細雪 01 上巻 / 谷崎潤一郎

細雪のword cloud

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平安神宮

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折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。そして、その時の都合で、悦子と二人の妹

、行事はその日でおしまいになる。彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残して置くのは、この神苑の花が洛中に於け

北詰に来て一と休みした後、タキシーを拾って平安神宮に向った。

が、それを読むと俄に興が動いて、先日、平安神宮で詠みさしたまま想が纏まらないでしまったものを、暫く考えて次の

平安神宮にて花の散るを見て

大阪

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ではその間にお宅さんのことを調べた模様で、大阪の御本家のこと、御分家のお宅さんのこと、それから御本人のこと

あるまいか。お宅さんは旧家でおありになるし、大阪で「蒔岡」と云えば一時は聞えていらしったに違いないけれども、―

いったい辰雄は銀行家の忰で、自分も養子に来る迄は大阪の或る銀行に勤めていたのであり、養父の家業を受け継いでからも

解消したかの如くであったが、運悪くそれが大阪の或る小新聞に出てしまった。而も妙子を間違えて、雪子と出、

、幸子の夫の貞之助は、計理士をしていて毎日大阪の事務所へ通い、外に養父から分けて貰った多少の資産で補いをつけ

―「こいさん」とは「小娘さん」の義で、大阪の家庭で末の娘を呼ぶのに用いる普通名詞であるが、その時奥畑

門に立つな」と云う諺まであって、町人の多い大阪では昔から嫌う風があるので、ほんに雪子ちゃんの縁遠いのもそのせい

は、主人側は井谷と井谷の二番目の弟の、大阪の鉄屋国分商店に勤めている村上房次郎夫妻、―――この房次郎が先方の

阪神の香櫨園に所帯を持ちましたんですが、主人は大阪の或る会社に勤めていまして、月給が九十円、外にボーナスが幾ら

一方では大いにチャッカリしておりまして、この間一緒に大阪へ参りました時、電車の切符を買ってくれと云って蝦蟇口を渡しまし

お伺いせんならんのですけど、今日用事があって大阪まで参りましたので、そのついでに、奥さんよりは御主人の方がお

はなかったが、井谷はその間にも蘆屋へ一度と大阪の事務所へ一度催促に見え、こう云う話は早いに越したことはございませ

労力を費している訳で、この間じゅう蘆屋の宅や大阪の事務所へ足を運んだ回数だけでも少くはない。美容院の経営には

その数日後、幸子は大阪の三越へ進物にする呉服物を調えに行き、それを持って岡本へ廻っ

五人あるのだけれども、一番上が男の子で、目下大阪の某学校に行っており、二番目のが女の子で、これは年頃になっ

「はあはあ、長男が大阪の学校へ行ってはって、長女がもう直き嫁に行かはる年頃で、…

の稽古も捨てられないと云って、一週に一度ずつ大阪の山村の稽古場に通っていたので、幸子は暫くこの妹とおちおち顔

な気がしていた。彼女は本家が妹たちを大阪へ呼び寄せたがっていることを知っているので、決して手元へ引き留めるつもりはない

「うち、やっと仕事が済んだよってに、大阪へ帰って、当分毎日舞の稽古に通おう思うてるねん」

蘆屋に家を持ってからは、大阪にいた時のようには年始の客も来ず、まして二人の妹たち

ごぜえます』と聞えるねんわ。そんで、うち、『わたし大阪です』云うてしもてん」

話が停頓していた十一月の末の或る日、大阪の桜橋交叉点のところで、陣場夫人に行き遇って二三十分立ち話をした

「来月とはえらい急な話やないか。―――大阪の家はどないするのん」

して、生れてからまだ一遍も離れたことのない大阪の土地を、三十七と云う年になって離れなければならない辛さを、

わが胸に云い含めているのだけれども、住み馴れた大阪の土地に別れを告げると云うことが、たわいもなく悲しくて、涙さえ出

今もそのまま持っているところがあった。で、今時大阪の中流階級の夫人が、三十七歳にもなっていて一度も東京を見

は事実東京へ行ったことがないのであった。尤も大阪では、家庭の女が東京の女のように旅行などに出歩かないのが

