めでたき風景 / 小出楢重

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地名一覧

大阪

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「何が」という「な」は東京では上るが大阪は上らない。「くも」のくの音を上げると東京では蜘蛛となり、

くも」のくの音を上げると東京では蜘蛛となり、大阪では「雲」となる。

大阪の蜘蛛は「く」の字が低く「も」が高く発音されるので

それで大阪で発祥した処の浄るりを東京人が語ると、本当の浄るりとは聞え

よほど以前、私は道頓堀で大阪の若い役者によって演じられた三人吉三を見た事があった。

三人吉三をやる時にも、一層の事、本籍を大阪へ移してからやればいいと思う。

大阪の紳士が電車の中などで、時に喧嘩をしているのを見る事

言葉と同じ意味の事柄を流暢な東京弁か、本当の大阪や京都弁で、ある表情を含めて申上げたら、男は直ちに柔順に承諾する

ならない場合において、私が嫌がっている処の大阪的な国語が、私の口から出ているのを感じて、私は全く

大阪では、まあその辺のところで何分よろしく頼んますという風の言葉に

、人の根性を産むようであるが、この関西殊に大阪の温気によって成人した大阪人は、まだわれわれの窺い知ることのできない

に思っているが、といってわざわざ電車に乗って、大阪へ入湯に行くという事は、今もなお億劫である。

いの騒々しさとなってしまったが、その頃はまだ大阪に電車さえもなかった時代だ。ちょっと裏手へ入るとかなりの草むらや空地が

この老人が引張り込もうとしていたそうだ。女中は大阪へ最近出たばかりのものだった。そして決して美しいものではなかったが、

彼女の実家というのは大阪近在のある貧乏寺だった。するとある時報恩講が勤まるからといって

、とうとう一族の間には相談のやり直しが始まりその翌朝、大阪まで急いで行くことになった。完全に間が抜けてしまった切りである

屋上からの眺めは、あまりいいものではないが、さて大阪は驚くべく黒く低い屋根の海である。その最も近代らしい顔つきは漸く北と

大阪の近代的な都市風景としては、私は大正橋や野田附近の工場地帯

大阪には、甚だ清潔に休息し得る本当のカフェーというもの甚だ少い。殊に南

しかしながら、大阪のカフェーは旅の空か何かで訪問したらさぞ不思議な竜宮だろう。和洋

あまりに多過ぎるうるさい悩ましくも美しい給仕人ではある。とにかく大阪のみに限らず日本の近代風景は、かなりの悲劇だ。ともかく決して面白くもない

しかし大阪では、新らしい近頃の文楽座以外では先ず、どの劇場もまだまだ、充分の

東京の劇場は靴のままの出入りだから幸福だが、大阪では通人のする苦労を共に楽しまねばならない。この我まんこそが芝居

麓から海岸まではかなりの斜面をなしている。東に大阪が見え、西には神戸の港がある。電車で大阪へ四十分、神戸

大阪が見え、西には神戸の港がある。電車で大阪へ四十分、神戸へ二十分の距離である。

大阪の芝居見物は何かものを食べながら、話しながら、飲みながら、その間に

カフェーのつもりで行くというきわめて不埓な見物人である。まさに大阪的見物の致し方である。だから舞台では何をしていてくれ

私は東京で吉右衛門を見て、それから大阪でそれを見た。すると大阪では吉右衛門が半分しかないように感じられ

を見て、それから大阪でそれを見た。すると大阪では吉右衛門が半分しかないように感じられた。それは役者の不足のため

ている事か知れなかった。私はもしこの美しい電車を大阪や東京の市街を走らせたら、あるいは乗客全部を現代日本の種々雑多な混雑

へ現る日多し。歳末の都会風景、趣多し。神戸と大阪のバーゲンセールなど漁りあるき五〇銭のネクタイなど買う。研究所にヴントアレッセイの展覧会あり。やがて

出来る。東京では何と呼ばれているか知らないが大阪では右の称がある。芸妓が自宅にある時、真夏の昼これを

アッパッパから足を出している少女が大阪だけかと思うと、神戸にも京都にも東京にもある。おそらく仙台に

今の大阪では古風な家は改築され、取払われ消滅しつつあるが故に、

ものである。田舎の事を私はよく知らないが、大阪の夏といえば、先ずこの夏祭などは、殊に目に立って勇ましくうれしいもの

