寄席 / 正岡容
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やがて夏が終わりかけて見附から浜松へ。
梅朝一座は浜松で解散した。
活々としたものを顔中に漂わせながら今松は、浜松で一座と別れ、あと二、三日は宿屋でゴロッチャラしていたもの
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浪華の蘆も、伊勢で浜荻。
浪華の蘆も、伊勢で浜荻。
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「今はん行かんか、丹波から鳥取のほうや。あんたと私とあとは五、六人、つまらんところ
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襟までフサフサと垂れている白髪頭を見て今松は、岡崎の古寺へでてくる十二単を着た化け猫の姿を思い出した。
またお屋敷行だ」と言ったことを思い出しながら、いよいよ岡崎の猫の十二単姿を心に思い出しながら今松は、あきれて見ていた
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、海岸へ行っても、山の中へ行っても、関西から山陰へかけて一列いったい同じように暑いのだから敵わない。
ていく老いぼれ爺さんのような心持ちがした、今や関西の落語界全体というものが。
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昔は鬼が住んでいたという大江山は、綾部近く福知山近く始終ヌッと大きな入道雲に似た無気味な顔容を見せて
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伊勢佐木町の喜楽座へは芝翫、高麗蔵の一座が、華やかに東京から出開帳にき
日吉亭――伊勢佐木町 (同)
やっぱり霏々として降りやまぬ雪の伊勢佐木町を、身体中真っ白にして今松は歩いていた。
この大雪でどこも早くから戸を閉めてしまった伊勢佐木町の森閑とした大通りのところどころに、世にも真っ青な瓦斯灯の灯が、
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ああ今ぞ思い起こす。道頓堀あたりでよく海老団治とへべれけた馴染の酒屋の小父さんはいいお酒の
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でも今年最後のお客を争って、毎晩毎晩、道頓堀や土佐堀、京町堀の川面へ、賑やかに艶めいた灯影を落としていた。
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おらん。拠所なくもうあきらめて、貧相でもただ一人で大阪入城とあきらめて参ったところじゃ。行ってくれんか今松さん。尊公なら、
伯水老人、正月いっぱい大阪で稼いで、今松を残し、帰ってしまった。
初めて自分独りぼっちになって、右も他人、左も他人の大阪の落語家の仲間へまじって働きだした。
この大阪にも多年、圓朝の真の呼吸を写したといわれる三遊亭圓馬という
、ここ一年ほどは旅ばかり廻っているとかでほとんど大阪へは寄りつかなかった。
いや、もし大阪にいたとしても、今松は柳派の人間だった。敵と目さ
来ていたけれど、これも旅廻りばかりでほとんど目下の大阪の人ではなった。
で、そう言って大阪の落語家たちは嗤っていたがひと月ふた月と居着いてみると、お尻の
まず大阪の前座さんは、へたりといって下駄箱のような見台を前へ置き、
きびしかった大阪の寒さがだんだん緩んでいった。
もう少しコセコセしたところのない浮世離れた、大阪の言葉で言おうなら「ぞこぬけた」ところがあったっていいじゃないか。
海老蔵という落語家で親代々の上方の芸人だったが、大阪の育ちに似げなく話し口があっさりとしていて上品だった。大阪の特色
に似げなく話し口があっさりとしていて上品だった。大阪の特色である尾籠なことや淫猥なことも、プツリとも口にしなかっ
「いいや、大阪の落語家がですがな、ほんまにほんまに話せん奴らばかりで俺らむかつくこと
言ってしまえるような痛快な男があるのだろうか、この大阪にも。あっけにとられてしばらく今松は相手の顔をポカンと見て
海老とは交いてえが、大阪の土地で落語家をしているのはホトホトいやだ。
それが大阪の人たちはどうだろう。
「その代わり、あいつ大阪の生まれやない」
また大阪の寄席へ帰って働かせてもらおう。
あるだけのものを融通してやっと買えた大阪行の切符二枚と正宗の二合瓶。
一文無しで大阪へ帰ってきてすぐその晩からどこかの寄席へもぐり込めるものと高をくくっ
を貸していて、それを手蔓にいつしか一手に大阪中の寄席を掌握してしまった彼であるから、もともと、落語のような
もちろん、広い大阪の落語界である。
高座のひとつ、鉄瓶ひとつ、湯呑ひとつに、大阪のそれとはまったく別な、口では言えない好もしさが満ち溢れていた
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天王寺へ参詣の人たちがぞろぞろ集まり、将門眼鏡のホニホロや、河内十人斬のからくり
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「江戸にばっかり日が照るけえ、おてんとさまと米の飯ア日本国中ついて
「まったく上方に比べると、酒だけは江戸は落ちるが、熱海の酒も地酒でよくねえ」
「俺は、江戸っ子いちばん好きや。やっぱり芸人は江戸のことや。江戸やないと話がわからん。なあ今松はん」