に行く暇がなかったせいもあるが、一つには大阪程よい土地はないと云う風に考え、芝居は鴈治郎、料理は播半かつる

な追憶を持っている訳であった。で、姉の大阪に対する郷土愛の中には、その家への執着が余程多くを占めている

妙子達とよくそんな蔭口をきくのであるが、でも大阪の家が全然なくなると云うことは、幸子としても生れ故郷の根拠を

になったことがあったが、その時は辰雄が、大阪の土地を去りにくい家庭の事情があることを訴え、月給は上らなくとも現在

たのではなかったけれども、何となく、永久に大阪に定住出来るように思い込んでいたのであった。従って、今度のこと

せいでもあり、一つには、辰雄自身、今度は大阪を離れても地位の昇進を望む気持になっていたせいでもあった

ていると、姉は又電話をかけて来て、いつ大阪へ帰って来られることか分らないけれども、さしあたりこの家へは「音やん

で上京する、辰雄もその時は前日の土曜日からかけて大阪へ帰って来、出発の当夜駅頭に於いて改めて親戚知友の見送りを受ける、

今まで一度も見えたことのない叔母が、暑い日ざかりに大阪から出て来たのには何か用件があることと察し、その用件も

の問題であった。―――つまり、今までは本家が大阪だったから、二人の妹たちが彼方此方へ往ったり来たりもよかったけれども

た間にちょっと一晩戻っただけで殆ど寄り着かず、大阪の方へは全然帰らずじまいであったのは、―――何よりも

のような場合に、二人が本家へ附いて来ないで大阪に居残ると云うのは、世間体が悪く、むずかしく云えば兄としての体面

命ぜられて五六年英国に滞在し、つい二三箇月前に大阪の本社へ呼び戻されたばかりの男で、妙子は彼が最近帰朝した噂

引っ越しを済ませたこと、東京の借家普請と云うものは大阪のよりは遥かに粗末で、殊に建具が悪く、襖などがとても安手でひどい

のようになりバリバリ音がするのですが、こんなことは大阪では経験がありません、東京も旧市内だといくらかしのぎよいそう

はどうやら鼻風邪の程度で済んでいます、しかしこちらは大阪に比べると埃が少く空気の清潔なことは事実にて、その証拠には着物

けれども、わりに汚れませんでした。兄さんのワイシャツが大阪では三日で汚れますが、此方では四日間は大丈夫です

帰って来ることがしばしばあった。姉に云わせると、大阪の家庭で煖房と云うことがそろそろ普及し出したのは大正の末期頃で

つばめ』やないねん、『かもめ』やねん。………大阪までお春が迎いに行くねん。………」

行ったげなさいて。………ふん、ふん、………大阪九時頃やわ。………こいちゃん行く?………そんならお春

「ふん、大阪と違うて、どんなことしても誰も何とも云うもんはあれへんし

に似合うもんを着ると云う風やさかい、そう云う点は大阪よりもええ云うてるわ」

、もともと、夫婦があれほど離れるのを嫌がっていた大阪の土地を離れて、東京へ出る決心をした動機は、兄さんが出世慾

居すわる料簡になったのであろう。それと云うのが、大阪にいればこそ家名や格式を気にする理由もあるけれども、東京へ来

一つ当惑したことが起った。と云うのは、大阪へ帰る陣場夫婦が自動車で貞之助達を蘆屋まで送って行き、そこから自分達

大沢

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大沢の池の堤の上へもちょっと上って見て、大覚寺、清涼寺、

道成寺

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便りがあった時、たまたま妙子が悦子のために菊五郎の道成寺の人形を拵えて来たので、幸子がふっと思いついて、

南禅寺

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で、常例としては、土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊

有馬

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にすればよかったのに、バスで六甲越えをして有馬へ行った。尤も帰りは神有電車で帰ったのであったが、その夜

小松山

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、水面に影を落して渡るところ、栖鳳池の西側の小松山から通路へ枝をひろげている一際見事な花の下に並んだところ、など