大体、大阪の夏は随分暑いと思う。東京は夜になれば、何んとなく冷気を

。東京は夜になれば、何んとなく冷気を覚えるが大阪は夜も昼も暑い。この暑くてながい夏の退屈を忘れるためにも、

よい加減に取扱う傾向を生じて来た。従って最近、大阪の夏祭も全く衰微してしまった様子である。

の時分の夏祭は、まだなかなか盛んなものであった。大阪の市中には各所に沢山の氏神が散在し、それが今もなお七

今日、大阪の夏祭もやはり行われているのであるが、地車や太鼓の多くは教育

事が出来る。それは一つには、私が純粋の大阪の町人に生れ、道頓堀に近く、何んとなく卑近なものにのみ包まれて

それらの西洋風建築は大阪では何んといっても川口町本田あたりの昔の居留地に最も多く、現在

橋の南側には住友邸の西洋館がある。その附近は大阪の中心地でありながら今なおかなりの閑静な場所であり、昼間でさえ猫の

私の子供の時分には、大阪に二つの高塔があった、これは天王寺五重の塔とは違って、当時

は先きに述べた処の旧府庁舎の円屋根を愛する。大阪最初の記念すべき洋館であり、ある西洋人の設計になったものだと

近来大阪の都市風景は日々に改まりつつあり、新しき時代の構図を私は中之島を中心

して、現れつつあるのを喜ぶけれども、同時に古き大阪のなつかしき情景が消滅してしまうのを惜むものである。

書として、展覧会を眺めて廻る忠実なる鑑賞家も大阪の二科展会場等で時々見受ける。

下手なのかと私に訊ねたことがあった。もちろん大阪の会場でのことだ。高いものはよいと、昔から大阪ではいい伝えられ

の会場でのことだ。高いものはよいと、昔から大阪ではいい伝えられているのだから無理もない。何か油絵画家の内閣と

千日前

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を散歩するとざらに転がっていた。私の家が千日前に近い関係上、ひまさえあると誰れかに連れられて私はこの修羅場を

難波

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頃は、女中の背に乗って、毎日々々梅田と難波の停車場や踏切へ、汽車を眺めるべく、弁当を持って出張に及んだもの

て、当時のハイカラな洋風の塔であった、一方は難波にあって五階であり、一方は北の梅田辺りと記憶するが九階

武蔵野

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その時、初秋に近い武蔵野は、すすきが白く空が北国までも見通せるくらいに澄み切っていて、妙

カンヌ

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、モンマルトル辺りで買った人形や古時計、荒物屋のカンテラ、カンヌの宿でつかっていたランプ、ニースのカーニバルで使うマスク類、レース、ガラス

道頓堀

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よほど以前、私は道頓堀で大阪の若い役者によって演じられた三人吉三を見た事があっ

一つには、私が純粋の大阪の町人に生れ、道頓堀に近く、何んとなく卑近なものにのみ包まれて育ったがために、

そうな元気な近頃のモデルを眺めていますものは、道頓堀あたりで舞子がまだ若いのに青い静脈を額に現して、牡丹燈籠から現れ

芦屋

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の苦しさからタクシーを捨てるに忍びず、とうとう阪神国道を芦屋まで走らせてしまった。そして私の家を見るに及んで私の心臓は

芦屋風景

芦屋という処へ住んで二年になる。先ず気候は私たちの如くほそぼそと生き

が事実はさようにうまく成立っていない処が、南仏と芦屋との悲しい相違である。

この芦屋にはオリーブの代りに黒く堅い松の林の連続がある。松も悪いと

よく見えるという位の家が殆んどない。これは何も芦屋に限らない、現代日本の近郊の大部分は同じ事ではあるが。

ロンドン

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病室へ送られたが、マルセイユへ上陸出来ず、彼はロンドンまで行くことになった。私は彼からハンカチーフを贈られ私は寝衣の着換え

