青春の息の痕 / 倉田百三
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に私にはまた事件が生じました。私は今夜から鹿ヶ谷の一燈園に入って修業する決心になりました。その間の経過をお
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できなかったこともあり、そのようにして謙さんを七条に送った時には、すまないとばかり思っていましたのに、東京
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はお目にかかって、さよなら。(十一月二十六日。明石より)
私は昨日明石へ来てから初めて外出して、電車で須磨まで行き入院していられる、
明石ではまだ一人も知人がありません。君が帰られてからは未だ一人
(十二月四日。明石より)
暮らして下さい。(久保正夫氏宛 一月五日。明石より)
。いずれまた。(久保正夫氏宛 二月十日。明石より)
(久保正夫氏宛 二月二十六日。明石より)
。今年の春は知らぬ間に過ぎ去ってしまいました。明石の海も初夏らしく爽やかになりました。早く仕事を始めたく思います。「
(久保正夫氏宛 六月十一日。明石より)
てお別れしたく思います。お絹さんと地三とはしばらく明石に残り当分私だけで艶子はあとから上京することになっています。
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私は尾道の姉の来るか来ないか決まるまで、心を静かにして苦痛を忍耐
は神のみ心でなかったかもしれません。私は尾道にいる私の姉が、来月この地に来るならば、これに妹を托し
私は庄原を出て広島の親戚に二日泊り、翌日尾道に来る途中糸崎という海岸の漁師町のとある宿屋でお絹さんに会いました。
警察署に行ってみると、尾道から私の叔父が来ていました。あとで事情を聞けば、お絹さん
れます。それで私はその方針を取ることに定め、尾道の私の叔父の尽力を乞い、その運びにするつもりです。もとよりお絹さんの
階でこの手紙を書いています。あなたのお手紙は尾道で読みました。実富君と往復することが妨げられたという報知は、
私は尾道の叔父からぜひ帰れという手紙に接して尾道に帰ってからずーっと叔父の家
私は尾道の叔父からぜひ帰れという手紙に接して尾道に帰ってからずーっと叔父の家にいました。両親は私の一燈園にて
は京都を出立してよりさまざまな不幸にあいました。尾道に夜遅く着くと思いもよらぬ姉の重患にてちょうど担架にのせられて出
と恐れとを感じないではいられませんでした。尾道の姉は私の姉妹のなかでも最も美しく情深く私はひそかに誇りにし
病篤く尾道にて姉をいたわる暇もない身でした。翌日尾道を出発したところ、広島への途中汽車中にて妹ともはげしい腹痛が起こり広島
の姉を喪うて二七日の法事もすまぬうちに、尾道から今ひとりの姉の病気篤しとの電話がかかって、父はあわただしく尾道に
の姉の病気篤しとの電話がかかって、父はあわただしく尾道に参りました。それから三日後にその姉の死去の電話がかかりまし
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ていて下さい、今に参りますから、やがて謙さんも北海道から出て来られるでしょうし、私たちの東京での生活はまたいっそう活気を帯び
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をおりたい、至急帰郷せよ」という私の同郷の、札幌の農科大学を出た友人からの手紙なのです。三年昔の苦しい、
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家を出ようと思いました。そして本田さんには長門の秋吉村の本間氏の大理石切場に行くように、また文之助君には京都在の西田
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わかりません。けれど翌日妹とともに広島を出発して下関に向かう汽車のなかで「また会う日まで」の讚美歌を唱った時には
汽車のなかは案じたる眩暈の発作も起こらず安らかに下関に着きました。その夜は貧しき従姉の家に一泊し、翌朝門司よる
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、めでたく卒業した、愛する妹が帰って来まして、七条駅まで迎えに行き、昨秋以来の、なつかしい逢瀬の、互いに労う挨拶を交わす時