愛宕

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早いけれども、香川景樹の嶺夕立、―――夕立は愛宕の峰にかかりけり清滝河ぞ今濁るらん、の懐紙を床に掛けて貰っ

七条駅

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大原にも、清水にも、方々に心を残しながら、七条駅に駈け付けたのはその日の五時少し過ぎであった。

大覚寺

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大沢の池の堤の上へもちょっと上って見て、大覚寺、清涼寺、天竜寺の門の前を通って、今年もまた渡月橋の

名古屋

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話だと、姉が彼女を呼び寄せたのは、義兄の名古屋の実家まで夫婦で暇乞いに行くことになったので、彼女に留守を頼む

している。何のためのお習字かと云うと、名古屋で辰雄の実家を始め親戚廻りをして、方々でもてなしに与ったについ

ましょうと思うと、一層気が張るのであろう、いつも、名古屋の義姉に手紙を書こうと云う時は、字引や書翰文範を机の左右に

に対して何の悪感情も持ってはいない、ただ、名古屋の旧家に生れた人で、考え方が非常に律義なので、今度のよう

して、姉や雪子は、知らぬ土地へ来て、名古屋側の親戚の、而も目上の人の家に厄介になっているのでは

仁和寺

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二十丁の坂路を明るいうちに下った。帰りに御室の仁和寺の前を通ったので、まだ厚咲きの桜には間があることが

箱根

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幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行った時に、箱根の旅館で食い物の好き嫌いの話が出、君は魚では何が一番好き

道玄坂

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に頼み八方へ手分けして大急ぎで捜して貰い漸く渋谷の道玄坂に一軒見つかりました。借家普請の新建ちで二階が三間に階下

、閑静で上品な土地柄であること、それでいて道玄坂まで出れば繁華な商店街があり、映画館なども幾軒かあるので、子供達

平戸

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ている暇に、又庭へ降りて行って、今度は平戸の花の萎んだのを摘みはじめた。此処の平戸は四五日前に真っ盛り

丸の内

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な片田舎へ遣られでもすることか、東京のまん中の丸の内へ勤務することになって、勿体なくも天子様のお膝元へ移住すると云う

辰雄は七月一日から丸の内の店に出勤するので、六月末に先に立って行って、当分

心斎橋筋

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小芸術品は次第に愛好者を呼び集め、去年は幸子の肝煎で心斎橋筋の或る画廊を借りて個展を開いた程であった。彼女は最初、本家

嵐山

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、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、

関西

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ので、東京の人達は奇異に感じるであろうが、関西では、未年の女は運が悪い、縁遠いなどと云い、殊に町人の女房

昨日突然出ていらしったんだけれど、この方、あんまり関西を御存知ないのよ。それで私が専ら案内役を承ったんで、何か

久し振に姉妹四人が水入らずでくつろぎ、ゆっくりと関西に於ける名残の時を惜しもうと云うのであった。それで、その間

―何よりもその問題に先手を打って、自分達は関西に居残りたいのだと云う意志表示をしている積りなのであった。

て、懐しい気がしますよ。………こいさんは関西に居残りですか」

損ずる原因があるとは思われないから、結局これは、関西の生活が恋しい、まあ云ってみれば、郷愁病のようなものであろうと

ので、可哀そうにもいじらしくもなって来て、それほど関西がよいのなら、いっそ好きなようにさしてやろうかと、考えることもある

、妙子の身柄はそう問題にされず、今以て関西に居残って暮しているとしたら、………自分一人馬鹿を見た、

にも一寸話してみましたが、現金なもので、関西へ行けるとなったら見合いのことも直ぐ承知しました、そして今朝から急に

一般に、関西の雛の節句は一と月おくれにする習慣で、本当はまだ一箇月早い

「もう関西はお水取が始まってるさかいにな」

は、口に出してこそ云わないけれども、半歳ぶりに関西の土地へ戻ることが出来たうれしさ、―――蘆屋の家の応接間に、

阪神

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た者がございますの。それが近頃結婚しまして、阪神の香櫨園に所帯を持ちましたんですが、主人は大阪の或る会社に勤め

