楢重雑筆 / 小出楢重
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の蠣を籠に一杯ぶら下げてぼんやり立っています。大阪には親しいものは一つもないのだそうです。僕の家は二階
大阪古物の風景
大阪の町を歩いて、面白いと思える古物の風景が一番たくさん遺っているのは
またこの付近には、その掘割の両岸に、とても今の大阪では見失ってしまったような昔の土蔵がずらりと並んでいる七ッ蔵
とにかくこの付近をぶらぶら歩いていると、古物の大阪が随所に、確かに残っているので愉快です。
、もう十四、五年も以前の事であります、偶然大阪の平野町の夜店の古道具屋で、初めてガラス絵というものを買って見た
ところで、大阪ははなはだ散歩の範囲が狭い。そして銀座の如くすっきりとしないのだ。何
そのくせ自分は大阪の真中で生れた生粋の大阪ものであるので、なおさらにがにがしい気がして
くるのであった。それだから、学校におっても大阪から来ている奴とは殆んど言葉を交えない事にしていた。日本人
出会ってもろくに自分は言葉も交えなかった、何んだ大阪の糞たれめといった調子でにらんでいたものだった、今聞いて
巴里に美術家が集るのも、大阪に商売人が集るのも釜ヶ崎に乞食が集るのも、東京へ文芸が集るの
恐ろしくいやに響くのだ。それは一つには私が大阪という土地にのみ住んでいて、大阪人にのみ取り囲まれていたため
それは大阪の芸術家や紳士を集めた或招待会の席上での事だった。一人の
た。或物識りの説では、この頃あの袋は随分大阪では流行しているのだそうだ、名も宴会袋とか何んと
がない。芸術家でさえ已に用意しているのだから、大阪の金持ちの懐中にはこの袋が最早行き渡っているのではないかと
見るや否や、私は停車場へかけつけて、何はともあれ大阪までの切符を買ってしまったのであった。
ともいえず素晴らしく輝いているのだ。それに私は大阪行きの汽車に乗り込んでいるのだから馬鹿げているではないかと思った
比して、何んともいえず新鮮な心地がする。例えば大阪を仕舞風呂とすればこの辺りの空気は朝風呂の感じである。何もか
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それから心斎橋筋を通ると二、三の時計台が目につく。その中でも一番古風その
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円屋根がなくなったら、この辺りの風景は、それこそ東海道から富士山が凹んでしまったくらいの退屈な光景になってしまうことでしょう。
例えば富士山と海のある風景の触感を味わいたいと思って、その山と海とを
例えば、富士山と雲と、樹木と人家と岩とが画面の中央に於て竪の一直線
られるのである、こんな場合画家は歩けるだけ歩きまわって、富士山と樹木と雲と人家と岩とが何んとかお互によろしき配置を
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が一番いいと思います。あるいは百間堀、あるいは薩摩堀の豊橋から見ると、実にいい構図になります。最近のアメリカ文化は、あまりこの
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にものをいっていたものだが、家へ帰ると大阪市全体、私の家族全体、友人全体が、なんやこう、けったいな言葉を使う
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紛失した話を一つ書くことにします。これはパリなどへ送金する上にあるいはまた参考になることかとも思いますから、講談
を待っていたのです。もちろん僕宛の手紙類はパリの日本人クラブ宛で来ることになっていました。そこには僕の友人
、大いに元気づいたわけです。近くのニースの町にあるパリの銀行の支店へ出かけ、その帰途クックへ寄ってイタリア行きは一等の寝室
なくなってしまいました。しかし一月十五日頃僕はパリにいなかった、カーニュにいたということだけ辛うじて発音して、あとは
私はこの意味でパリの地下電車やバスや市電でさえも、座席に等級をつけてあることを
またパリの夜店などあるいてみると汚ない小道具屋によくビッシエールなどの使っている古い額縁
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憐れむべきカリカチュールでなくて何んであるか。私は最近芦屋へ移った。永い間の都会生活に比して、何んともいえず新鮮な
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あったのですから、大いに元気づいたわけです。近くのニースの町にあるパリの銀行の支店へ出かけ、その帰途クックへ寄ってイタリア行き
のある時には予感というものがあるものですね。ニースの町へ到着して銀行の正門を入ろうとすると、門衛は鉄の戸
