蘆刈 / 谷崎潤一郎

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地名一覧

明石

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であった。あの「霧に漕ぎ入るあまのつり舟」という明石の浦の御歌や「われこそは新島守よ」という隠岐のしまの御歌などいん

加茂

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のではないか。なんにしても木津、宇治、加茂、桂の諸川がこのあたりで一つになり、山城、近江、河内、伊賀

吉野

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つれてあるくことなどはござりませなんだ。しかしあるとき吉野へ花見にまいりましたせつに晩にやどやへつきましてからお遊さん

伊賀

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がこのあたりで一つになり、山城、近江、河内、伊賀、丹波等、五カ国の水がここに集まっているのである。むかしの

熊野

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ことが記してあり、そのほかにも小観音、薬師、熊野、鳴渡などという名が伝わっているがそれらの水の上の女ども

丹波

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あたりで一つになり、山城、近江、河内、伊賀、丹波等、五カ国の水がここに集まっているのである。むかしの『澱

関西

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のあるなつかしいもののようにうかんでくる。それでいて関西の地理に通じないころは何処か京都の郊外であるらしくかんがえながらはっきりところを

難波

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(例)難波

いとゞ難波のうらはすみうき

摂津

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気もなかったのであるがその御殿の遺跡は山城と摂津のくにざかいにちかい山崎の駅から十何丁かの淀川のへりにあって

山崎は山城の国乙訓郡にあって水無瀬の宮趾は摂津の国三島郡にある。されば大阪の方からゆくと新京阪の大山崎でおりて逆に

、蓋シ典薬寮味原樹、掃部寮大庭ガ庄ナリ、摂津ノ国ニ到レバ神崎蟹島等ノ地アリ、此門連戸、人家絶ユルコトナク、

大阪

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あって水無瀬の宮趾は摂津の国三島郡にある。されば大阪の方からゆくと新京阪の大山崎でおりて逆に引きかえしてそのおみやのあと

大都会の一部にへんにゅうされたけれども、しかし京と大阪の間は気候風土の関係が阪神間のようなわけには行かないらしく田園都市や

方の京都を中心とする山城の平野と西の方の大阪を中心とする摂河泉の平野とがここで狭苦しくちぢめられていてそのあいだを

てそのあいだをひとすじの大河がながれてゆく。されば京と大阪とは淀川でつながっているけれども気候風土はここを境界にしてはっきりと

けれども気候風土はここを境界にしてはっきりと変る。大阪の人の話をきくと京都に雨が降っていても山崎から西は

でいるだけに一層優長なおもむきがあっていまどき京と大阪のあいだにこんな古風な交通機関の残っていたことが意外でもあり、とんだ

で通行のように仕立てたコートを着ている。失礼ながら大阪からおいでになりましたかと言葉のふしぶしに京よりは西のなまりが

西のなまりがあるのでたずねると、さようでござります、大阪の南の方にささやかな店を持ちまして骨董をあきなっておりますという

。時に、と、こんどはわたしが尋ねた、あなたは大阪のお方であればこのへんの地理や歴史にお委しいことと存じます、

何年の昔のことでござりましてそのころは京や大阪の旧家などでは上女中には御守殿風の姿をさせ礼儀作法は申すまでも

、「そうかいなあ」とか「そうでっしゃろなあ」とか大阪言葉でいっている語尾だけが庭の方へこだましてまいりますので、

でござります。で、そのお遊さまという人はもと大阪の小曾部という家のむすめでござりましてそれが粥川という家へ器量

ましたものか町人にそぐわないようでござりますけれども、大阪も船場あたりの家になりますと奉公人の礼儀作法がめんどうでござりましていろいろ格式

にあるような世界のなかにいたわけでござりますが大阪の小曾部の家とわたくしの父の家とはその時分からだんだんびろくいたし

河内

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の諸川がこのあたりで一つになり、山城、近江、河内、伊賀、丹波等、五カ国の水がここに集まっているのである。

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のいちばん奥の方にすわっておりまして生憎とすすきや萩のいけてあるかげのところに※がかくれておりますのでわたくしどもの方

道頓堀

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で父は妹の夫婦、わたくしの叔父叔母にあたります人と道頓堀の芝居に行っておりましたらお遊さんがちょうど父のまうしろの桟敷に

江戸

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をおつかわしになったりした院の御様子はどこか江戸の通人に似たようなふしもあるではないか。それにまた情趣に

京都

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。それでいて関西の地理に通じないころは何処か京都の郊外であるらしくかんがえながらはっきりところをつきとめようという気もなかったので

など、嵯峨あたりの郊外と似通っていてまだここまでは京都の田舎が延びて来ているという感じがする。

にしてはっきりと変る。大阪の人の話をきくと京都に雨が降っていても山崎から西は晴れていることがあり冬

を見るとおのずから合点されるのである。ひがしの方の京都を中心とする山城の平野と西の方の大阪を中心とする摂河泉の

東京

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。見も知らぬ人がこういう風に馴れ馴れしく話しかけるのは東京ではめったにないことだけれどもちかごろ関西人のこころやすだてをあやしまぬばかり

隅田川

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なふしもあるではないか。それにまた情趣に乏しい隅田川などとはちがってあしたにゆうべに男山の翠巒が影をひたしそのあいだを

わたしは幼年のころ、橋場、今戸、小松島、言問など、隅田川の両岸に数寄をこらした富豪の別荘が水にのぞんで建っていた