もちろん、古いロンドンの名勝写真には、往来の人みな、シルクハットを被って歩いているのを

外国というものを夢見さされていたものである。ロンドンや巴里はこの居留地のような処だとも思っていた。ところでだんだん

心斎橋筋

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たろ」といって漸く着せて見た洋服を、私は心斎橋筋の散歩で沢山見受ける。即ち女の子は、近所の女給かダンサーの扮装となって

ないが、万事を諦らめて、私はやむをえず心斎橋筋をそれでも歩いて見る。

梅田

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一方は難波にあって五階であり、一方は北の梅田辺りと記憶するが九階のものだった。九階は白き木造で聳え五

箱根

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時に何かの用件によって上京する時、汽車が箱根のトンネルを東へ抜けてしまうと、それが春であろうと夏であろうに

豊国神社

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て気にかかる構成上の欠点は、図書館の近くにある豊国神社の屋根と鳥居である。あれは、誰れかが置き忘れて行った風呂敷包み

大阪市

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なといった。なるほど、素晴らしく大きな太陽は紫色にかすんだ大阪市の上でキリキリと舞いながら、国旗のように赤く落ちて行くのであった

私は、大阪市の真中に生れたがために、この温気を十分に吸いつくし、この温気なし

その後、初めて大阪市中に電車が現れた時、私はそのエキゾウチックなニス塗りの臭気と、ポール

高津

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持っている。しかし、東南を望めば、天王寺、茶臼山、高津の宮、下寺町の寺々に至るまで、坦々たる徳川時代の家並である。あの

看板もだんだん姿を消して行くようである。しかしまだ、高津の黒焼屋の前を通ると、私は私自身の生れた家を思い出す。それ

金閣寺

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私がもし、急に明日から金閣寺で暮すという身分にでもなったとしたら、私は直ちにパンタロンは紙屑

コロンボ

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ある事が判った。そして川口町の西洋館に似たものはコロンボ、シンガポールにおいて私は見る事が出来た。要するに植民地の西洋館であっ

島原

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京都、島原に花魁がようやく余命を保っている。やがて島原が取払われたら花魁はミュゼーの

京都、島原に花魁がようやく余命を保っている。やがて島原が取払われたら花魁はミュゼーのガラス箱へ収められてしまわなければならぬ。

マルセイユ

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怖れさせた。やがてその人は病室へ送られたが、マルセイユへ上陸出来ず、彼はロンドンまで行くことになった。私は彼からハンカチーフ

突込んでこの匂いを嗅いでみる。するとインド洋からポートサイド、マルセイユ、パリ、ベルリンが鮮やかに私の鼻から甦ってくるのである。

宝塚

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食べているような気がした。私は阪神国道と宝塚と六甲山と有馬と神戸と明石を、ことごとく飲み込んでしまったので胃袋は不消化

天王寺

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彼岸は仏参し、施しをなしとあるが故に、天王寺の繁盛はまた格別だ。そのころの天王寺は本当の田舎だった。今の

が故に、天王寺の繁盛はまた格別だ。そのころの天王寺は本当の田舎だった。今の公園など春は一面の菜の花の田圃だった

彼岸らしい心を私に起させた。かくして私は天王寺において頗る沢山有益な春の教育を受けたものである。

ばこの蛸めがねを考える。やはり相変らず彼岸となれば天王寺の境内へ現われているものかどうか、それともあの蛸も大将も死ん

は素晴らしさを持っている。しかし、東南を望めば、天王寺、茶臼山、高津の宮、下寺町の寺々に至るまで、坦々たる徳川時代の家並

名古屋

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一晩汽車にゆられて大阪駅へ降りて見ると、あるいはすでに名古屋あたりで夜が明けて見ると、窓外の風景が何かしら妙に明るく白ばくれ、

