武州公秘話 01 武州公秘話 / 谷崎潤一郎
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倍加した彼は、身をかわしながら床の間に駈け上ると、八幡大菩薩の軸を背中にして構えた。此の位置が彼を有利に導いたと
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は将軍家の口添えの結果であった。元来薬師寺の家と筑摩の家とは数年以来矛盾に及んで双方の間に合戦が止む時なく
分けても男の子を、立派な武士に取り立てゝ貰って、筑摩の家系を絶やさないようにすることが一つの目的だったのであるから
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、去んぬる弘治三年の秋薬師寺家の家老馬場和泉守石山本願寺の勢を頼みて主家を横領しければ、淡路守政秀公父祖代々の領地を
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「名のれ。―――己は桐生武蔵守輝国の嫡子、河内介輝勝」
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此の場合、一人と一人では生捕りにする餘裕はない。河内介は拠んどころなく刃の先を相手の咽喉にあてながら、
の快味を喫する人の、意地のわるい笑いである。河内介は、一方にそう云う恐ろしい執念を持つ夫人を考え、一方に、彼女の
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よく縦坑の縁に息を凝らしていた。此の、善光寺の地獄めぐりにも似た彼の辛抱強い努力が漸く報いられる機会に恵まれた
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伝曰。上杉謙信。居常愛少童。又曰。福島正則。夙有断袖之癖。老而倍※太甚。終至失家亡身
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を始めてから一と月にも垂んとする。恃む所は京都の方の形勢に変化が起って、自然と敵が囲みを解くように
が身に沁みた長袖の亜流に過ぎない。いったい当時の京都の武士は将軍家を始めとして皆幾らかずつ公卿の感化を受け、
の際に陣中に於いて病を得、囲みを解いて京都に帰ったが、それから十日ばかり後に油小路の館に於いて病歿
ないので、同じように気味悪がった。彼等は京都の方に政変が起ることを唯一の頼みにして闘っていたの