は、江戸っ子いちばん好きや。やっぱり芸人は江戸のことや。江戸やないと話がわからん。なあ今松はん」
驚きやがったろうな江戸の鮨屋。
江戸と上方との相違なのだ。
の娘おりつは、現在己の夫の無実の罪で江戸は伝馬町の大牢へつながれております。こたび南のお係り大岡越前守
艶かしく緋縮緬の裾を蹴返しながら、川越街道を、逆に江戸へ江戸へ、と」
縮緬の裾を蹴返しながら、川越街道を、逆に江戸へ江戸へ、と」
。この名古屋でもう少し働いていて、いい時期に勝手に江戸へ帰れとこうおっしゃって――」
誰が二度と江戸へなんか。
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「関東のお方はお尻が据らんさかい」
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翌朝早く十国峠から箱根のほうへ行ってしまったということだった。
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「千日前に釣堀おまっしゃろ、金魚釣りの釣堀。あこの釣糸ほん弱いやッちゃ。俺
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こう言いながら、さらに牛坂の家へ行く決心のいっそう固くなるものを心に感じた。
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「こんな、こんなお前、名古屋あたり」
修業して修業し抜こうと考えたんです。それからこの名古屋へくだりました。名古屋にゃ上方で友達になった海老団治って奴にたいそう
と考えたんです。それからこの名古屋へくだりました。名古屋にゃ上方で友達になった海老団治って奴にたいそうな人情噺の名人が
にはもうなにも教えることがないから俺は別れる。この名古屋でもう少し働いていて、いい時期に勝手に江戸へ帰れとこうおっしゃって―
こんな人間らしいことが言えるようになったのも、みんな名古屋の、師匠のあの仮借ない修業のおかげだ。
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今松は、雲井町の雲井座というチャチな芝居小屋へ出かけていった。蜘蛛の巣のよう
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金石亭――神奈川 (同)
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青くゆるやかに由良川が緩って流れている綾部の町も、桑畑に取り囲まれている福知山の町も無闇にもう暑かった。
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「さても川越の河原町。煙草屋藤助方へ預けられました桐生屋伊右衛門の娘おりつは、
限り裁判で御苦労遊ばしておいでになる。寸時も早くこの川越をあとに、南のお役宅へ駆込願いをいたすべしと、日頃信ずる豊川様
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とやるもので、とうとうしまいにはこの今朝が入谷の助六の宅の横へ曲ってくると、遊んでいる近所の子供たちが
さっき大急ぎで今松ひとり、入谷の師匠の所を飛び出し、佐竹の寄席へ駆けつけると、お艶も二軒目
談判したくなってクルリと踵を返すと、興奮して入谷のほうへと歩き出した。
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打ち上げた今松は、伯水老人と再会を約してまたひとりトコトコ横浜まで歩いていった。
さしあたり戦争後の景気が素晴らしいと聞く横浜さして乗り込んでいったのだった。
黄昏。鉄の橋のそばの富竹という寄席には、横浜生え抜きの落語家桃太郎と千橘の招き行燈が、冬靄のなかに華やかな灯
かねがね横浜はたいそうな景気だと聞いていたけれども、ほんとうにその通り。
昨日の手品師といい、いままたこの人といい、横浜ってところはすぐ座長の現れてくるところだな。
いや、旅のほうがいい、なまじこんな横浜辺りでトロトロしているよりも。
「しかたないからこの横浜まで足延ばしてその日吉亭まで書生探しに参ったのじゃが、やっぱりおらん
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ってなんだえ。毎晩毎晩、神田の川竹を休んじゃ、赤坂の一つ木の真打席へばかり酒飲みに行っていなさるじゃねえか」
にすると決して横着で神田の川竹を抜き、一杯飲めるから赤坂のほうへ足が向くなんてそんなのじゃなかった。
また助六も、川竹をやってくると、どうしても赤坂のほうでタップリと噺がやれなくなるところから、人力車の道を変更させ
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昨夜近江から電報が届いた。うちの親父……近江の八幡で」
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昔、根津で勤めをしていたという、眉の剃りあと青いお歯黒つけた、デップリ
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今夜の小助六の振り出しの寄席は八時がらみで、向両国の広瀬亭だった。
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ところが場末も大場末の千住の寄席のうえに、上野の公園の桜の枝なんか何本折れたかわからない、何十年来の大雪。