たった一人、京都に一人、平家物語りを語り得るものは名古屋に一人、芸妓は富田屋、花魁は島原、油絵描きはパリに幾人にし

明石

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た。私は阪神国道と宝塚と六甲山と有馬と神戸と明石を、ことごとく飲み込んでしまったので胃袋は不消化な風景で一杯満たされてしまっ

伊予

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私がある夏、伊予の道後温泉で高浜虚子氏や朝日の大道鍋平君などとともに四、五

関東

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関東の空には、四季を通じて、殊に暑い真夏でさえも、何か一脈

、阪神地方のみに限らず、全関西を通じて気候は関東よりも熱帯的である。従って、あらゆる風景には常にわけのわからない

。温気なればこそ育つべきものがあるだろうと思う。例えば関東の音曲や芝居と、関西の音曲、芝居とにおいてその温気の非常な

ベルリン

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ない。私は天狗につままれたる昂奮のままでパリやベルリンを歩いていたに違いない。

私はある冬、ベルリンに一カ月あまり滞在していたことがあった。その時はちょうど戦後で

富士山

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ともかく私は自動車や汽車の相貌、花瓶や牡丹やメロンや富士山の相貌より以上のしつこさにおいて裸体ことに裸女の相形に興味を

中之島

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風景は日々に改まりつつあり、新しき時代の構図を私は中之島を中心として、現れつつあるのを喜ぶけれども、同時に古き大阪の

ナポリ

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ある夜、死んだ母と私がナポリの街のある宝石商の前へ立ってその飾窓を眺めていた時、火山

パリ

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帝展の遠山五郎君だが、私達が十幾年ぶりでパリで出会った時、彼もまたそのことを記憶していて思い出話をし

たべられた場所を掻くことを楽しんだことさえあった。パリの客舎でノスタルジーを感じた時、南京虫のきずあとをいつまで掻いて長い時間を

次第の勝手気ままの不統一で通す事にしている。一度パリで買って私の気に入ったパンタロンは、よそ行きも常も婚礼も朝から

のトランクを開けてみる。そのトランクの中には私がパリから持ち帰ったあらゆるものがなるべくそのままつめ込んである。蓋を開けるとナフタリンと何

と何か毛織物の持つ特殊な外国風の匂いとが交ってパリの下宿にいた時の空気が今なおなつかしく立ち昇って来るのを感じる。

この匂いを嗅いでみる。するとインド洋からポートサイド、マルセイユ、パリ、ベルリンが鮮やかに私の鼻から甦ってくるのである。

パリのトランクでふと思い出したことであるが大体において泥酔者というものは

回復しない。私は天狗につままれたる昂奮のままでパリやベルリンを歩いていたに違いない。

私のパリの下宿屋とその付近には、ずいぶん日本の画家や画学生が滞在してい

結局、一方はパリを憧れている日本の奴らにろくなものはいないといって日本人を避けよう

ところが左様に外国にいて日本だ、パリだ、と喧嘩したものが、いつどうせ日本へ帰ってくることになるが

私がパリへ着いて間のない頃だった。洋服単笥の錠前が損じたので

現れて、錠前屋さんですといったことがあった。パリでは、ヴァイオリンを弾く立ちん坊が茶色の山高を被っている。大変意気な形

ある友人は、パリのしゃれものは仕立ておろしの服を直ぐ着用して外出はしないと話したこと

名古屋に一人、芸妓は富田屋、花魁は島原、油絵描きはパリに幾人にしてそれでおしまいという事にならぬとは限らない

を以て彼らの美術館を飾ると同じ心を以てパリの近代絵画の信用あるものを選んで買い込んでいる。先ず最も新らしい、現代らしい

私は最近、二科の会場でパリ以来久方ぶりの東郷青児君に出会った、私は東郷君の芸術とその風貌姿態

私は彼が「パリの女性」に出て成功した以前、随分古くから至極つまらぬ役におい

その後、ふと私はパリでマックスが復活せる力作を見るを得て、私は心の底から笑い

ニース

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に一度くらいはヴァンスから来る乗合自動車で二十分を費してニースの町まで出かけたものだった。そこには二、三軒の湯屋があった