夙川

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所から三十分もかからずに行ける、同じ電車の沿線の夙川の松濤アパートの一室を借りた。本家の兄は妙子が職業婦人めいて来る

た。それに、上本町の本家と、蘆屋の分家と、夙川のアパートとで、そう一々、妙子が何時に彼方を出たから何時に

て、もうそのことが忘れられた時分、或る日妙子が夙川へ行っている留守に、奥畑がひょっこり訪ねて来て、「奥様にお目

していて、もう一箇月も前から毎日の大部分を夙川のアパートで暮していたが、その間に又、舞の稽古も捨てられ

妙子の話だと、この白系露人キリレンコの一家は夙川の松濤アパートの近所の、上下で四間ぐらいしかない小さな文化住宅に、老母

た立ち姿を製作すべく熱中していたが、妙子が夙川へ出向かない時は蘆屋の家へ押しかけて来て指導を受けたりしてい

豊橋

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状態などをよく知っていると云う訳であった。そして豊橋の三枝家ならば格式から云っても申分はないし、現在の蒔岡家に

いくら資産家の跡取で生活の保証はあるにしても、豊橋と云うような地方の小都会で暮すことは淋しさに堪えられない気が

豊橋市

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熱心に彼女に結婚をすすめた口があった。それは豊橋市の素封家の嗣子で、その地方の銀行の重役をしている男で、

巴里

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は聞いたことあれへなんだ。―――本店は巴里にあって、大資本の会社やねんてなあ」

「ふん、大阪外語の仏語科出て、巴里にもちょっとぐらい行てはったことあるねん。会社の外に夜学校の

得てそう云う堅人によくあるものだが、その人も巴里を見て来た反動でか、奥さんは純日本式の美人に限る、

理由はないと云うのが、矢張ほんとうらしく思える。それは巴里にも行っていたのだし、四十を越してもいることだから

肉附、洋服やネクタイの好み等々に至る迄総て平凡な、巴里仕込みと云うところなどは微塵もない代りには、嫌味のない、堅実な

「瀬越さんは、巴里には何年ぐらいおいでになりました」

のが嫌になると申しますけれども、瀬越君はすっかり巴里と云う所に幻滅を感じて、猛烈なるホームシックに罹って帰って来た

「大概な人が巴里へ行くと、帰るのが嫌になると申しますけれども、瀬越君は

「巴里に行って、却って日本のよさが分って帰って来る。―――

云って、意外な事を洩らしたのは、―――巴里時代に百貨店の売り児をしていた或る仏蘭西の婦人と云い交した

神戸

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「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」

