雨の玉川心中 01 太宰治との愛と死のノート / 山崎富栄

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地名一覧

ロンドン

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「日本小説のひとがね、ロンドンのジンを持って来たんでね。飲んではグーグー眠り、さめると、

帝国ホテル

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“――女は、その帝国ホテルのあくる日に死にました。”

本郷

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は、なぜ君を紹介してくれなかったんだろう。同じ本郷に住んでいたのにね”

奥名富栄さん。それから今日までの四年の間に、本郷での罹災――田舎落ち――鎌倉――三鷹町――と随分わたしも

鎌倉

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年の間に、本郷での罹災――田舎落ち――鎌倉――三鷹町――と随分わたしも転々といたしました。それでも、

老骨ながら父母が田舎で美容院を経営していくとか、鎌倉の姉の店にて十日ほど、ニュー・スタイルを学ぶ由。胸がせまって

斜陽

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“私は奥様と同じように、あなたが斜陽の人に逢うことはいやです。もし逢ったら、私死にます”

風呂へいく。帰途『斜陽』の話が出て、「斜陽の人と、私とは、はいった道が違います」と、なにげなく

日活

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東京大映本社へ川口松太郎さんに逢いにいく。根岸さん(日活のひと)と同乗。談後、築地の待合へいく。川口さん、その作品

伊豆

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“伊豆の地平線はちょうど私のお乳のさきにさわるくらいの高さに見えた”

この前のときだって、君に逢ってさえいたら、伊豆へなんかいかなくてもよかったんだよ。そうすれば、僕だって苦しま

伊豆から御便りある。

いると、自然に頭が痛くなってくるから不思議です。伊豆のひとも可哀想です。わたしも可哀想な気がします。奥様のことも…

「伊豆の方」から電報あり

伊豆の方に、ここに来てもらって話をつけようかと思う、と仰言るの

せていただいたことども。結局は奥様にとっても「伊豆」にとっても一番大切なことだったのですし、一番救われるのは

伊豆からの御手紙が回送されて来る。

私より前からおつきあいしていた女子大生。それから伊豆。

、いま、心を読まして下さるのは、私一人きり。伊豆の人は、「据膳」で愛情は全くないとのこと、女子大生のひと

愛情は全くないとのこと、女子大生のひとには、伊豆に子供のあることも言っていない。私ひとりきりなのだ。修治さん

伊豆の方御病気

「古田が言ったよ、伊豆へときたま行ってやれって――」

伊豆のかた

宮城

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加藤さんと、宮城の草原に寝ころんでお話する。生き疲れ、貴女は再婚しなければいけない

玉川上水

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玉川上水の堤のあちらこちらから、可愛い芽生えが感じられて、厳しい冬の名残りもあとわずか

青森

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議員をなさっていられました。お兄様は、現在青森県知事をなさっていらっしゃいます。

京都

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京都より、堤様、横田様御上京。

千葉

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五日、六日と千葉方面へいらっして、御仕事なさることに決定。

三鷹

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です。ですから努めて、考えまいとしてますの。三鷹から離れて住みたくないばっかりに、色々のものを棄てました。

三鷹では生まれてはじめての苦労でした。あの、つらい塚本さんの雰囲気。私

を知らないでいたのなら、もう、ずっと昔に、三鷹を離れておりましたものを。貴方の知らない苦しみを味わって……

に、本郷での罹災――田舎落ち――鎌倉――三鷹町――と随分わたしも転々といたしました。それでも、奥名家

三鷹病院の横を通る。

三鷹まで野平さんが送ってきて下さる。お泊りになるものとばかり思って

を出そうとして、封筒に住所を書いたものの、三鷹からではいけないと思い、日曜日に、東京へ出て、そこから投函

気付かなかったことなので、はらはらしながら受けとりましたが三鷹も小さな町なので、このままの宛名がつづいて参りますと、雑誌

初執筆してから――(二十日間、百五十枚)。三鷹の私のところで、続二回目(十日間、約八十枚)。

なり、涙がいつもこみ上げてきそう。私の容貌など、三鷹へ来た頃と、修治さんにおつき合いしてからと全然変わったと

東京

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M。黒いスカートに白のブラウスで、御出立も諷爽と東京へ。車中で加納さんにお逢いする。太宰さんのお顔が瞬間赤く