、荒物屋のカンテラ、カンヌの宿でつかっていたランプ、ニースのカーニバルで使うマスク類、レース、ガラス玉、煙草入れ、三つ揃い八〇フラン

これに比べると南仏、ニースのカーナバル祭の如きは素晴らしいものである。それこそ終日終夜、全市の老若男女

有馬

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な気がした。私は阪神国道と宝塚と六甲山と有馬と神戸と明石を、ことごとく飲み込んでしまったので胃袋は不消化な風景で一杯

関西

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養成してしまうことが多い。よたな人物などいうものは関西の特産であるかも知れない。

ものがあるだろうと思う。例えば関東の音曲や芝居と、関西の音曲、芝居とにおいてその温気の非常な有無を感じている。

文化、芸術、人の根性を産むようであるが、この関西殊に大阪の温気によって成人した大阪人は、まだわれわれの窺い知ること

それで常に関西にのみ多く住んでいる私は、つい芝居を見に行く本気を失ってしまう

見物をする。私は常に不埓な見物でことのたりる関西を淋しく思う。

関西には形容すべき言葉にして、特に訳のわからない複雑な感情と意味

事をしたと感心してもいいのである。とにかく関西にはかなり便利で意味深きなおかつ深刻にしてユーモアの味を含めるいろいろの言葉

モンテカルロ

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を中心として、西はカーニュ、アンチーブ、キャンヌ東はモンテカルロといった風な趣きにもよく似通っているように思えてならない。殊に

それにつけても羨ましいのはモンテカルロ辺りの古風な石造の家や別荘の積み重なりの美しき立体感である。マッチの捨て

長堀橋

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散歩する時、こんな人気のない家と場所が混雑せる長堀橋のちょっと東に存在する奇妙さを面白く思う。そしてこの奇しき家の内部を知る

両国

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東京弁で演じていた。従ってその一力楼は、京都でなく両国の川べりであるらしい気がした。しかしそんな事が芝居としては問題にもな

谷中の墓地

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中考えて見た事さえあったが、しかし、翌日、谷中の墓地を通って見ても、木の幹の影はやはり紫では決してなかっ

奈良

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奈良公園の一軒家で私が自炊生活していた時、初春の梅が咲く

公園を自動車で通過したことがあった。その時の奈良はちょうど渡欧の途中で見物したシンガポールの植物園とほぼ同じだった。そして

私はいつか奈良ホテルから、公園を自動車で通過したことがあった。その時の奈良

だけの風景は震災のドーナツである。私は昔から、奈良の風景を愛する。ただ惜しいことには水の不足を感じる。荒池、鷺池

奈良風景

しかし私はしばらく奈良に滞在して、朝夕鹿と交際をしてみた。そして鹿という

散々その足蹴にされている女や子供を見た。奈良公園の車夫どもは長い竿を持って彼らを追うのだが、もし

奈良の小学生達は大概、初夏の頃になると女鹿をおそれてなるべく避け

私は奈良に住んでだんだん鹿を憎むようになってしまい、常にステッキか石ころを

に、彼らを見るとそしてあのなまやさしい眼を見るとまた奈良へ来たという感を深くし、一つせんべいでも買ってやろうか

しかしながら近頃たまたま奈良へ出かけてみると、あの新緑の下に水辺にあるいは紅葉の側に、

ある。先ず結構なことだと思う。しかしながら、これは奈良のおん祭の如く京都の祇園祭の如く、神社の行事として残って

巴里

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私は巴里で、誰れかのアミーと共に自動車に乗る時、うっかりとお先きへ