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時には悦んでできます。四、五日前には三条の河道屋というそばやに手伝いに行き、粗末な黒木綿の絆纏を着て朝
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私は今広島の南にあたる瀬戸内海の一小島倉橋島にある倉橋という漁村の淋しい旅屋の二階でこの手紙を書いてい
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は京都に二日私と一緒に暮らして、昨日故郷なる丹後の宮津に帰りました。お絹さんは福山での騒動以来よほどつらかったものと
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あなたの手紙が須磨から廻って参りました。何しろおもしろくないでしょう。今少しすれば自由な大学へ
私は昨日明石へ来てから初めて外出して、電車で須磨まで行き入院していられる、小川君の奥さんを見舞って来ました。三
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にたたかいつつ生きている。そしてもひとりの久保謙君は水戸高等学校の教授兼主事として、その昔ちょうど自分が抱いていたよう
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(久保謙氏宛 十二月二十二日。広島病院より)
をおきます。(久保謙氏宛 一月十六日。広島病院より)
のことは少しもわかりません。けれど翌日妹とともに広島を出発して下関に向かう汽車のなかで「また会う日まで」の讚美歌
のように見受けられました。彼女は苦しい都合を冒して広島を出ているので、ゆっくりしているわけにもゆかず、帰りたく
とも別れて、この夏はたぶん倉橋島の音戸という広島湾内の小島にて暮らすようになりましょう。私はそこでしばらく考えさして
は、この手紙の着きしだいハガキでよろしいから、およそ何日に広島に着くかを知らせて下さい。私はあなたと三次のバンホフで会う
二人であなたを迎えに駅に行きます。私はあなたの広島に着きなさる日には三次まで出ていたいと存じますから、あなた
それであなたは広島から出発する時に、何時の汽車に乗るかを、ちょっとめんどうながら、三
お絹さんは広島のある病院に勤めています。ホームにいのちを見いだそうとする彼女のねがい
日目にお絹さんも決心して今日の午後には必ず広島に帰るといって食後二人でまた悲しいことばかり繰り返して語っているところへ
私は庄原を出て広島の親戚に二日泊り、翌日尾道に来る途中糸崎という海岸の漁師町の
ではありませんか。お絹さんは免職になり今は広島の牧師の家に預けられています。私は彼女をゆくゆくは妻に
私は今広島の南にあたる瀬戸内海の一小島倉橋島にある倉橋という漁村の淋しい旅
私はしいても争いかねてまだきめずにあります。広島の牧師の家にいるお絹さんは私には悲しい、せつない、諦めの手紙
日お絹さんが突然夜更けに私を訪ねて参りました。広島の牧師に恋慕せられて、奥さんに虐げられ、いたたまらずに書置き
広島の親戚に三日間苦しい、いらだたしい日を送りました。広島を出発して帰る途中は水害にて線路がこわれ兄妹は病後の疲れた足
腹痛が起こり広島に着いた時は吐瀉はげしくやむをえず広島の親戚に三日間苦しい、いらだたしい日を送りました。広島を出発して
ところ、広島への途中汽車中にて妹ともはげしい腹痛が起こり広島に着いた時は吐瀉はげしくやむをえず広島の親戚に三日間苦しい、
暇もない身でした。翌日尾道を出発したところ、広島への途中汽車中にて妹ともはげしい腹痛が起こり広島に着いた時は吐瀉
は四、五日前にここに来ました。ここは広島湾の東南部にある小さな漁村です。温かくて静かです。私はとある裕福
ました。実は私はあの後健康がおもしろくなくて、広島に診察を受けに来ました。医者は今が大切な時期であること
あなたの日光からのハガキと今度のお手紙とを私は広島で見ました。実は私はあの後健康がおもしろくなくて、広島に
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して、でもなごり惜しそうに曇った空を見あげて、熊本の方に去りました。十七の時に無理に結婚させられて、
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本間氏の大理石切場に行くように、また文之助君には京都在の西田天香という僧のところに行くように手紙にも書きました
