痴人の愛 / 谷崎潤一郎
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このピンク色は、熊谷の紹介に依ると青山の方に住んでいる実業家のお嬢さんで、井上菊子と云うのでした。
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で適当な借家を捜しに歩きました。私の勤め先が大井町でしたから、成るべくそれに便利な所を選ぼうと云うので、日曜日に
に落ち合い、そうでない日はちょうど会社の退けた時刻に大井町で待ち合わせて、蒲田、大森、品川、目黒、主としてあの辺の郊外
・ブラウンさんの奥さんでいらっしゃいます。―――この方は大井町の電気会社に出ていらっしゃる河合譲治さん、―――」
、八時頃に会社を出ました。いつものように大井町から省線電車で横浜へ行き、それから汽車に乗り換えて、鎌倉へ降りたの
、分ったら何処へお知らせしましょう? あなたはこの頃、やっぱり大井町の会社ですか?」
私はその後、計画通り大井町の会社の方は辞職をし、田舎の財産は整理してしまって、学校
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だの、ワイシャツや洋服の裂を売る店だの、わざわざ横浜まで出かけて行って、支那人街や居留地にある外国人向きの裂屋だのを
「この方は横浜のジェームス・ブラウンさんの奥さんでいらっしゃいます。―――この方は大井町の
彼女は下品に見え、模様が派手であればあるだけ、横浜あたりのチャブ屋か何かの女のような、粗野な感じがするばかりでし
を出ました。いつものように大井町から省線電車で横浜へ行き、それから汽車に乗り換えて、鎌倉へ降りたのは、まだ十時
と、『泊る所なんか幾らもあるわよ。あたしこれから横浜へ行くわ』ッて、ちっともショゲてなんかいないで、そのままスタスタ新橋の方
「横浜と云うのは、誰の所なんです?」
奇妙なんですよ、いくらナオミさんが顔が広いッて、横浜なんかに泊る所はないだろうから、ああ云いながら多分大森へ帰ったんだろうと
そうだが、僕は京浜電車にしますよ、彼奴が横浜にいるんだとすると、省線の方は危険のような気がするから
「大森だって危険区域でないこともない、横浜があるし、花月園があるし、例の曙楼があるし、………
男が、五年も十年も立ってから、或る日横浜の埠頭に立つと、そこに一艘の商船が着いて、帰朝者の群
「その横浜の、マッカネルと云う男かね?」
「東京にはないけれど、横浜にはあるわよ。横浜の山手にそう云う借家がちょうど一軒空いている
「東京にはないけれど、横浜にはあるわよ。横浜の山手にそう云う借家がちょうど一軒空いているのよ、この間ちゃんと
私たちは、あれから横浜へ引き移って、かねてナオミの見つけて置いた山手の洋館を借りましたけれども
にしてあります。私は朝の十一時頃に、横浜から東京に行き、京橋の事務所へ一二時間顔を出して、大概夕方の四
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「それじゃ僕も京浜にしましょう。―――だけどもいずれ、ナオミさんはああ云う風に四方
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へ連れて行こうか、鎌倉がいいかね、それとも箱根かね」
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じゃあどうしましょう? これからずっと海岸へ出て、川崎の方へ行って見ましょうか」
までぶらぶら歩いてしまいましたが、それから間もなく、川崎の町の或る牛肉屋へ上り込んで、ジクジク煮える鍋を囲みながら、また「松
と、川崎の町を歩きながら、私は云いました。
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「なあに、扇ヶ谷に関の叔父さんの別荘があるんだよ。今日はみんなでそこへ引っ張っ
そう云われれば関の叔父さんの別荘と云うのが、扇ヶ谷にあったことを私は思い出しました。