ある、それにしては日本のあらゆる動くものや交通機関は巴里あたりのそれに比べるとほんとに貧しく穢ならしく色彩に乏しく、貧乏臭くは

私は巴里のメトロの、さもフランス的な赤色と、青と白との連結され

私が巴里の客舎にいる頃、いつも町外れの森の中から、この曲馬団のラッパ

思えて来て、とうとう私が巴里へ到着した時、巴里はとても古めかしく荘厳な石の蔵の連続であった。そしてあの居留地の西洋館

どうやらそうでもないらしく思えて来て、とうとう私が巴里へ到着した時、巴里はとても古めかしく荘厳な石の蔵の連続であっ

いうものを夢見さされていたものである。ロンドンや巴里はこの居留地のような処だとも思っていた。ところでだんだん、

京都

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東京弁で演じていた。従ってその一力楼は、京都でなく両国の川べりであるらしい気がした。しかしそんな事が芝居と

同じ意味の事柄を流暢な東京弁か、本当の大阪や京都弁で、ある表情を含めて申上げたら、男は直ちに柔順に承諾するで

出している少女が大阪だけかと思うと、神戸にも京都にも東京にもある。おそらく仙台にも福岡にもあることだろう。誰

だと思う。しかしながら、これは奈良のおん祭の如く京都の祇園祭の如く、神社の行事として残っているのであって、

京都、島原に花魁がようやく余命を保っている。やがて島原が取払われたら花魁

何々の職人は広い東京にたった一人、京都に一人、平家物語りを語り得るものは名古屋に一人、芸妓は富田屋、花魁

松山

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風がちょっと吹いた、それは友人T君夫婦が郷里の松山へ帰るから行かないかと突然に私を誘ったのだ。私は大作

高松

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最後の一日を高松で暮した。栗林公園も桜の真盛りだった。三味線と酒と、大勢

神戸

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翌日再び海を渡り、退屈な山陽線によって神戸へ近づくにしたがって、私は私の神経がかなり暢びてしまっている

とフランスの水兵等、あらゆる人種の混雑せるがために、神戸を中心とする女の洋服は多少本格的だ。だが、植民地臭くはある

性を発見して私は満足する事がしばしばある。殊に神戸は西洋人と支那人とインド人とフランスの水兵等、あらゆる人種の混雑せる

出現の如くうるさき人々は眺めている。その点では神戸と阪神沿線に見る教養ある洋装婦人や娘たちには相当スッキリとした

には神戸の港がある。電車で大阪へ四十分、神戸へ二十分の距離である。

斜面をなしている。東に大阪が見え、西には神戸の港がある。電車で大阪へ四十分、神戸へ二十分の距離で

その腹立ちを直すために、神戸へ出かけて、ユーハイムの菓子でコーヒーをのみ、南京街で新鮮な野菜を

、画室へ現る日多し。歳末の都会風景、趣多し。神戸と大阪のバーゲンセールなど漁りあるき五〇銭のネクタイなど買う。研究所にヴントアレッセイの展覧会

から足を出している少女が大阪だけかと思うと、神戸にも京都にも東京にもある。おそらく仙台にも福岡にもあること

がした。私は阪神国道と宝塚と六甲山と有馬と神戸と明石を、ことごとく飲み込んでしまったので胃袋は不消化な風景で一杯満たさ

の多くを発見しているのであるが長くなるので神戸は略する。

を探せばかなり出て来そうであるが、なお私は神戸の居留地と山手に散在する処の古き洋館に頗る愛着を感ずるものの多く

福岡

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神戸にも京都にも東京にもある。おそらく仙台にも福岡にもあることだろう。誰が命令したというわけでもない。ただ

仙台

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思うと、神戸にも京都にも東京にもある。おそらく仙台にも福岡にもあることだろう。誰が命令したというわけでも

東京

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その大和魂の存在がよほど口惜しかったと見えて、東京のNさん夫婦がその後遊びに来た時、細君同士は男子の薄情に