で私はこの人の弟子にしてもらおうと思います。京都在の一燈園という寺がこの人の Ordo のようなところな
は一昨日尾道を無解決のままに放擲しておいて京都に来て西田さんに会いました。そして西田さんの話を聞いてまこと
。そしてこの寒さの増して行く季節を、ことに寒い京都の修道院にて暮すことはどうしても許してくれません。そして冬の
も一燈園に置いてあげるとおっしゃいました。お絹さんは京都に二日私と一緒に暮らして、昨日故郷なる丹後の宮津に帰りまし
(久保正夫宛 二月八日。京都岡崎より)
この春休みに私の新しい家にいらっしゃいませんか。春の京都を見物かたがたいかがですか。
暮らします。四月初旬には妹も帰り、三人で京都で暮らします。そして機を見て上京いたします。あなたはこの春休みに私
になさいませ。(久保謙氏宛 三月二十四日。京都より)
も通知をして悦んでもらいました。これからしばらく、京都で三人暮らすことになります。私の住所は、東山の麓に近い
四月は京都のもっともたのしい季節で、祇園の桜も咲き、都踊りも始まります。あなた
私たちはどうせ、東京に参ります。しばらく京都で暮らします。お絹さんは東京のような、華やかな都に行くのは
ています。(久保謙氏宛 四月六日。京都より)
に出るように勧めてもらっていますが、あなたも今度京都にいらして、東京に行く気になるように勧めてやって下さい。正夫
(久保正夫氏宛 五月十三日。京都鹿ヶ谷より)
私はあなたを祝します。そしてあなたのその成長が京都への旅に機縁を持っているようにおもわれるときに私は私の
(久保謙氏宛 五月十七日。京都より)
なにとぞ自重して下さい。(五月二十五日。京都より)
伺いいたします。(久保正夫氏宛 六月十一日。京都より)
そのおつもりであしからず思召して下さい。(二十二日。京都より)
不祥があなたの家庭に起こらぬように祈ります。私は京都を出立してよりさまざまな不幸にあいました。尾道に夜遅く着くと
がたくさん通ります。単調ではありますが、海のない京都に住んでいられる貴兄には、一日のリフレッシュメントになるかと思います
先日は京都からわざわざいらっして下さって本当にうれしく思いました。何のこだわりもなく
のお仕事に豊かな稔りのあるように祈っています。京都へは時々出る気ですからその時は寄せてもらいます。こちらへも土曜日
明日午後来て下さるそうでうれしくお待ちします。あなたが京都から四時間もかかるところへいつも心にかけて訪ねようとして下さることを
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あなたに不幸が訪れぬように祈ります。天香さんは秋田から、平常の天香さんとも思えぬような淋しい悲しい手紙を下さいました
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引き越す決心をしました。そして二十七日の午後七時、神戸を発する汽車で上京の途につきます。大森に艶子とともに住むこと
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。私には色も香もない正月が訪れました。東京から下って来た妹と語る言葉さえ少なく、静粛な平和な初春を迎え
だんだんいいほうですから悦んで下さい。九月にはどうか東京の方へ出たいものだと思っています。気候が悪いからからだを
なかにあり、そしてしあわせな思いをいたしました。私も東京に行ってあなたや謙君らと朝夕往復できたらと思いました。私
行けと部長も言っていたのです。それで私も東京の妹や故郷の両親にもその旨を通知しました。ところが一昨
ません。あわれなる父(あなたは二年前この父を東京の下宿の門口で見ました)はどんなに悲しむでしょう。私はひとり蒲団
東京の春はそんなにプレザントなものではありますまいね。休暇にはどう
なところに住みたく思いました。しかしあなたのおっしゃるように東京に行ったとて心のおちつくわけでもありません。私はもっと耐え忍ぶ心
もあるようによく考えてくださいました。私も無理に東京に出なくてもよろしいのですけれど、自分らと尊い営みを共にする
させて養生させようと思います。秋からは一緒に東京で家を持つかもしれません。どうもいずこともなく、衰弱し
たく、父も老年のことゆえ、財産上のきまりもつけ、東京郊外に家でも持ち、結婚して、いっさいのむなしい、浮わついた心を
の送金は断わり、自活するのだそうです。なんでも東京のある家の家庭教師となって、不具の子供をあずかるのだといっ