はお母さん一人だけ。それかて田舎に住んではって、神戸へは出て来やはれへんねん。当人は四十一歳で初婚や云やはる

井谷と云うのは、神戸のオリエンタルホテルの近くの、幸子たちが行きつけの美容院の女主人なので

「きっとや、お母ちゃんとこいちゃんは神戸でお父さんが待ってはるさかい、晩の御飯たべに行くけれど、姉ちゃんは帰っ

てから、有馬方面へハイキングに出かけた貞之助と落ち合って、神戸で晩飯をたべる約束になっていたのであるが、雪子はその方

て眼を欹てた。日曜の午後のことなので、神戸行の電車の中はガランとしていたが、姉妹の順に三

帰りましたらお廻し致しますと云う挨拶である。今日は神戸まで車で直行するとして、五時三十分に出さえすればきっちり

に郷里から出て参りまして、わたくしの監督を受けながら神戸の女学校を卒業しました者がございますの。それが近頃結婚し

で悦子が家にいることを慮って、幸子はそのまま神戸へ出、オリエンタルホテルのロビーへ行ってもう一度お茶を飲みながら、会見

妙子の個展は今度は神戸の鯉川筋の画廊を借りて三日間開催され、阪神間に顔のひろい幸子

の西洋人の行かんような汚い家ほどおいしい云うて、神戸では此処が一番や云うねん」

て、姉たちを面白がらせた。妙子はその日、神戸の元町へ買い物に出た帰りにユーハイムでお茶を飲んでいると、

「ママさん神戸へ買い物に行きました」

「わたし、今ママと神戸で会って一緒に帰って来たんです。それからこの人、――

も知れない、と、又そう思い直したので、或る日神戸へ買い物に出ようとして、二階の化粧部屋で着換えをしている

を喜ぶと云った有様であった。幸子は、姉が神戸をよく知らないので、オリエンタルや南京町の支那料理屋などへも案内しよう

、南京町の支那料理屋へはよく参りますのですが、神戸にこう云う家があるとは存じませんでした」

で、この間から天気の好い日には妙子を誘って神戸へ出かけて行き、何と云うことなしに元町あたりをぶらついて帰って来

京都

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毎年春が来ると、夫や娘や妹たちを誘って京都へ花を見に行くことを、ここ数年来欠かしたことがなかった

で過ぎてしまうような心地がし、又貞之助を促して京都に出かけて、漸く御室の厚咲きの花に間に合ったような訳であっ

でも明石鯛でなければ旨がらない幸子は、花も京都の花でなければ見たような気がしないのであった。去年

、阪急電車の窓からでも幾らも眺められるので、京都に限ったことはないのだけれども、鯛でも明石鯛でなければ

夕、貞之助と幸子とは、二人だけ残ってもう一晩京都に泊った。夫婦は明くる日、幸子の父が全盛時代に高尾の寺の

は今日の日曜に、先月花を見に行ったばかりの京都へ、もう一度幸子を誘って新緑を見に行くつもりであったが、

ないのが普通であって、幸子以下の妹たちも、京都から東へはめったに足を伸ばしたことがないのであるが、それ

家の雛と云うのは、昔悦子の初節句の時に京都の丸平で作らせたもので、蘆屋へ移って来てからは、結局

今度は一番貞之助が熱心であった。折角今迄いて、京都の花を見ずに帰るのは雪子ちゃんも心残りであろうし、毎年の

京都行きは九日十日の土曜日曜に定められたが、雪子はそれまで

京都では貞之助が、花見の雑沓の間にあっても、赤児を抱いた

福岡

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想到したことがなかった。尤も一度、八九年前に福岡の支店へ遣られそうになったことがあったが、その時は辰雄

長崎

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「此処から港町を瞰おろしておりますと、ちょっと長崎へ参ったような異国情調を感じますな」

「そうですそうです、ほんとうに長崎の感じです」

渋谷区

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借りることにきめ今度の日曜に移ることになりました。渋谷区大和田町と云う所で、電話も来月は引けるそうです。兄さんが丸ビルへ

目白

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を医学博士にまでさせ、今年の春には娘を目白に入学させたと云うだけあって、井谷は普通の婦人よりは何

東京

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を嫌う迷信は、関東あたりにはないことなので、東京の人達は奇異に感じるであろうが、関西では、未年の女は

花やかな友禅縮緬の、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物などはまるきり似合わないたちであった。

なる雪子は、こう云う席では「でございます」の東京弁で話すのがギゴチなくて、自然言葉の終りの方が曖昧になるの

実に結構なものですな。何でも彼んでも東京の真似をしますのはよくないことでございますよ、ああ云う郷土芸術

学歴 大正五年東京帝大農科卒業

ク世ヲ去リ、妹一人アリ、太田家ニ嫁シ、東京ニ住居ス

吸う時の人差指と中指の持って行きよう、―――東京弁は先ず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れ

あった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂

ではあるけれども、女学校が東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はない

成る程丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校が東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が