そのアクセントを丁寧に習得した人であったから、美しい東京弁なのである。そして私の言葉は少し困った大阪弁なのであっ

、一番違っているのは言葉の抑揚である。それは東京弁の全く正反対のアクセントを持つ事が多い。上るべき処が下り、下る

が大阪は上らない。「くも」のくの音を上げると東京では蜘蛛となり、大阪では「雲」となる。

たとえば「何が」という「な」は東京では上るが大阪は上らない。「くも」のくの音を上げると東京

それで大阪で発祥した処の浄るりを東京人が語ると、本当の浄るりとは聞えない。さわりの部分はまだいい

蔵だと思えただけであった。一力楼は本籍を東京へ移してしまった訳である。

東京で私は忠臣蔵の茶屋場を見た。役者は全部東京弁で演じていた。従ってその一力楼は、京都でなく両国の

東京で私は忠臣蔵の茶屋場を見た。役者は全部東京弁で演じて

大阪人は大阪弁を、東京人は東京弁を持って生れる。持って生れた言葉が偶然にもその国の標準語

大阪人は大阪弁を、東京人は東京弁を持って生れる。持って生れた言葉が偶然にもその

の趣味講座を聴く事がある、その講演者が純粋の東京人である時は、その話の内容は別として、ともかく、その

もしこの言葉と同じ意味の事柄を流暢な東京弁か、本当の大阪や京都弁で、ある表情を含めて申上げたら、

はのどへつかえてしまうはずである。それでは純粋の東京流の言葉と抑揚を用いようとすると、変に芝居じみるようで私の

ているものたちが、時たま観劇に誘われて見ると、東京の劇場は靴のままの出入りだから幸福だが、大阪では通人の

は名人も芸を磨く気にはなれないだろう。その点東京の見物人はもっと本気な意気を持っていると思う。私は名人を作る

私は東京で吉右衛門を見て、それから大阪でそれを見た。すると大阪で

でもよいとして、私は今でもその頃の東京行きの機関車の形態を絵に現し得るだけの正確さを以て覚えて

事か知れなかった。私はもしこの美しい電車を大阪や東京の市街を走らせたら、あるいは乗客全部を現代日本の種々雑多な混雑せ

ところの簡易服を着ているものを認めることが出来る。東京では何と呼ばれているか知らないが大阪では右の称が

少女が大阪だけかと思うと、神戸にも京都にも東京にもある。おそらく仙台にも福岡にもあることだろう。誰が命令し

私はあの東京の大地震の時、幸いにも恵まれた二個のドーナツを大切に抱いて

ややこしいという事を東京流に翻訳して見ると、この語の中に含む真のややこしさを

あしんどとかしんどうてたまらぬとかいう、これも東京ではどんな言葉でいい表していいか私には見当がつき兼ねる。

だから大阪人のややこしさを了解しない地方人や東京の手荒い気質を持ったものは、はなはだ大阪人との交際ではまごつく。

馬鹿な一日もあったりする。かかるややこしい大阪弁が近頃は東京でも一般に通用するようになって来たと思う。私が試みに

大体、大阪の夏は随分暑いと思う。東京は夜になれば、何んとなく冷気を覚えるが大阪は夜も昼も

しかし、目下東京に二、三の高砂屋が現れて相当の功績を挙げている様子だ

何々の職人は広い東京にたった一人、京都に一人、平家物語りを語り得るものは名古屋に一人

吉祥寺

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或年の夏の末、私の友人が私を吉祥寺方面へ誘った、そして私の仕事の便宜上、その辺で住めばいいだろう

大崎

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去年の夏は紀州の大崎という片田舎の漁村へ、研究所の夏季講習会があったので生徒ととも

上野

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催すのである。懐炉を腹にあてて残暑の炎天を上野へ急ぐ辛さは深い。

九月、連続せるへとへとのわが身を上野の美術館において見出す。無数の出品画の山である、わけのわから

浅草

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私などは、殊の外恥かしがり屋の故を以てか、浅草や千束町へは毎晩通っていたが、文展へ絵を出す如き行為は

て被ればいいか、まだよく飲み込めていないその夜、浅草千束町の銘酒屋を観賞して廻った。その時障子の中から一人の女

銀座

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足を並べました。私は心斎橋を散歩しながら、あるいは銀座の歩道で、あるいは電車やバスの中で洋装におけるそれらの足

といっても、我々背広服の男が彼女と共に銀座を散歩する事は困難だ。今やすでに、現代の若者が祇園の舞妓