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、事実あるのだからいたし方がない。しかしこの大蜘蛛は関東に少く関西に多いのだ。それで東京の人には説明しても了解
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た時、逃げ出すのに都合よいためである。私はいつも大江山の頼光を想い浮べて、悲壮な感にさえ打たれる。
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のだからいたし方がない。しかしこの大蜘蛛は関東に少く関西に多いのだ。それで東京の人には説明しても了解のゆかぬ
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であった、東京から暑中休暇で帰郷する時など、汽車が逢坂山のトンネルを西へぬけるとパット世界が明るくなるのは愉快だがワッと大阪弁
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心根はすなわち嘔吐となって現れているのだ。私は道頓堀の街路ぐらい嘔吐を遠慮なく吐き散らされている盛り場をあまり見たことがない。
が、人間の嘔吐だけは実に癪に障るのだ。道頓堀はまったく散歩には不適当な場所だと思う。
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私はコロンボや、シンガポールで焼つく大地を平気な顔で歩いてる素足の土人を見た
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円くて、鍔がそれはうんと巻き上った黒の軟かい帽子をマルセイユで、買って置いたのでした。これは、まだそのまま、トランクの底
上なかなか以て語学の勉強どころの騒ぎではなかった。とうとうマルセイユへ到着するまで、読本巻の一は、カバンの底へ組敷れたまま
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て工夫されているようだ。いつか広津和郎氏が築地小劇場風の冠り方ということを手真似までして話してくれたことがあった
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にもあの日は二科の招待日であったから、上野公園というまず理想的な避難所に初めからいたために、私はただ驚い
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現れました。長い頭の毛をモシャモシャと引掻きながら「奈良までは奥さん電車賃はいくらですかね」と聞きました。さあなんでも
。今フランスに滞在している大久保作次郎君と私とが奈良の浅茅ヶ原の亭座敷を借りて暮していたことがありました。
があるからそれは省略するとして、今一つは奈良公園での出来事だった。
へ出頭して絵具箱を頂戴して帰った、その時奈良の新聞には古い都だけあって、油絵師何某とかかれてあった。
私は十幾年以前奈良の浅茅ヶ原で泥棒のために絵具箱とトランクを盗まれた事がある、
ことでした、私は風景写生がして見たさに奈良へまいりまして、そこで或人の紹介で金持ちの後家さんの離座敷を
その家は木辻遊廓の近くにありまして、奈良特有の低い屋根で蔽われた暗い家でした、主人の後家さんという
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やって来たのです。白い毛糸の頸巻きをして広島土産の蠣を籠に一杯ぶら下げてぼんやり立っています。大阪には
B日、広島から二、三度手紙を寄こしたMというのが突然訪れて来まし
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など肩にかけた肖像画や諸国名勝などであります、あるいは長崎あたりへ来た黒船の図なども多いのです。
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はずであろうと思うが、事実はそう行かないのだ、巴里にいる日本人は皆お互から遠ざかる事を希望する。それはわれこそ一
間にアメリカ人が日本へ集っていたり日本の人だまが皆巴里へ集っていたりなどしても、ちょっと区別がつかないので目に
話しが大変広くなってしまったが私の美校時代には巴里にいる日本人の心持ちようのものがかなりに働いていたものだった。
巴里に美術家が集るのも、大阪に商売人が集るのも釜ヶ崎に乞食が集る
。それで尋ね尋ねた末、やっとの事で遠いフランスは巴里の都で、初めて好きな帽子にめぐり逢ったのでした。
巴里でも伊太利製や、アメリカ、英国製品がかなり多く入っていますが、
巴里の極く普通の男がよくこの帽子を冠っています。それが私の