は、矢張熊谷と遊びたかったからなのだそうです。扇ヶ谷に関の親類が居ると云うのは真っ赤な嘘で、長谷の大久保の別荘
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に青空を仰いで誰に憚ることもなく、その得意のナポリの船唄、「サンタ・ルチア」を甲高い声でうたいました。
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「じゃ、近いうちに涼しい処へ連れて行こうか、鎌倉がいいかね、それとも箱根かね」
ナオミがしきりに「鎌倉へ連れてッてよう!」とねだるので、ほんの二三日の滞在のつもりで
鎌倉では長谷の金波楼と云う、あまり立派でない海水旅館へ泊りました。
。なぜかと云って、その汽車の中には逗子や鎌倉へ出かける夫人や令嬢が沢山乗り合わしていて、ずらりときらびやかな列を作って
男がそんな気分を味わうことが出来ただけでも、あの鎌倉の三日間は決して無駄ではなかったのです。
てしまう訳ですから、ナオミが十五の歳の八月、鎌倉の海辺に立った時に、どう云う風な体格だったか、一と通り
てやることなら何事に依らず器用でした。水泳などは鎌倉の三日を皮切りにして、あとは大森の海岸で毎日一生懸命に習って
なかろう。もはやナオミも三年前のナオミではない。あの鎌倉へ行った時分とは訳が違うから、彼女を立派に盛装させて社交界
「譲治さん、今年の夏は久振りで鎌倉へ行かない?」
「そうよ、だから今年は鎌倉にしましょうよ、あたしたちの記念の土地じゃないの」
?―――まあ云って見れば新婚旅行に出かけたのは鎌倉でした。鎌倉ぐらいわれわれに取って記念になる土地はない筈でした。あれ
まあ云って見れば新婚旅行に出かけたのは鎌倉でした。鎌倉ぐらいわれわれに取って記念になる土地はない筈でした。あれから後も毎年
。あれから後も毎年何処かへ避暑に行きながら、すっかり鎌倉を忘れていたのに、ナオミがそれを云い出してくれたのは、
大森の家に戸じまりをして、月の初めに二人は鎌倉へ出かけました。宿は長谷の通りから御用邸の方へ行く道の、植
約束で借り、七月一杯は居たのだけれど、もう鎌倉も飽きて来たから誰でも借りたい人があるなら喜んで貸す。杉崎
「だけど鎌倉なら、毎日汽車で通えるじゃないの、ね、そうしない?」
「だけど鎌倉にもダンスはありますよ。今夜も実は海浜ホテルにあるんだけれど、
「冷やかされたっていいじゃないの、人が折角鎌倉へ来たのに、邪魔に来る方が悪いんだもの。―――」
して幸福でした。そして最初の計画通り、私は毎日鎌倉から会社へ通いました。「ちょいちょい来る」と云っていた関の連中も
から省線電車で横浜へ行き、それから汽車に乗り換えて、鎌倉へ降りたのは、まだ十時には間のある時分でしたろうか。毎
で己を担いでいたのだ! それでナオミは鎌倉へ来たがったのだ!―――私の頭は暴風のように廻転し
高い靴を穿いているのだけが分りました。彼女は鎌倉の宿の方へ、マントや靴を持って来てはいないのですから
私が推察した通り、彼女が鎌倉へ来たがったのは、矢張熊谷と遊びたかったからなのだそうです。
三日目の朝、会社へ行くような風を装って鎌倉を出ましたが、どうしたら証拠を得られるか、散々汽車の中で
だんだん聞くと、私たちが鎌倉へ引き移ってから、彼とナオミとは此処で三度も密会していると
前後に来て、十一時半には帰って行く。それで鎌倉へ戻るのはおそくも午後一時頃なので、彼女がまさかその間に
「ナオミがこの夏、鎌倉へ行きたがったのは、君と相談の結果なのじゃないでしょうか?」
。―――私は会社をそこそこにして、大急ぎで鎌倉に帰って来ました。
鎌倉の一と夏はこんな始末で散々な終りを告げ、やがて私たちは大森の住居
でしたが、それが最後に爆発したのは、ちょうど鎌倉を引き払ってから二箇月の後、十一月の初旬のことで、ナオミが未だ
少々ばかり云いましょうか、―――あなたは一体、この夏鎌倉にいらしった時分、ナオミさんに幾人男があったと思います?」
