生活の探求 / 島木健作
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噂が廣まつた。すると駿介の部落にも、「金毘羅山の上で雨乞ひの火を焚かないかん。」と云ふものが出て
。月のある晩であつた。河原へ出るには、金毘羅山の下の道を通る。山と云つても岡のたぐひである。
の火であることには違ひはないのであつた。金毘羅山での雨乞ひを熱心に主張してやまないのは、幾人かの酒
その山から、金毘羅山の頂上までは峰傳ひであつた。そして峰から頂上までの間に、
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「わしはまたあんさんは大阪さ稼ぎに行つとつたんだとばかり思つとつたが。」
て來た。そのうちの一人の瀧山は、少年の頃大阪に出て、鑢工場に十年近く働き、一人前の職人だつたが、父親
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「はア、あなたは柏野村ですね。」と云つて、その村の大體を頭のなかに描き出してゐる
「ふん、柏野村には少な過ぎて氣の毒な人もあるやうだ。」
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ああ、もう十八やからな。今年ももうちつとしたら岡山さ藺刈りに雇はれて行くやらうわい。――源次を頼むか
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た。一時は危險だつたが幸に命をとりとめた。東京の病院を出るとすぐに、病後の養生のために田舍の家へ
病氣が治り、健康がすつかりもとに返つても、なぜか東京へ歸らうとはしなかつた。彼は高等學校から大學に進むと
「駿、お前、まだ東京へは行かずともいいのかえ? 學校はもう疾うに始まつてをる
離れて、今風に、損得一方からだけ云つたとて、東京に居ることが何で得なもんか。博士になる云うたからとて博士
して見りや、今時の若いもんのこつちや、わざわざ東京の大學を出て、醫學士にまでなつて、こんな草深い田舍で百姓
ない。近頃はとくべつ弱つて來たふうぢやて、それで東京の學校の研究室とかにゐる息子を呼んだんやらうが、息子の
「學校がいやになつたとでもいふんか、東京に何か事でもあつたんか……病氣で弱つたから
損はないんぢやけに。けど、駿のはもうまるで東京へは歸らんといつたやうな恰好ぢやからのう。」
「何かお金のこつても……東京でお世話になつとるお金持のとこをしくじりでもして、もう學校へ
たわけだ。何のために椅子などを作る? やがてもう東京へ歸つて行く身としたならば、今さらそんなものは不用であらう。
こちらにゐらつしやるつてことは知りませんでした。噂は、東京にゐたとき耳にしてゐましたけれど。」
田舍のことであつて見れば、同一地方からの同じ東京遊學者だといふ、ただそれだけで互に知り合ふ機會は
は今どうしてゐるんです。をぢさんには、東京にゐるとしかで、はつきりしたことは聞いてないんですが。
強ひて自分の心を人にのぞかせようとするものは、東京での駿介の周圍には珍らしくはなかつた。駿介自身、そんなことはなか
といふやうなことを云つてゐたが……君は東京へは歸らんのかね。」
です。その人その人にあることですからね。僕は東京での自分の今のやうな學生生活は全く無意味だと思ふし、これ
ですましておいて差支へない結構な御身分なんだ。東京の郊外で、恩給で食つてゐるのと何も取り立てて區別さるべきもの
「――何れそのうち、僕は東京へ出ようと思つてゐる。」と、彼は附け加へた。
がつて行つた。はじめて下り立つた十年前の、朝の東京驛のプラツトフオームの喧噪のなかに、少年の彼の心はわななくほどだつた
今、彼は、新しい感情で東京での自分の長い間の學生生活を、その最初の時から今に到る
。その日とその次の日一日、上原は彼を連れて、東京の名所を案内して歩いた。他人の家に住み込むやうになつては、
。幻滅は感じたくはなかつたから、たとへ夜間でも、東京でも數少い、晝間と同じ資格を得られる中學といふことで滿足
特に駿介の心を惹いた。彼等はやがて卒業する。東京に止まるものもあるが、郷里へ歸るものも多いだらう。歸れば、
手紙であつたから、私もそのつもりでゐたが、東京の平山から、つい此頃も、非常に喧しく言つて來た。腹を
「ほう――。東京ぢや往き來はなかつたのか。」
にだけはなりたくはない。……しかし僕は東京にゐて、何となく自分も知らぬ間にさういふ人間に落ち込んで
君の家にとつても仕合せだし、わしが君を東京へ送り出した責任もそれで果されるかに考へたんだ。わしには
をやらうと、えらい違ひはありやせん。お前がはじめて東京の學校さ行くといふことになつたとき、喜ぶでもなし悲しむでも
、お前の好きなやうにしたがええ。お前がはじめて東京さ出たときから、ずツとこのかた、わしはお前のことについて
「杉野のあんさん、東京は此頃どんなふうだかね?」と笑ひながら、顏を向けて來
「東京?」と、他の一人が訊いた。
「いや、あんさんは東京さね。東京の學校さ行つてらしたんだ。」と、この家の主人の部落長
「いや、あんさんは東京さね。東京の學校さ行つてらしたんだ。」と、この家の
「東京に長く住みなれてからぢや、草深い田舍のくらしは慣れるまでが大へんぢや
見てゐた。彼は酒をたしなまなかつた。かつて東京にゐて、目標を見失つた、または見出し得ない苦しみから、と
も立たなかつた。彼は志村と上原と、それから東京にゐる二三の豐かな學生とを思ひ出した。が、思ひ出しただけで、
は自分の部屋にひとり籠つて長い時間を過した。東京から持ち歸つて後、一部分の外はまだ取り出す暇もなかつた藏書を
やつたのさ、いつかこんなことがあつた。わしの東京にゐる從兄が遊びに來たんだ。丁度今時分だつた。町の者だ
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た。彼等は一日に一度は、背廣を着込んで銀座に現れたが、通學の時の服裝は上衣が學生服に代る