本国の巴里でさえ、もうこんな形は流行していないかもしれません。目下
組敷れたまま、印度洋の湿気でベトベトになって巴里の下宿屋の三階で初めて現れた。
如く、われわれは手を引き合って、無言のまま、にこにこと巴里へ到着してしまったものだった。
何の影響もなかった。もしその記事の中に明日、巴里にいる日本人を皆死刑に処すと記されてあっても、少しく驚かない
ないものにとっては、初めのうちは世界の都、巴里も、高野の奥の院位いの淋しさであった。カフェーやレストウランで
地中海に面した、暖かい処であるから、冬になると巴里から沢山の画家がやってくるらしい。当時もこの宿に硲君も正宗氏
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私は最近、神戸のあるドイツ人が経営する、菓子とカフェーぐらいを出す家で実にうまい菓子
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から散歩にはすこぶる都合がいい。銀座から神田、広小路、浅草と歩けば限りがない。何日でも違った方面を散歩することが出来る
、かなり必要なことだと思う。銀座はブラツクところ浅草は浅草らしく、神田は本屋、女郎は吉原、それ以下は亀井戸などとなっている
ことは、かなり必要なことだと思う。銀座はブラツクところ浅草は浅草らしく、神田は本屋、女郎は吉原、それ以下は亀井戸などとなっ
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いっても広いから散歩にはすこぶる都合がいい。銀座から神田、広小路、浅草と歩けば限りがない。何日でも違った方面を散歩
なことだと思う。銀座はブラツクところ浅草は浅草らしく、神田は本屋、女郎は吉原、それ以下は亀井戸などとなっているから都合が
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何といっても広いから散歩にはすこぶる都合がいい。銀座から神田、広小路、浅草と歩けば限りがない。何日でも違った方面
ところで、大阪ははなはだ散歩の範囲が狭い。そして銀座の如くすっきりとしないのだ。何としても大阪人の集まりで
があるということは、かなり必要なことだと思う。銀座はブラツクところ浅草は浅草らしく、神田は本屋、女郎は吉原、それ以下は
へ文芸が集るのも、支那に支那人が多いのも銀座にカフェが出来るのも十二階下に白首が集るのも、皆魂が
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東京は何といっても広いから散歩にはすこぶる都合がいい。銀座から神田
、殊に大阪人を非常に厭がったものであった、東京から暑中休暇で帰郷する時など、汽車が逢坂山のトンネルを西へぬけると
大阪に商売人が集るのも釜ヶ崎に乞食が集るのも、東京へ文芸が集るのも、支那に支那人が多いのも銀座にカフェが
二度行路病者となって行き倒れたことがある。一度は東京の目白のある田舎道で夜の八時過ぎだった、急にフラフラとやっ
しかしこの大蜘蛛は関東に少く関西に多いのだ。それで東京の人には説明しても了解のゆかぬ人が多い。見たこと
といっていい位いだ。西洋人でも随分鮮かな東京弁を使う人に時々出会う事があるが、全く私は恥かしい。それは
東京にいる間は、それでも多少は東京風にものをいっていたものだが、家へ帰ると大阪市全体、
東京にいる間は、それでも多少は東京風にものをいっていた
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働いていたものだった。例えば今大変親しい鍋井君や大久保作治郎君なども、十幾年前は学校の食堂などで出会ってもろくに
ある夏のことでした。今フランスに滞在している大久保作次郎君と私とが奈良の浅茅ヶ原の亭座敷を借りて暮していた
おい君、出たまえ、と大久保君が鹿に申しました。私は箒を持ち出して鹿のお尻を突い
温厚である大久保君も、そののっそりとした様子が、いかにも人を見下げた態度だ
の腐ったような奴だということを発見するでしょう。大久保君鹿を目がけてステッキを投げつけた。すると彼女はずるい目つきでわれわれを
大久保君は投げたステッキを拾いながら、君、あいつは無茶やなアと申しまし
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行路病者となって行き倒れたことがある。一度は東京の目白のある田舎道で夜の八時過ぎだった、急にフラフラとやって来
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ところが最近は紀州大崎へ出かけた、小船にのって弁天島へ渡ろうとして、偶然にも再び
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私が有楽町の細い横丁の二階を借りていた頃、四、五軒さきの家