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が、今度会社から洋行を命ぜられ、その送別会が築地の精養軒で催されたことがありました。私は例に依って義理一遍に出席
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ナオミは下から熊谷の顔を見上げて、
と、ナオミは熊谷を振り返って、
このピンク色は、熊谷の紹介に依ると青山の方に住んでいる実業家のお嬢さんで、井上菊子
そう云って熊谷は、ぷっと吹き出したくなるのを我慢しながら、
私はこの、熊谷の言葉が又癪に触りました。「踊ってやんな」とは何と
と、熊谷がゲラゲラ笑いました。
最後の電車に間に合うように新橋へ歩いて行きました。熊谷も浜田も女連と一緒に、銀座通りをぞろぞろと繋がりながらその辺まで私たちを
閑散であった大森の家には、浜田や、熊谷や、彼等の友達や、主として舞蹈会で近づきになった男
た入梅の季節の、或る晩のことでした。浜田と熊谷が遊びに来て、十一時過ぎまでしゃべっていましたが、外は非常
蚊帳が吊れると、熊谷は中を透かして見ながらそう云いました。
どしんと熊谷は地響を立てて、着物のまんま真っ先にもぐり込みました。
まん中の布団にふん反り返って膝を立てている熊谷の右側に、洋服の浜田はズボンと下着のシャツ一枚で、痩せた体
、熊谷はわざと眠そうな声を出しました。私は熊谷の左側に寝ころびながら、三人がしきりにべちゃくちゃ云うのを黙って聞いてい
そう云う熊谷の声がしました。
ように股を開いて枕の上にどっかと腰かけ、上から熊谷を見おろしながら云うのでした。
と云いながら、やがて熊谷は寝返りを打ちました。
そう云ったのは熊谷で、煙草に火をつけて、すぱッと口を鳴らしながら吸い出しました。
の鼻先に、一方は私の鼻先にあるのです。そして熊谷はと云うと、その八の字の間へ首を突っ込んで、悠々と敷島
と、浜田も熊谷の尾に附いて云って、
雨の音、風の響き、隣りに寝ている熊谷の鼾、………私はそれが耳について、ついとろとろとした
この後自分は、彼女に対し、彼女に寄りつく浜田や熊谷や、その他の有象無象に対し、どんな態度を執るべきだろうか? 自分
それは到底忍び得ないに極まっています。或は浜田や熊谷などが引き取ると云うかも知れませんが、学生の身で、私がさ
が、そんなに長く話をしながら浜田と熊谷の名前だけは、故意にか、偶然にか、不思議に彼女は云いません
見ると、それは熊谷でした。たった今海から上ったらしく、濡れた海水着がべったりと胸に
そして熊谷は海に向って手を挙げながら、
と、熊谷が云いました。
そう云いながら、熊谷は直ぐに立とうとはしないで、脚を伸ばしてどっかり浜へ腰を据え
ナオミも浜田も熊谷も、一としきり黙り込んでしまったので、私はどうもそう云わなければ
その晩は久しぶりで賑やかな晩飯をたべました。浜田に熊谷、あとから関や中村も加わって、離れ座敷の八畳の間に六人
「ふん、又熊谷に冷やかされるぜ」
私は宿のかみさんが、熊谷の名を知っているのみか、「熊谷さんの若様」などと彼を
底から、高い所をガヤガヤ笑いながら通って行くナオミや、熊谷や、浜田や、関や、その他無数の影を羨ましそうに見送っている
ばかりのところでした。その大久保の別荘というのに、熊谷と二人きりでいるのか、それとも例の御定連と騒いでいるの
屋敷の感じで、こんな所にこんな宏壮な邸宅を持った熊谷の親戚があろうなどとは、思えば思うほど意外でした。
「ハテナ、裏の方にでも熊谷の部屋があるのじゃないか」
その二階が熊谷の居間であることを知るには、たった一と目で十分でした。なぜかと
小屋の前から波打ち際へ降りて行きました。浜田に熊谷に関に中村、―――四人の男は浴衣の着流しで、そのまん中
ぴしゃッとナオミが、平手で熊谷の頬ッぺたを打ちました。
云うのは真っ赤な嘘で、長谷の大久保の別荘こそ、熊谷の叔父の家だったのです。いや、そればかりか、私が現に借りて
か、私が現に借りているこの離れ座敷も、実は熊谷の世話なのでした。この植木屋は大久保の邸のお出入りなので、
た。この植木屋は大久保の邸のお出入りなので、熊谷の方から談じ込んで、どう話をつけたものか、前に居た人に
