名娼満月 / 夢野久作
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乗出して、嵯峨野の片ほとりに豪奢な邸宅を構え、京、大阪の美人を漁りまわしていた金丸長者と呼ばれる半老人であった。はから
のない御秘蔵の書画骨董の数々を盗み出して、コッソリと大阪の商人に売りこかし、満月に入れ揚げるのを当然の権利か義務のように心得ている
残る一人は大阪屈指の廻船問屋、播磨屋の当主千六であった。二十四の年に流行病で
て迎えに来た忠義な手代に会いは会うても、大阪という処が、どこかに在りましたかなあという顔をしてい
どこへやら、少しばかり習いおぼえた三味線に縋って所も同じ大阪の町中を編笠一つでさまよいあるき、眼引き袖引き後指さす人々の冷笑を他所
あったろうか。絶えて久しい播磨屋千六と、青山銀之丞が、大阪の町外れ、桜の宮の鳥居脇でバッタリと出会ったのであった。
忘れぬように三五屋という家号で為替に組んで、大阪の両替屋、三輪鶴に預けていた。従って三五屋という名前は大阪
鶴に預けていた。従って三五屋という名前は大阪では一廉の大商人で通っていたが、長崎では詰まらぬ商人宿に燻ぶっ
中に儲けた数万両を、やはり尽く為替にして大阪の三輪鶴に送り付けた。
蹴落し、世間に顔向けの出来ぬまで散々に踏み躪って京、大阪の廓雀どもを驚かしてくれよう。日本中の薄情女を震え上らせて見せようで
いつ、誰の口からともなく忽ちの中に京、大阪中の大評判になりましたもので……。
から後というものフッツリとお二人のお姿が京、大阪の中にお見えになりませぬとやら。その後の御様子を聞くすべも
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た。仲間の抜荷買連中と共に逸早く旅支度をして豊後国、日田の天領に入込み、人の余り知らない山奥の川底という温泉に涵
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、三保の松原に天女を抱き止めた伯竜の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を背後に、大井川の渡し賃に無けなしの懐中をはたいて、山道
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頭の馬に負わせ、百姓共に口を取らせて名古屋まで運び、諸国為替問屋、茶中の手で九千余両の為替に組直さ
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砂壁。楠の天井。一間二枚の襖は銀泥に武蔵野の唐紙。楽焼の引手。これを開きますると八畳のお座敷は南向のまわり
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ところがツイ二三年前のこと、甲州生れの大工上りとかいう全身に黥をした大入道で、三多羅和尚と
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千六はそれから仲間に別れて筑前の武蔵、別府、道後と温泉まわりを初めた。たとい金丸長者の死に
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の渡し賃に無けなしの懐中をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く、後になり先になって行く馬士どものワヤク話を
菊川の家並外れから右に入って小夜の中山を見ず。真直に一里半
頭に刻み込み刻み込み行くうちに銀之丞は、いつの間にか菊川の町外れを右に曲って、松の間の草だらけの道を、無我夢中で
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伯竜の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を背後に、大井川の渡し賃に無けなしの懐中をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く
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一人は越後から京都に乗出して、嵯峨野の片ほとりに豪奢な邸宅を構え、京、大阪の美人を漁りまわしていた
嵯峨野の奥、無明山満月寺の裏手に、桜吹雪に囲まれた一基の美事