光景を想像して心がおどります。私はもはやわざわざ東京から私にあいに来て下さるほど私を愛して下さるあなたに遠慮はいたし
この夏は別にほかの場所で暮らす計画がなく、また東京でなくてはできないような仕事をお持ちでないならば、ずっと永く
やがて謙さんも北海道から出て来られるでしょうし、私たちの東京での生活はまたいっそう活気を帯びてくるでしょう。愛と運命との博い
。別府で親しくなったひとりの娘さんと尾道で乗りあわして東京まで一緒に行くことになりまして、好い都合でございます。私は二十
して、おちついて暮らしていらっしゃいます由、安心いたします。東京へ参る日も近づきました。そしてその日を十月一日と心に定め
私の道であろうと思います。それで私は今は東京で姉と家持ちをすることを考えています。艶子と三人で、
Ordo のようなところなのだそうですが、この頃は東京にいられるそうです。私はそれで岩波さんのところへ尋ねてやりまし
、あなたがたにも、お目にかかられるわけです。もし東京より遠いところならば、お目にかかれぬかもしれません。しかし少なく
両親に願い、できるだけ早く庄原を出る気です。西田さんが東京にいられれば、あなたがたにも、お目にかかられるわけです。もし
が、帰国の途中私の宅を訪ねて下さるそうです。東京の様子も聞かれることと楽しんでいます。
さんのところに教を乞いに行く気でいます。たぶん東京にいられるのでしょう。御住所がわかれば、早く準備して、両親に
」を送ってくれました。文展の絵はがきなど見ながら、東京の様子をしのんでいます。早くあなたがたにもお目にかかりたいもの
友人に会うのは自分の卑しさが気にかかり、また東京は美しい女の多いところゆえ、私の醜さが眼に立つから行きたく
、東京に参ります。しばらく京都で暮らします。お絹さんは東京のような、華やかな都に行くのは、はれがましく、私の友人に
私たちはどうせ、東京に参ります。しばらく京都で暮らします。お絹さんは東京のような、華やか
てもらっていますが、あなたも今度京都にいらして、東京に行く気になるように勧めてやって下さい。正夫さんの結婚問題は
艶子にも東京に出るように勧めてもらっていますが、あなたも今度京都にいらして
には、すまないとばかり思っていましたのに、東京からの謙さんのお手紙を見れば、私の想像しないような、
神の国にするたすけにはなりかねます。私は今度東京に行けば、その点について久保さんがたに話すつもりです」
することもあります。私はこれからは、ことに秋から東京で日夕往来するようになれば、今よりもっと自由にふるまわせていただく
また便利のお悪いこととお察しいたします。この休暇中も東京にとどまって勤労の生活をお続けなさることにお定めの由、尊いこと
秋からは東京に行かれるようにする気でいます。妹の写真はとる暇があり
はならないことになっています。あるいは一家を引きあげて東京近くに移住するような議も出ていますが、さまざまの事情ではたして
私は東京に行ってみたく思います。今のうちに十分養生して来春には
東京の街はショーウィンドーのクリスマスの祝いの飾りなどで美しいことと存じます。妹
。今年があなたに豊かな祝福をもたらすことを祈ります。東京の松の内の賑わしさなど想像いたします。どのようにしてお過ごしなされ
私と二人で、艶子が炊事を受け持って家持ちをして東京で暮らせばいいのですが、費用を父が出してくれません。労働
私は語る友もなく侘しい新年を迎えて、あなたがたの東京での集いを少しお羨ましく思っています。いずれ手紙は出しますが、
いるのだ。両親、艶子、お絹さん、その従妹、そして東京にはあなたや謙さん、天香さん、私は生きる価がある、それを
気持ちです。あなたの学業や仕事のよい実りを祈ります。東京ならあなたにも見舞いに来てもらえるのにこちらは友だちがひとりもありませ
手紙ありがとうございました。この頃は春らしくなりお天気つづきで東京もたのしそうになったことでしょう。私は今朝本当に久しぶりに二分間ほど
旅館からの静かな心をこめた手紙、また母上を東京に送って行かれて帰られた時の手紙など、感動と非常に親しい
私は急に東京のほうに引き越す決心をしました。そして二十七日の午後七時、神戸
することができなかったのを残念に思います。しかし、東京へはあなたはわりあいにたびたび出られることと思いますから、お眼にかかれる
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転宿なさいましたのですってね。居心地よろしゅうございますか。上野倶楽部というのは私には見当がつきません。しかし不忍池のほとり