続生活の探求 / 島木健作
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頼みにも行けなくなつた。この地方の村々には、東北地方の僻村などとちがつて、醫者は多い。少し大きな村には三軒はある。
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六十の聲を聞いた年に、伊貝幸藏は、長らく大阪の方で女工をしてゐた女が村へ歸つて來たのをかこつ
た時に、彼は伊貝が所用あつて二三日前に大阪方面に赴いて、まだ歸つてゐないと云ふことを聞かされた。十日間
を何度でも繰り返して聞きたがつた。彼等のうち大阪まで行つたものはあつても、東京へ行つたといふものは一人もなかつ
月極めで新聞を取ることが出來ない。月一圓二十錢の大阪の新聞が、ここでは配達料が加はつて、一圓三十錢である。二三
「ええ、大阪で製藥會社をやつて失敗したといふ人――」
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車は走り出した。本郷の學校に近くなつたところで二人は下り、トランクだけ安藤の下宿に届けて
二人はその店を出て、本郷の電車通りを行き、赤門から大學の構内へ入つて行つた。ベンチに腰
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と云つた。どこに住んでゐたかと訊いて、上野の公園の近くにゐたことがあると聞くと、廣小路を中心に天ぷらや
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のことはよう知らん。老先生は先月からずーつと京都の方さ行つてゐて、留守だと聞いているもんでね。そこ
「そんなことのために京都へ行つてるんですよ。」
「何でも京都の方の大層なお家からぢやとか――」
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なかつた。やや讀み疲れると、久しく無沙汰してゐる、東京の親しかつた二三の友達に手紙を書いたり、古い葛籠から祖父の代
亂すやうな不思議な感情の經驗に苦しんだ。駿介の東京からの土産を小さな子供のやうに有頂天になつて喜び、彼が着いた
といふ本屋なども思ひ當らなかつた。駿介はやはり東京の知合ひの誰かに云つて頼んでやらうと考へた。五圓
に親しみを感じた。しかし嘉助の東京は、殆ど震災前の東京だつた。駿介が聞き上手なので彼は益々おしやべりになつた
れて、駿介は嘉助に親しみを感じた。しかし嘉助の東京は、殆ど震災前の東京だつた。駿介が聞き上手なので彼は益々
そして自分は駿介を相手に話しはじめた。東京も變つたらうなと云つた。どこに住んでゐたかと訊いて
駿介は、東京を中心とする地方の、關東の諸地方の農村を思ひ出してゐた。
遊びに來い、遊びに來いと云つてくれるんです。東京に勉強に行つてる同じ年頃の息子があるせゐでもあらうけれど、…
さ入れといてよかつたとつくづく思ふとります。奴を東京に出すときには、專門學校にせうか、大學にせうかと
二人はそれから暫くの間、東京の學生生活のことや、學生の就職の状況などについて話し合つた
ぬといふ環境に慣れて來た人間ではなかつた。東京で岡島の家に使はれてゐた時には、道を歩きながら讀み
そりや、評判のいいもわるいもないが。なんしろ、東京の大學を出とる醫學士の醫者なんてものは、この近在には一人だつ
「此頃どうですか、志村君は。何れ東京へ行くと云つてましたが、止めにしたんでせうか。
たのは、僕の學生の頃で、その頃僕は東京で家にはゐなかつたんだし。僕が歸つて來てから
彼が東京で平山の家に家庭教師として通つてゐた時のことだつ
のやうな息子さんがあるとはついぞ知らんかつた。東京の學校を途中に止して歸られたんやさうなが、それは惜しい
出られたので、歩調が亂れてしまつた。東京から村へ歸つた學生上りの青年が、小作に何か頼まれて地主
大抵近頃東京からでも來た奴にきまつてゐる。東京の學校を出て月給取になつたホヤホヤさ。しかし他縣のものが
「そんなことをする奴ア、まあ大抵近頃東京からでも來た奴にきまつてゐる。東京の學校を出て月給
かして本は買ひたいと思つてるんだけれどね。東京の友達へでも云つてやつて、いい本を安く手に入れるやうに
。彼等のうち大阪まで行つたものはあつても、東京へ行つたといふものは一人もなかつた。彼等はただ漠然と中央