あさ、お見送りしてから東京へ出る。

斜陽の検印(二万)を持って修治さんと御一緒に東京へ出掛ける。車中、吉祥寺で乗り換えて坐る。(修治さんの御体を思っ

ものの、三鷹からではいけないと思い、日曜日に、東京へ出て、そこから投函しようと思っていたら、亀島様がおみえ

十時頃から東京へ出る。久我山に洋服をとりにいく。相変わらずニコニコと忙しそう。背広、

(注・ここに東京新聞の文化欄、第一線の現代作家の「道化師・太宰治」という評価

(注・東京新聞の第一線の現代作家※「世俗の達人・坂口安吾」の切り抜き

東京には、また怪しい人間の出現とか。

奥様の妹様が御危篤で、宇留田さんと三人で東京へ出る。新宿で宇留田様とお別れし、二人御茶の水駅で下車。帝大

東京発十二時四十分、熱海行。カンヅメ。太宰さん。私。古田さん。

熱海は暖かいと思いの外、案外、東京と同じ陽気なので、がっかり。

あとは新内――。声色(御得意の羽左、梅幸)東京でおききしたよりは、声量もずっとあって、お上手でしたけれど、

大映のお迎え自動車にて、東京大映本社へ川口松太郎さんに逢いにいく。根岸さん(日活のひと)と

吉祥寺

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よ。いなかったんだもの。やけくそだったんだ。吉祥寺でウィスキーを一本飲んじゃってね」

。悲しいお言葉ばかり、帰るコンテさんを送って御一緒に吉祥寺までいき、西山へ泊る。

いま持っている買物籠、吉祥寺で御一緒に太宰さんに買って頂いたもの。毎日お逢いしてい

を持って修治さんと御一緒に東京へ出掛ける。車中、吉祥寺で乗り換えて坐る。(修治さんの御体を思って、立ち通しではお

吉祥寺のおばさんの意外な場面にお手伝いしたうれしさ、など心に残る。

吉祥寺まで出て、ぢゃぼん四個買ってくる。時々、脚のマッサージをつづけ

昨夜、コンテさんが泊って、御送りしながら、吉祥寺のお風呂やさんへいく。

奥様が「吉祥寺の方から帰っていらっしたようね」と言ったので、ここぞ

お茶の水

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隅田川についてのところをよむ。読み切らぬうちにお茶の水へつく。区役所前まで歩いて、本郷区役所に御一緒に入る。

上野

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御一緒に、上野浮浪児記について、日本小説の方々といく。

人形町

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を、はじめて今日みる。すうーっとするような気持ちよさ。人形町にて。

目白

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(註・ここに「光る太宰、丹羽両氏―中央文壇に目白おしの作家群」と題した新聞の切り抜きが貼ってある)

御茶の水

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で東京へ出る。新宿で宇留田様とお別れし、二人御茶の水駅で下車。帝大病院前まで御一緒にいき、三十分後、正門近くで

新宿

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が御危篤で、宇留田さんと三人で東京へ出る。新宿で宇留田様とお別れし、二人御茶の水駅で下車。帝大病院前まで御一緒

神田

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いたら、古田さんから御電話。しばらくして古田様と神田へ出る。

銀座

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熱海銀座を眼下に、眺望のいい起雲閣へ登る。どうも、どうも、

○先日も織田作之助の一周忌を記念して、ゆかりの銀座「鼓」に坂口安吾、林芙美子などと共に、故人の生活者とし

大宮

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四月二十九日、古田さんと、神田駅で待ち合わせて、ここ大宮市の一隅に修治さんと生活する。人間失格の第三の手記を執筆

、続二回目(十日間、約八十枚)。あと大宮で第三回目(十日間、約六十枚)。今日から、あとがきの

阿佐ヶ谷

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阿佐ヶ谷に住んでいて、御嬢様の由。

京橋

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丸ビル内の喫茶店で三人談話。駅の前から別れ。京橋でコンテさんに逢い、一時半頃家に帰る。

隅田川

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読みになっていられた。私は拝借した苦楽の隅田川についてのところをよむ。読み切らぬうちにお茶の水へつく。区役所