あやかしの鼓 / 夢野久作
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たそうだが、その前の年の暮にチョットした用事で大阪へ行くと、世間でいう魔がさしたとでもいうのだろう。どこで
、今大路家は御維新後零落致しまして一粒種の私は大阪へある賤しい稼業に売られようと致しましたのを、こちらの主人に救われ
だけでも似ておればいいようになった。それから大阪に行った。
大阪から別府、博多、長崎、そのほか名ある津々浦々を飲んでは酔い、酔う
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大阪から別府、博多、長崎、そのほか名ある津々浦々を飲んでは酔い、酔うては女を
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久し振りに、なつかしい箱根を越えて小田原に来たのはその翌年の春の初めであった。そこ
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名人で高林弥九郎という人が見かねて東京に呼び寄せ、牛込の筑土八幡の近くに小さな家を借りて住まわせて下すったので父は
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そのうちに二年経つと東京の大地震の騒ぎを伊予の道後できいたが、九段が無事ときいたので東京へ帰る
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になって、或る年関東へお使者に行った帰り途に浜松とかまで来ると血を吐いて落命した。今でいう結核か何か
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が、鶴原卿もその後病気勝ちになって、或る年関東へお使者に行った帰り途に浜松とかまで来ると血を吐いて落命し
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東京に着くと私は着物を売り払って労働者風になって四谷の木賃宿に泊った。そうして夜のあけるのを待ちかねて電車で
私は咳をしいしい四谷まで帰って木賃宿に寝た。そうして夜があけると又高林家の門前
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はこの手紙を細かく引き裂いて自動車の窓から棄てた。ちょうど芝公園を走り抜けて赤羽橋の袂を右へ曲ったところであった。
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今から百年ばかり前のこと京都に音丸久能という人がいた。
後は子爵を授けられたが、大正の初めになると京都を引き上げて東京の東中野に宏大な邸を構えた。
私の父は京都にいる時分から鼓の修繕や仲買い見たようなことをやっていた
ないというので、親類一統から義絶された揚げ句、京都におれなくなって、東京の中野に移転して来たものだった。
東京駅へ着くと私はやはり何の意味もなしに京都行きの切符を買った。何の意味もなしに国府津駅で降りて何の
あくる朝京都で降りると私はどこを当てともなくあるきまわった。すこし閑静なところへ
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大阪から別府、博多、長崎、そのほか名ある津々浦々を飲んでは酔い、酔うては女を探し
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たが、大正の初めになると京都を引き上げて東京の東中野に宏大な邸を構えた。
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授けられたが、大正の初めになると京都を引き上げて東京の東中野に宏大な邸を構えた。
れる能小鼓の名人で高林弥九郎という人が見かねて東京に呼び寄せ、牛込の筑土八幡の近くに小さな家を借りて住まわせて下すっ
の年に他家へ遣るという有り様であった。これを東京の九段におられる能小鼓の名人で高林弥九郎という人が見かね
にはよくそんな因縁ばなしがくっついているものだから……東京に来ても鶴原家がどこにあるやら気も付かず、また考えも
一統から義絶された揚げ句、京都におれなくなって、東京の中野に移転して来たものだった。
は、名前をたしかツル子さんといったっけが……東京へ越して来て鼓のお稽古を初めると間もなく、子爵様の留守
お前は勉強をしてほかの商売人か役人かになって東京からずっと離れた処へ行け。鶴原家へ近寄らないようにしろ。
気の優しい人で、鼓の音ジメのよかった事、東京や京阪で催しのある毎に一流の芸者がわざわざ聞きに来た位で
もがいても云い訳は立たないから。あなたは私と一緒に東京を逃げ出して、どこか遠方へ行って所帯を持つよりほかないわよ…
汽車が動き出してから気が付くと私の傍に東京の夕刊が二枚落ちている。それを拾って見ているうちに「
」と答えたら美千代が腹を抱えて笑った。私も東京を出て初めて大きな声で笑った。
後できいたが、九段が無事ときいたので東京へ帰るのをやめて又あるきまわった。けれども今度は長く続かなかった。
そのうちに二年経つと東京の大地震の騒ぎを伊予の道後できいたが、九段が無事と
私は東京を出てから丸三年目にやっと本性に帰ったのであった。
東京に着くと私は着物を売り払って労働者風になって四谷の木賃宿に
私は鼓を抱えて、その夜の夜汽車で東京を出て伊香保に来た。
温泉宿に落ちついて翌日であったか、東京の新聞が来たのに高林家の事が大きく出ていた。その