と、彼女が始めて下検分に来た折には、熊谷の「若様」と一緒にやって来て、あたかも「若様」の一家
ことはしませんから。私は決してこの事に就いて、熊谷の方へ談じ込む気はないんです。事実を知りたいだけなんです」
。そう考えると再び私は分らなくなって、果してナオミと熊谷とが怪しいかどうかさえ、疑問になってしまうのでした。
あると云ったのはどう云う訳だい? 関と熊谷とどう違うんだい?」
「おい! お前は熊谷と関係があったんだろう? 正直のことを云っておしまい!」
私は彼女が熊谷に通牒したりすることを恐れて、書簡箋、封筒、インキ、鉛筆、万年筆
いる大森の家へ行って見ようと決心しました。もし熊谷と関係があるなら、無論夏から始まったことではない。大森へ行って
じゃないんです、ナオミさんに鎌倉行きをすすめたのは熊谷なんです」
そうです、今ナオミさんを一番自由にしている男は熊谷なんです。僕はナオミさんが熊谷を好いているのを、とうからうすうす
している男は熊谷なんです。僕はナオミさんが熊谷を好いているのを、とうからうすうすは感づいていました。けれども一方
ました。けれども一方僕と関係していながら、まさか熊谷ともそうなっていようとは、夢にも思っていなかったんです。
いたんですよ。………そうして君は、熊谷とそうなっているのをいつ発見したんです?」
僕はその後ナオミさんに話したんです。そして是非とも熊谷と切れてくれろと云ったんです。僕はおもちゃにされるのは厭だ
なかろうと思います。ナオミさんは飽きッぽいたちですし、熊谷の方だってどうせ真面目じゃないんです。あの男は僕なんかよりずっと狡猾な
ような気持にさせられました。そしてそれだけ、一層熊谷が憎くなりました。熊谷こそは二人の共同の敵であると云う感じを
ました。そしてそれだけ、一層熊谷が憎くなりました。熊谷こそは二人の共同の敵であると云う感じを強く抱きました。
んですよ。僕はナオミさんと絶交するか、でなけりゃ熊谷と喧嘩をするのが当り前だのに、それが僕には出来ないんです
を棚に上げてこんなことを云うのも可笑しいですが、熊谷は悪い奴ですから、注意なさらないといけませんよ。僕は決して恨みが
。僕は決して恨みがあると云うんじゃないんです。熊谷でも関でも中村でも、あの連中はみんな良くない奴等なんです
を許していない。会社へ行っても依然として熊谷のことが心配になる。留守の間の彼女の行動が気になる余り、
の後、十一月の初旬のことで、ナオミが未だに熊谷と関係を断っていないと云う動かぬ証拠を、私が発見した時
行動を少しも緩めずにいた結果、或る日彼女と熊谷とが、大胆にもつい大森の家の近所の曙楼で密会した帰り
が曙楼へ這入って行き、それから十分ぐらい後れて熊谷がそこへやって来たのを確かに見届けて置いてから、やがて彼等
帰りもやはり別々で、今度は熊谷が居残ったらしく、一と足先きにナオミの姿が往来へ現れたのは
「これはきっと熊谷の所だ、彼奴の所へ逃げて行ったんだ」―――そう気
中るのでした。そうだ、やっぱりそうだったんだ、熊谷の所へ行く積りだから、あんなに荷物を持って行ったんだ。或は
するとこれは中々むずかしいかも分らんぞ。第一己は熊谷の家が何処にあるのかも知らない。それは調べれば分るとして
それと、ハッキリ分ってくれればいい。そうすれば己は熊谷の親に談判して、厳しい干渉を加えて貰う。たとい彼奴が親の意見
をくよくよと考える。どうしたら居所が突き止められるか、事実熊谷と逃げたかどうか、彼奴の家へ談判するにも其奴を確かめた上
来て貰うには及ばないんだ。その暇があったら熊谷の方を探って貰う方がいいんだ。この際何より肝要なのは
貰う方がいいんだ。この際何より肝要なのは熊谷の動静を知ることにある。浜田だったら手蔓があるから直きに報告を
「熊谷ばかりじゃありません、いろんな男が五六人も一緒で、中には西洋人
……どうかしてナオミの居所を知りたいんです。熊谷の所にいるんだか、それとも誰か外の男の所にいる
「僕はテッキリ熊谷の所だと思っていたんです。実は君だからお話しますが、
だからお話しますが、ナオミは未だに僕に内証で、熊谷と関係していたんです。それがこの間バレたもんだから、とうとう