大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれない

気が引けて、―――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを

あった。彼女も阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こう云う夫人の前へ出ると、

物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女も阪神間の

について、近々本家は上本町を引き払い、一家を挙げて東京へ移住しなければならなくなった、と云うのである。

を耳にした。と云うのは、今度義兄が、東京の丸の内支店長に栄転するについて、近々本家は上本町を引き払い、一家を

ええか、まだちょっとも考えてえへん。―――何せ、東京に行くようなこと、夢にも思うてえへなんだよってに」

修学旅行その他の機会に、三人ながら一度か二度は東京へ行った経験を持っていた。然るに姉は、早くから家事を

ないのであった。尤も大阪では、家庭の女が東京の女のように旅行などに出歩かないのが普通であって、幸子以下

云うのは、不思議な話であるけれども、姉は事実東京へ行ったことがないのであった。尤も大阪では、家庭の女

階級の夫人が、三十七歳にもなっていて一度も東京を見たことがないなどと云うのは、不思議な話であるけれども

か、交通不便な片田舎へ遣られでもすることか、東京のまん中の丸の内へ勤務することになって、勿体なくも天子様のお膝元

、どないもあらへん。こないなったら、一日も早う東京へ行って、親類の人等びっくりさしてやらんならん、やて」

「そんで、云うことがいな、―――東京へ行く云う話が余り突然やったんで、この間じゅうは悲しいて悲しい

であるから、当人の製作態度が真面目でさえあるなら、東京に於いて又仕事部屋を持つことを許してもよいと云っている、

てからでも人形の製作に耽ることは差支えない、むしろ東京の方がああ云う仕事には便宜が多いくらいであろう。義兄も、折角

尤も仕事その物を止めさせようと云うのではないから、東京へ来てからでも人形の製作に耽ることは差支えない、むしろ東京の

人なのであるから、これを機会に本家と一緒に東京へ行くべきであると思う、ついては、雪子は別に支度をする

この叔母の話は、本家が東京へ行くことになったと聞いた日から、いずれは持ち上るであろうと予期

「東京へ行ったかて、行ききり云うことあれへんさかい、………それ、いつ

になりましたがな。―――こいさんは何で東京へ行かはれしまへんのん」

「東京へ行くのんに泣く者があるやろか云うて、笑われてますねん」

都合で解約になりました。そのことは出発の前日に東京からそう云って来て分ったのですが今更仕様がないので立って

今朝来の風の肌触り東京はもうすっかり秋ですがそちらは如何ですか、何卒御身御大切に

軒かあるので、子供達は何事も物珍しいと見え、却って東京へ来たことを喜んでいるらしいこと、秀雄も全快して今週から附近

。そして、昨日の日曜に無事引っ越しを済ませたこと、東京の借家普請と云うものは大阪のよりは遥かに粗末で、殊に建具が

忰の庄吉が、月曜の朝帰って来、蘆屋へも東京の様子を話すように云い付けられたからと、その日のうちに訪ね

そんなことで、幸子は大体東京の模様も想像出来るような気がしたが、雪子からは矢張何の

姉ちやんは東京で見るけふの月悦子

」となってい、悦子の「姉ちやんは」は「東京で見る月夜哉」となっていたのを、貞之助がこう直したの

本家を訪ねたが、子供達はもうすっかり新しい生活に馴れ、東京弁も上手になり、家庭と学校とで言葉の使い分けをする程になっ

十一月になって、貞之助は仕事のことで二三日東京へ行く用が出来たので、始めて渋谷の本家を訪ねたが、

た。が、帰って来てから、幸子との間に東京の話が出、雪子の近状を尋ねられてみると、事実を知らせる

「僕かて、雪子ちゃんがそないにまで東京を厭がってるとは思てえへんなんだ」

やこれや、いろいろやろうな。もともと雪子ちゃん云う人が、東京の水に合わん人や」

呼ぶ必要はなくなってしまった訳であったが、幸子は東京の話を聞いてからと云うもの、どうしても一度雪子の顔を

