落にしてしまう。要は

なることは免れられない。とにかく義太夫の語り口には、この東京人の最も厭う無躾なところが露骨に発揮されている。いかに感情の

云うやり方を不作法であり、無躾であるとする。それだけ東京人の方がよく云えば常識が円満に発達しているのだが、

ような大阪人の心やすさを、東京人は持ち合わせない。東京の人間はそう云うやり方を不作法であり、無躾であるとする。それだけ

た店を尋ねたりするような大阪人の心やすさを、東京人は持ち合わせない。東京の人間はそう云うやり方を不作法であり、無躾で

には、鼻持ちがならない気がしていた。ぜんたい東京の人間は皆少しずつはにかみ屋である。電車や汽車の中などで知らない

ためには思う存分な事をする流儀が、妻と同じく東京の生れである彼には、鼻持ちがならない気がしていた。

の夢に近かった。そして嫌いなものの中でも、東京の芝居や音曲にはさすが江戸人のきびきびとしたスマートな気風が出

が抜け切れない、と云うところにあるかも知れない。東京の下町に育った彼が下町の気分を嫌う筈はなく、思い出とし

「今度は少し東京に用があるんだ、君ん所にも五六日はいるつもりだが

あるが、しかし要にその真似はやれないのである。東京人の見えや外聞を気にする癖がそう云うところへまで附いて廻っ

地方長官なら夫だけが外国へ行っていたり、子供を東京の親戚へ預けたりするのがざらにあるんだし、そうでなくったって

「困るなあ、君は。江戸っ児の癖に東京の三越を知らないなんて。それだから大阪弁がうまい訳だよ」

「だって小父さん、東京にいたのは僕が六つの時ですもの」

もうそうなるかねえ、早いもんだね。それきり君は東京へ行かないのか」

てくれるためなら、無論行きたくないことはない。が、東京から帰る汽車の中でこの小父さんが何を云い出すかも知れない。

ながら、弘は少し青ざめた顔でにやにやしていた。東京へ連れて行くと云う話は、偶然ここで持ち上ったに過ぎないので

「小父さんはどうしても東京へいらっしゃる用があるんですか?」

「ええ、今度は東京へ行くもんだからね。………お気に召したのがあれば

「弘には宿題をやらせましょうよ。そうして東京へ連れて行って下さらない?」

「まあ、まあ、今夜弘君を連れて東京へ行って来るよ」

たら、ここはさすがに晴れやかで、享楽的である。多くの東京人がそうであるように孰方かと云えば出不精の方で、

ではあるが、時には三味線に合わせてもうたう。東京ではあの唄のことを上方唄と云うのだと、母が教えた

の縁側が見えた。………だが、その時分の東京の下町は、今から思うと何と云う静かさだったであろう。おぼろ

老人は得意の色をつつむことが出来ないのである。東京時代に一中節の素養があるせいか、地唄のけいこはほんの近年の

「東京だってみんながみんな食べる訳じゃあありませんがね。―――それで

しまうから全体が非常にきたない。トタン屋根にバラックの今の東京は論外として、近県の小都会など、古ければ古いなりに一種の

「春の休みに一緒に東京へ行ったでしょう、あの時に」

ソレカラ、僕ハアナタ方ニ隠シテイタコトガアリマス。ト云ウノハ、イツゾヤ東京ヘ行ッタ時弘君ニ話シテシマッタノデス。………ソウ云ウ訳デ、結果

ないくらい小さな釜の、周りの鉄の焼けて来るのが東京風のゆっくりとした木製の湯槽に馴れた者には肌ざわりが気味悪く

長いこと」ではあった。尤も二三箇月前に弘が東京へ行っていた折、何年振りかに二人ぎりで二た晩か

蔵前

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とき、一瞬間遠い昔の母のおもかげが心をかすめた。蔵前の家から俥の上を母の膝に乗せられて木挽町へ行った五

ふと思い出したことがあった。子供の時分、その頃の蔵前の住居と云うのは、今の京都の西陣あたりの店の構えと同じ

日本橋

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と、要は引っ返して日本橋の方へ、こころもち急ぎ足で行く彼女のあとに追いつきながら、

ないかも知れない。要の家は四五年してから日本橋の方へ移ったので、彼が彼女を垣間見たのは後にも

人形町

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のんびりとした心持になって、こんなことは幼い時分に人形町の水天官で七十五座のお神楽を見た以来であると思ったが