には全く見当が付かなくなっちゃったんです。でも熊谷に会って下されば大概の様子は分るだろうと思うんですが、………
「いや、ナオミさんには会やしません。僕は熊谷の所へ行って、すっかり様子を聞いて来たんです。そしてあんまりヒド過ぎる
ん。尤も最初、あなたと喧嘩をした日には、熊谷の所へやって来たそうです。それも予め電話をかけて、コッソリ訪ね
『まあお上り』とも云う訳に行かず、さすがの熊谷も弱っちゃったと云っていました」
「それで仕方がないもんだから、荷物だけを熊谷の部屋に隠して、二人でともかくも戸外へ出て、それから何でも
「けれども、それはおかしいな。熊谷の奴、嘘をついているんじゃないかな、―――」
です。ところが更に驚くことには、―――これは熊谷の観察ですが、―――ナオミはあの晩泊りに行くまで、そのマッカネルと
『このお嬢さんは一体何処の人ですか』ッて、昨夜熊谷に聞いたそうです」
、何とも云えないイヤな気持になるのでした。熊谷ならばまだしものこと、性の知れない西洋人の所へなんぞ出かけて行っ
現に昨夜は僕もその場に居合わせたんだし、大体熊谷の云うことは本当だろうと思われるんです。まだこの外にもお話すれ
が未だに曙楼へ行くのだとすれば、ちょうど今頃熊谷を連れて出て来ないとも限らないし、例の毛唐と京浜間を
「さあ、僕の知っている限りでは、君と熊谷だけだけれど、まだその外にもあったんですか?」
恐らく一番迷惑したのは植木屋のかみさんだったでしょうよ。熊谷の義理があるもんだから、出てくれろとも云う訳に行かず、そう
ました。尤もそれは嘘じゃないので、ナオミさんと熊谷とはガサツな所が性に合ったのか、一番仲よくしていました
か、一番仲よくしていました。だから誰よりも熊谷が巨魁だ。悪いことはみんな彼奴が教えるんだと思ったので、ああ
「さあ、これからどんどん堕落して行くばかりでしょうね。熊谷の話じゃ、マッカネルの所にだって長く居られる筈はないから、二三日
「へえ、熊谷と絶交した?」
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覚えていませんが、とにかくその時分、彼女は浅草の雷門の近くにあるカフエエ・ダイヤモンドと云う店の、給仕女をしていたの
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、或る電気会社の技師でした。私の生れは栃木県の宇都宮在で、国の中学校を卒業すると東京へ来て蔵前の高等工業へ
「ええ、親戚でも何でもありません。僕は宇都宮の生れですが、あれは生粋の江戸ッ児で、実家は今でも
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ナオミの体は全く芸術品となり、私の眼には実際奈良の仏像以上に完璧なものであるかと思われ、それをしみじみ眺めて
、足の蹠までも写してあり、さながら希臘の彫刻か奈良の仏像か何かを扱うようにしてあるのです。ここに至って
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、女はと見れば野暮臭い娘時代の俤はなく、巴里の生活、紐育の贅沢に馴れたハイカラな婦人、二人の間には既に
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ことは覚えていませんが、とにかくその時分、彼女は浅草の雷門の近くにあるカフエエ・ダイヤモンドと云う店の、給仕女をして
浅草の千束町のような、あんなゴミゴミした路次の中に育ったので、
、毎年の例で私は帰省することになり、ナオミを浅草の実家へ預け、大森の家に戸締りをして、さて田舎へ行って
の周りの物は入れてあるから、これを持って今夜浅草へ帰っておくれ。就いては此処に二十円ある。少いけれど当座の小遣い
いいじゃないか。詫まるのかい? それとも浅草へ帰るのかい?」
女の士官が兵隊を訓練しているようで、いつか浅草の金竜館で見たことのある「女軍出征」を想い出しました。練習生
