両国橋の欄干 / 木村荘八
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こゝから水着のまゝさかで大川へ飛び込んで、浜町の伊東まで、流れたことがよくある。――一度は花火の時に、この
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、明治二十二年発行の「日本名所図会東京の部」(大阪府平民上田維暁編)などに写されてゐるので(第一図)わかる
)、この明治卅一年七月十日印刷云々とある大阪の古島竹次郎名義の「吾妻土産名所図会」とある石版刷の絵本が、一番
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三図の署名には応需春孝印、とある。右上は吾妻橋。)
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「柳橋は両国を距る北数十穹神田川の咽喉に架す。此地また両国橋と同じく盛夏の避暑晩
のである。この「ちどり啼く」川岸の雪の夜の連想は、両国よりも川下か(浜町から大橋へかけて)あるひはずつと川上(向島)が似合
と、素人考へにそんなことを思ふ。歌にも「夏の涼みは両国……」のときまりにいひ、「川風寒くちどり啼く」とはまた違つた風が吹き
けたものだつた。尻をくるりとまくつて大方暗くなつた両国の広小路を駆け出したものだ。それでもまだ広小路には夜空にぼうぼうとカ
欄干は川面から何間位の高さだつたものだらう。ある両国大花火の錦絵などで見ると恐しくそれをアーチ形に高く描いたものがあるが
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鉄に変つて新装した姿が、第二図(東京名所案内所載)で、われわれは初めからずつとこれに見参してゐる。
ばし」の図や、明治二十二年発行の「日本名所図会東京の部」(大阪府平民上田維暁編)などに写されてゐるので
まで)木橋のまゝでゐたが、明治二十七年版の「東京名所案内」(原田真一編)に、「両国橋は新柳町より本所元町
。柳橋が同じ神田川筋では矢張り涼しいところだつた。「東京名所案内」にもこういつてある。
へ突出してゐたのは面白い風致だつた。その後東京にはかういふ不規則の面白い風景はどこにも無くなつた。――そして
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、同じ形式で出来てゐる。目貫きの大通り筋には新橋や京橋などこの形式でないものもあつたやうだが、大体木の橋
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木組が十文字のぶつちがひになつた構造は、古くは日本橋も黒塗りの木組で絵図にさう写されてゐるし、大川筋の永代橋、
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なり。明治初年の築造に係る。橋下は即ち隅田川の下流浅草川なり。橋の西詰広濶の地を広小路といふ。夏月避暑に宜しき
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浅草橋や左衛門橋などは格別涼しい記憶が無い。柳橋が同じ神田川筋では矢張り涼しいところだつた。「東京名所案内」にもこういつて
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いへばそれつきりのものゝ、川筋といつても、浅草橋や左衛門橋などは格別涼しい記憶が無い。柳橋が同じ神田川筋では矢張り
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も川下か(浜町から大橋へかけて)あるひはずつと川上(向島)が似合ひだらう。
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川岸の雪の夜の連想は、両国よりも川下か(浜町から大橋へかけて)あるひはずつと川上(向島)が似合ひだらう。
に、こゝから水着のまゝさかで大川へ飛び込んで、浜町の伊東まで、流れたことがよくある。――一度は花火の時
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両国橋の欄干
にさう写されてゐるし、大川筋の永代橋、大橋、両国橋など皆、同じ形式で出来てゐる。目貫きの大通り筋には新橋や
の「東京名所案内」(原田真一編)に、「両国橋は新柳町より本所元町に架す。長さ九十六間、構造すこぶる壮大なり。明治
柳橋が鉄橋になつてもなお両国橋は当分(明治三十七年まで)木橋のまゝでゐたが、明治二十七年版
を距る北数十穹神田川の咽喉に架す。此地また両国橋と同じく盛夏の避暑晩冬の賞雪皆宜しく都下第一の称あり。故
川の流れが海から見ると大体北上して来て、両国橋のところから心持東へと進路を転じてゐる。それで水勢が上げるに
で川筋が大うねりを見せる一つの急所に当るから、両国橋やこれに伴ふ柳橋の地形は水を渡る風も涼しく吹く――の
の蓄音器屋などが店をしまはずにゐた。われわれは両国橋へ着くと、きまつて、その欄干へ登つたものであつた。そして
牛切り、政どんは御飯たきであつたが、これと両国橋まで出かけたものだつた。尻をくるりとまくつて大方暗くなつた
、義太夫の新柳亭かへ、行つたゞらう。)、両国橋の欄干へよつかゝりながら、政どんが一節づつ先きにうたつて、「
当時佐太郎のいつも大の字にねそべつて川風に吹かれた両国橋の欄干は、どういふものだつたらうかと、先づ記憶をたどつて見る
両国橋の景(第三図)
否わからなくなるのはそればかりではない。両国橋の欄干そのものさへも――あれほど昔日夜親しかつたものが――
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形式で出来てゐる。目貫きの大通り筋には新橋や京橋などこの形式でないものもあつたやうだが、大体木の橋といへ
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黒塗りの木組で絵図にさう写されてゐるし、大川筋の永代橋、大橋、両国橋など皆、同じ形式で出来てゐる。目貫きの大通り
描いたものがあるが、あれは間違ひである。別の永代橋または新大橋の写真などから見ても、第三図の人と欄干
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構造すこぶる壮大なり。明治初年の築造に係る。橋下は即ち隅田川の下流浅草川なり。橋の西詰広濶の地を広小路といふ。夏月
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あるが、あれは間違ひである。別の永代橋または新大橋の写真などから見ても、第三図の人と欄干の大きさの割合