次々に多方面にわたつた。彼等はしきりに駿介から東京の話を聞きたがつた。それは今迄にもう何度も話されたこと
上原さんの所で仕事をしてゐるのです。從つて東京行は止めにしたわけです。これに就ては色々お話したいこともあり
知れない。彼は時々自分の生活のすがたを詳しく書いて東京へ送り、彼等からもそれを聞くことを欲した。彼等の個人的
はただ自身の道を求めたのであつた。だから東京に殘して來た友人達に對してもそのやうにして臨んで
休めて野面を見渡し、空を仰ぐやうな時にも、東京の生活は影繪のやうに心をかすめることはあつたが、さうし
は思つたことや感じたことをかなり腹藏なく語り得る東京の友達を、まだ一人二人持つてゐた。忙がしい仕事の手をしばし休め
駿介は前の晩に、東京の友達に宛てて長い手紙を書いた。彼は思つたことや感じた
、新しい蠶豆の入つた糅飯を思ひ出す、あれを食つてから東京へ行きたい、などとも云つた。
ゐるんだ。同じ歴史の勉強から始めるにしても、東京の學者達のやうに、何時までも半封建的がどうかうしたと
見、水を見、子供と遊んで暮してゐる。やがて東京へ歸れば、僕はふところに一錢の金が無く、飢ゑてゐて
觸し合ふ機會を殆ど持たなかつた。哲造は東京から餘り遠からぬ町の高等學校を出て上京して來た。その町
東京へ出て來た哲造は大學の文科に籍をおいたが、その頃
「歸つた? もう。東京へですか。」
「うん……眞直ぐ東京へではないだらう。春になつたんで急に旅に出たく
頭と眼とが云ふことを聞かなかつた。志村や東京の友達から手紙が來ても、その返事がつい一日二日と延び延び
、看護學は、定まつた教科書のほかには駿介が東京へ云つて送らせた大部な二册のものを讀み、餘力で生理學
。もうきまつとるのとちがひますか。したが、東京の女子衆ぢや、百姓仕事は出來やしませんぜ。」
嘉助が云つた。「どつから貰ひなさる? やつぱり東京からかな。もうきまつとるのとちがひますか。したが、東京
圖書館の館外貸出を利用したり、志村に借りたり、東京の友達に云つて送つてもらつたりしてゐた。
同時に彼は東京を思ふやうになつてゐた。一度東京へ出てその空氣に觸れたいといふことを熱心に思ふやうに
同時に彼は東京を思ふやうになつてゐた。一度東京へ出てその空氣に觸
この二年間、彼は折にふれて東京を思ふことはあつても、一度その土地を踏んで見たいと思つた
さうして舊正月が來た時、駿介は東京への汽車に乘つたのだつた。ある日森口と會つてゐた
てゐて、富士は見えなかつた。病後のからだが東京を發つてまだどれほどにもならぬのにもう疲れ出し、心はひどく
た時、駿介ははじめて何かこみあげて來るやうな氣持で東京といふものを感じた。
へ差しかかつても、彼はまだ生き生きとした感じで東京を感ずることは出來なかつた。何か氣遠い感じで林立する工場の
東京へ着いたのは九時半であつた。汽車が京濱地帶へ入り、
。二人はその後の自分達のこと、田舍のこと、東京のこと、二人に共通な友達のこと、本のこと、教授のこと、
次の日から二三日、駿介はひとりで東京の町を歩き※つた。見物しようといふのではなし、別に目あて
に映つたであらう。田舍から出て來た青年が東京の姿に驚異と嘆稱の眼を見張つてゐる姿とも、尋ねるもの
二年間に東京の街がさう變つてゐるべき筈はなかつた。それは殆ど變つ
に住み、歸郷後も折にふれて思ひ出してゐたあの東京の姿なのか。一九三×年の日本の首都の姿なのか。
東京へ來て一週間經つた日の夜、駿介は安藤に、明日くに
「うん、しかし東京の空氣といふものにも觸れたしね。逢ふ人にも逢ふ
「どうだい、東京へやつて來て何か感じることがあつたかい。」と、安藤
その翌日駿介は二三の友人に見送られて東京を發つた。
する氣持が彼には益々深まつて行つた。彼が東京に於て見たり感じたりしたものは、目に見えぬ力となつ
掘り、肥桶を擔ぐために彼は歸つて行つた。東京での一週間の滯在が彼に與へたものはとくに目立つたものでは
は思へないのだつた。彼は二年前に、東京で風邪から肺炎を起して寢込んだ時のことを思ひ起した。その時
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と云つた。どこに住んでゐたかと訊いて、上野の公園の近くにゐたことがあると聞くと、廣小路を中心に
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は九時半であつた。汽車が京濱地帶へ入り、品川へ差しかかつても、彼はまだ生き生きとした感じで東京を感ずること