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捉まえて、明日早朝に船が出せるかどうか。五島の城ヶ島まで行けるかどうか。船賃は望み次第出すが……と尋ねてみると、
出すが……と尋ねてみると、淡白らしい船頭は、城ヶ島なら屈託する事はない。心配する間もないうちに行き着いてしまう。ほかの
天馬空を駛るが如く、五島列島の北の端、城ヶ島を目がけて一直線。その日の夕方も、まだ日の高いうちに、野崎島
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銀之丞は東海道を江戸へ志した。
嘗め破れ扇を差出しながら、宿場宿場の揚雲雀を道連れに、江戸へ出るには出たものの、男振りよりほかに取柄のない柔弱武士とて
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て、数十頭の駄馬に負わせた。陸路から伊万里、嬉野を抜ける山道づたいに辛苦艱難をして長崎に這入ると、すぐに仲間の抜荷
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真盛り。九代家重公の宝暦の初めっ方。京都の島原で一と云われる松本楼に満月という花魁が居た。五歳の年
「おお。それそれ。貴方様の小唄いうたら祇園、島原でも評判の名調子。私の三味線には過ぎましょうぞい」
宝暦二年の三月十五日。日本切っての名物。島原の花魁道中の前の日の事とて、洛中洛外が何とのう、大空に浮き上って
もない……というので、二人は顔を揃えて島原の松本楼に押し上り、芸妓末社を総上げにして威勢を張り、サテ満月
であった。いずれも三月二十一日……思い出も深い島原の道中から七日目のきょう、一切合財の財産を思い切って満月寺に寄進
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泰平の真盛り。九代家重公の宝暦の初めっ方。京都の島原で一と云われる松本楼に満月という花魁が居た。五
一人は越後から京都に乗出して、嵯峨野の片ほとりに豪奢な邸宅を構え、京、大阪の美人
いうもの役者の化けの皮はどこへやら、仲間に笑われながら京都に居残り、為替で金を取寄せて芸者末社の機嫌を取り、満月との
まま、三日すれば止められぬ乞食根性をそのまま。京都とは似ても似付かぬ町人の気強さを恐れて、屋敷町や町外れ
…騒ぐな騒ぐな。百姓共。よく聞けよ。身共は京都に在します一品薬王寺宮様の御申付によって是まで参いっ
せぬ公家侍の旅姿となり、夜を日に次いで京都へと急いだ。
京都に着いても満月の事は色にも口にも出さず。ひたすらに
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一方、銀之丞に別れた播磨屋千六は、途中滞りもなく長崎へ着いた。
名前は大阪では一廉の大商人で通っていたが、長崎では詰まらぬ商人宿に燻ぶっている狐鼠狐鼠仲買に過ぎなかった
いつも花形になったばかりでなく、その身代は太るばかり。長崎に来てからまだ半年も経たぬうちに、早くも一万両に余る金
千六は長崎へ着くと直ぐに抜荷を買いはじめた。抜荷というのは今でいう
なって来た。間もなく眼の前に屹立っている長崎随一の支那貿易商、福昌号の裏口に在る地下室の小窓から臭って来ること
年の秋の初めの事であった。千六は何気なく長崎の支那人街を通りかかると、フト微かに味噌の臭いがしたので
の方へは何入れとるか知れたもんやない。この頃長崎中の抜荷買が不思議がっとる福昌号の奸闌繰ちうのはこの味噌
の恰好まで間違いないように懐紙に写し取った。その足で長崎中の味噌屋を尋ねて、福昌号に味噌を売った者はないか
それから同じく長崎中の桶屋を、裏長屋の隅々まで尋ねて、福昌号の註文で新しい味噌
の眼ンクリ玉はチイット計り違わっしゃるばい。摺鉢の底の長崎から、この船の風待ちが見えとるけになあ。ハハハハ……」
千六はもう長崎に来てから、各国の言葉に通じていた。その中でも和蘭
「福昌号から荷物を受取りに来ました。この頃、長崎の役人の調べが急に八釜しくなって、仕事が危険くなりましたの
急ぐのだから、向うの海岸に卸しておく。今一度長崎へ帰って、風を見てから積取りに来いと云って、千六と船頭
陸路から伊万里、嬉野を抜ける山道づたいに辛苦艱難をして長崎に這入ると、すぐに仲間の抜荷買を呼集め、それからそれへと
嫌疑がかかって行ったが、その時分には千六は最早長崎に居なかった。仲間の抜荷買連中と共に逸早く旅支度をして豊後
の荷を船に積んで奉行所へ届出たというので長崎中の大評判になった。これこそ抜荷の取引の残りに相違ないと