ナオミとは水入らずの二人きりで、毎晩のように浅草へ出かけ、活動小屋を覗いたり帰りには何処かの料理屋で晩飯をたべ
「女中もあたし、浅草の家へ頼みますから、そんな田舎の山出しなんか断って頂戴、あたしが使う
、東京駅からきっと自動車で行っただろう。そうだとすると浅草の家へ着いてから五六時間は立っている筈だ。彼女は実家の
もないので、もうたまりかねて家を飛び出し、急いで浅草へ駈け付けました。一刻も早く彼女に会いたい、顔さえ見れば安心
僕がそう云ってやったんですよ、これから直ぐに浅草に帰って、人を寄越せッて。―――誰かあなた方が来て
「家は浅草の銘酒屋なんですよ、―――彼奴に可哀そうだと思って、今まで
「来ないでもいい、己の方から浅草の家へ届けてやるから」
「浅草へ届けられちゃ困るわ、少し都合があるんだから。―――」
「今月中に取りに来なけりゃ、己は構わず浅草の方へ届けるからな、―――そういつまでもお前の物を置い
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宇都宮在で、国の中学校を卒業すると東京へ来て蔵前の高等工業へ這入り、そこを出てから間もなく技師になったの
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生れは栃木県の宇都宮在で、国の中学校を卒業すると東京へ来て蔵前の高等工業へ這入り、そこを出てから間もなく技師
母親の前を好い加減に云い繕って、予定を早めて東京へ着くと、もう夜の十時過ぎでしたけれど、いきなり上野の停車場から
ないから、予定を切り上げて来ちまったんだよ。やっぱり東京が一番だなア」
は、その年の冬のことでした。まだその時分、東京にはダンス・ホールがそう沢山なかったので、帝国ホテルや花月園を除いたら
からもう帰ろうや。これから行って一と休みして、東京へ帰ると日が暮れるぜ」
や。―――なあ、浜田、もう帰ろうや、帰って東京で何か喰おうや」
、あれは生粋の江戸ッ児で、実家は今でも東京にあるんです。当人は学校へ行きたがっていたのに、家庭の
になったりするものですが、私の母は、私が東京へ行ってから後も、私を信じ、私の心持を理解し、私
夫婦に頼み、とにかくみんなの云う言を聴いて一と先ず東京へ出て来ました。
都会の空気が厭になった、立身出世と云うけれども、東京に出て唯徒らに軽佻浮華な生活をするのが立身でもなし、
ません。それと云うのが、田舎へ引っ込むか、断然東京に蹈み止まるか、その決心がつきませんから、私は未だに下宿
か、―――まあ云って見れば、田舎の親父が東京へ出て、或る日偶然、幼い折に家出をした自分の娘と
「そんな家が東京にあるかね?」
「東京にはないけれど、横浜にはあるわよ。横浜の山手にそう云う借家
てあります。私は朝の十一時頃に、横浜から東京に行き、京橋の事務所へ一二時間顔を出して、大概夕方の四時
が、それも普通の安い寝台ではありません。或る東京の大使館から売り物に出た、天蓋の附いた、白い、紗のような
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と云ったら、夕方から活動写真を見に行くとか、銀座通りを散歩するとか、たまたま奮発して帝劇へ出かけるとか、せいぜいそんな
決してありません。電車の中や、帝劇の廊下や、銀座通りや、そう云う場所で擦れ違う令嬢のうちには、云うまでもなくナオミ
たべ、時間があれば例の如く活動写真を覗いたり、銀座通りをぶらついたりして、彼女は千束町の家へ、私は芝口の下宿
て由比ヶ浜の海水浴場へ出かけて行って、前の晩にわざわざ銀座で買って来た、濃い緑色の海水帽と海水服とを肌身に着け
積んだからもうそろそろよかろうと云うので、始めて私たちが銀座のカフエエ・エルドラドオへ出かけたのは、その年の冬のことでした。
歩いて行きました。熊谷も浜田も女連と一緒に、銀座通りをぞろぞろと繋がりながらその辺まで私たちを送って来ました。みんなの
から何かが追い駆けて来るような心地で、私はどんどん銀座の方へ逃げ伸びました。
です。夕方までは其処にいたけれど、それから一緒に銀座を散歩して、尾張町の四つ角で別れたんだそうです」