を頼みにして、一往本家の気が済むように東京まで附いて来たのであるのに、その後幸子の方で何の工作

ですが、こんなことは大阪では経験がありません、東京も旧市内だといくらかしのぎよいそうですがこの辺は高台で郊外

それらしい気分も味わず松の内もあわただしく過してしまいました、東京と云うところは冬が取り分けしのぎにくいと聞いていましたが一日と

東京へ来てからまだ一遍も手紙を上げなかったので書き出したら長くなり

今になると不思議にさえ感じられた。然るに姉は東京へ行ってまで旧弊を押し通しているらしいので、芯が丈夫な雪子だ

東京をよく知らない幸子には、渋谷とか道玄坂附近とか云われても

郷里には家屋敷が残っていない。親戚は、実妹が東京の太田某と云う薬剤師に嫁いでいる外に、姫路に叔父が二人あっ

来た時の話では、二三箇月後には妙子も東京へ呼び寄せると云うことであったのに、上京以来本家が引き続きごたごたして

「まあ、ええこと。穿き物は矢張東京やわなあ。―――」

は。―――さっき蘆屋の駅へ下りた時にやっぱり東京と違うなあ思うたわ」

、片っ方の手でそれも押えてんならんし、ほんに、東京のからッ風云うたら※やない思うたわ」

箇月しか立ってえへんのんに、本家の子達はもうちゃんと東京弁使うてるねんが。それも小さい子供ほど上手やねんで」

。―――あの時は十一月やよってに、まだ東京へ行って二三箇月しか立ってえへんのんに、本家の子達はもうちゃんと

雪子は、「大阪弁も悪くないもんだね」と云う東京弁のアクセントを上手に真似た。

の芸者で、これはもう四十以上の老妓やねんけど、東京へ行って電車に乗ったら、わざと大阪弁で『降りまッせえ』と大きな

あれへんし、気楽なとこもあるらしいねんわ。それに東京と云うとこは、女がめいめい個性を貴んで、流行云うもんに囚われん

「そのうちに一遍、あたしも東京へ連れて行って貰おう思うてるけど、渋谷の家はえらい狭いのんやて

相手をしながらゆっくり夕飯を楽しむ折があって、鯛は東京は駄目だとしても、赤身のお作りなどが食べられるのはま

ばこそ家名や格式を気にする理由もあるけれども、東京へ来てしまえば「蒔岡」などと云ったって知っている者はないの

に云えば生活難を感じ出したことにあるのだから、東京へ来た当座こそ、家の狭さを喞っていたものの、だんだん

離れるのを嫌がっていた大阪の土地を離れて、東京へ出る決心をした動機は、兄さんが出世慾を起したこと、―

「ふうん、そうかなあ。東京へ行って、すっかり姉ちゃん等人生観が変ってしもたんかなあ」

「東京へ移住したのを機会に、今迄みたいな虚栄心を捨てて大いに勤倹貯蓄

いられますようにと、祈っているのであろう。尤も東京の姉からは、まだいつ帰れとも云って来ている訳ではない

か、明かに読めるのであった。恐らく雪子は、いずれ東京へ呼び戻される日も遠くないのだと云う予感を抱いて、この庭の

東京へはあの明くる日に、見合いが済んだことだけを臥ながら一筆走らせて

てこしらえを始めた。そして、顔が出来てしまうと、東京から持って来た衣裳鞄を開けて、一番底の方に入れてあっ

、それから二三日過ぎて、四月の中旬に雪子は東京へ立って行った。

高尾

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に泊った。夫婦は明くる日、幸子の父が全盛時代に高尾の寺の境内に建立した不動院という尼寺があるのを訪ね、院主

渋谷

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の人に頼み八方へ手分けして大急ぎで捜して貰い漸く渋谷の道玄坂に一軒見つかりました。借家普請の新建ちで二階が三

で二三日東京へ行く用が出来たので、始めて渋谷の本家を訪ねたが、子供達はもうすっかり新しい生活に馴れ、東京弁も

東京をよく知らない幸子には、渋谷とか道玄坂附近とか云われても実感が湧いて来ないので、

「しかし、僕は去年渋谷で厄介になった時にそう思うたが、子供云うもんは何でああ

一遍、あたしも東京へ連れて行って貰おう思うてるけど、渋谷の家はえらい狭いのんやてなあ。一体いつ宿変えするのん」

銀座

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そう云って悦子は、銀座の阿波屋の包紙に包んである箱を取り出したが、中から出て来