「盛んにダンス場へ出入りしているに違いないから、銀座あたりは最も危険区域ですね」
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た時刻に大井町で待ち合わせて、蒲田、大森、品川、目黒、主としてあの辺の郊外から、市中では高輪や田町や
始めから西洋人に就いた方がよかろうと云うので、目黒に住んでいる亜米利加人の老嬢のミス・ハリソンと云う人の所へ、
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の退けた時刻に大井町で待ち合わせて、蒲田、大森、品川、目黒、主としてあの辺の郊外から、市中では高輪や
、「さよなら」と云いさま、「松浅」の前を品川の方へ、電車にも乗らずにてくてく歩いて行きました。
、決して近寄りませんでした。或る晩あまり退屈なので品川の方まで歩いて行った時、時間つぶしに松之助の映画を見る気になっ
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な所を選ぼうと云うので、日曜日には朝早くから新橋の駅に落ち合い、そうでない日はちょうど会社の退けた時刻に大井町
が云うのを、ようようなだめて最後の電車に間に合うように新橋へ歩いて行きました。熊谷も浜田も女連と一緒に、銀座通りを
のもう一つ左の四つ角へ出て、そこを私は新橋の方へ歩いて行きました。………と云うよりも、
私はいつの間にか新橋を渡り、芝口の通りを真っ直ぐにぴちゃぴちゃ泥を撥ね上げながら金杉橋の方まで
わ』ッて、ちっともショゲてなんかいないで、そのままスタスタ新橋の方へ行くんだそうです。―――」
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したらいいか分りませんでしたが、二三年前に上野の音楽学校を卒業した或る婦人が、自分の家でピアノと声楽を
へ着くと、もう夜の十時過ぎでしたけれど、いきなり上野の停車場からナオミの家までタクシーを走らせました。
「上野の平和博覧会でさ、ほら、万国館で土人が踊ってるだろう? 己
で、私はそれを会社で受け取ると、すぐその足で上野へ駈けつけ、日の暮れ方に田舎の家へ着きましたが、もうその時
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しては“English Echo”を習い、文典の本は神田乃武の“Intermediate Grammar”を使っていて、先ず中学の三年ぐらい
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は自然と海岸へつきあたります。その出はずれの角にある大久保さんの御別荘が、熊谷さんの御親戚なのでございます。――
た。十時がやっと廻ったばかりのところでした。その大久保の別荘というのに、熊谷と二人きりでいるのか、それとも
奥まった玄関の方へ砂利を敷き詰めた道があり、「大久保別邸」と記された標札の文字の古さと云い、ひろい庭を囲ん
も、実は熊谷の世話なのでした。この植木屋は大久保の邸のお出入りなので、熊谷の方から談じ込んで、どう話を
の親類が居ると云うのは真っ赤な嘘で、長谷の大久保の別荘こそ、熊谷の叔父の家だったのです。いや、そればかりか
「大久保さんの別荘には全体誰がいるんですね?」
「あの大久保の別荘ですか?」
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が今度はほんとうによく分ったのです。彼女が始めて由比ヶ浜の海水浴場へ出かけて行って、前の晩にわざわざ銀座で買って来た
二本の木の柱で、柱と柱の間から、由比ヶ浜に砕ける波が闇にカッキリと白い線になって見え、強い海の香
「………四名の悪漢を引率いたして、由比ヶ浜の海岸から………」
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私は朝の十一時頃に、横浜から東京に行き、京橋の事務所へ一二時間顔を出して、大概夕方の四時頃には帰っ