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下谷も入谷田圃に近い、もとなんとかいう吉原の大籬の寮の跡だ
三月の半ばに下谷伊予紋で披露目をして今松は、雷門小助六と改名した。
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小言も少なくトントンと進んで、職人のところへ、問題の京都の大内へ仕えていたという官女くずれのお嫁さんのやってくる
「妾ことの姓名を問い給うか、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶蔵、宇五光と申せし
「妾ことの姓名を問い給うか、父は元、京都の産にして――」
オイたらちめってオイ嫁さんがきて、元は京都の産にて姓は安藤、名は慶蔵ってあれだろう」
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藤沢を振り出しに、小田原、三島、沼津、静岡と――。
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奈良のお水取りがすんだ日からは、めっきり日ざしが春めいてきた。
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四月には広島へ漕ぎ戻って行く蠣船が、そこでもここでも今年最後のお客を争っ
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法善寺、金沢席の楽屋だった。
無理に今松を引き立てるようにして海老団治は、金沢の楽屋を立ち出でた。
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「今はん行かんか、丹波から鳥取のほうや。あんたと私とあとは五、六人、つまらんところばかり
鳥取の町では、相馬の古御所のような立ち腐れ同様の栄華座という
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米子から松江へ、境へ。
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陰影をも漂わせ、「おせつ徳三郎」の心中場など、深川木場あたりの宵闇の景色の描写は、持ち前の歌い調子で広重描く江戸百景
で生まれて神田で育ち、海老(猪牙)で行くのは深川通い、海老(花)より他に知る人もなし、と。駄目駄目駄目
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という、冷たくだだッ広いこの家は、明治三十八年の東京市中とは思われないほど、ものしずかだった。ましてや日露の大戦争
お艶にふられてメソメソしているこの俺なら、東京っ子の面汚しともいえよう。
胸締めつける思い出は、まだまだ東京中のそこにもここにも残っていた。
「ダ、誰がこんな東京なんかにおかしくって――」
「アア、嬉しい帰れるの、東京へ」
まさか、お艶ちゃんとの思い出が痛い東京へ帰るのはいやとは言えなかったし、またこの人に言ったとて
ただ東京へ帰るのが辛かっただけでハッキリ断ってしまったものの、ひと趣向に
この主人、元は東京の生まれだというが、道楽の末この温泉場へ松杉を植えた男で
汽車へ乗ったところで東京へは帰れない身体だったし、第一、汽車の中からではどこ
のようなキッパリした口の利きようだった。たしかに東京の仲間の誰かに似た声だとおもったけれど、思い出せなかった。
また別で落語はどうも聴いてくれない、この前も東京から人気者の落語家を一、二枚加えてやってみたが、とても問題
伊勢佐木町の喜楽座へは芝翫、高麗蔵の一座が、華やかに東京から出開帳にきて開けていた。
もうじき東京じゃ、観音様の市だろう。
手を伸ばせば届きそうな東京が、なんだか百里も二百里も離れているところのように心細く
くらいは連れて行かねば神田一門の恥じゃと思って東京中の講釈場をずいぶん探し歩いたが、正月を控えて誰も参らん、
どうせ師匠に勘当された東京。
お艶ちゃんにも会えない東京。
を思えば故郷でありながら、フツフツ故郷の気のしない東京。
けれど、さて実地にそれへぶつかってみると、あまりにも東京の人には万事万端の心構えが違いすぎていた。
地味な唐桟や結城や黒紋付や、そうしたこしらえの東京の落語家ばかり見慣れてきた今松の目には、虫唾の走る
その頃の東京の寄席、女の子以外は決して立ち上がって踊らなかった。それを落語家の恥と
と肝を潰した。まむしじゃない、ほんとはまぶしで、東京とちがって御飯の中へ鰻の切れッぱしをまぶしてあるだからまぶし
障って今松は、つくづく上方は住みにくい、やっぱり生まれ故郷の東京がいいと思わざるをえなかった。
今さらにして東京の寄席、東京の食べ物の上がしみじみ恋しく慕わしくなってきた。
今さらにして東京の寄席、東京の食べ物の上がしみじみ恋しく慕わしくなってきた。
東京のお酒なんか、てんで足もとへもなんにも寄りつけなかった。八幡太郎と番太郎
落語家さんにも、だんだん上方は上方で、また東京とは別な粋な人のいることもわかってきた。
東京にも滅多にないあんな男は。
昔、東京へ行って、握りの鮨を食べに入ったとき、酒を一本注文
あのお艶ちゃんの悪口を言やがった雷蔵はじめ、ずいぶん東京の落語家にもいやな奴悪い奴は多いけれど、それはあくまでいやな奴
まだムシャクシャがおさまらない心持ちで気難しそうに首を振ると東京の鮨屋にありそうな部厚な湯呑を、今松は取り上げた。
アリアリと今目に見えてきた、活気のみなぎっている東京の寄席の景色が。
急にまる一年帰らなかった東京の寄席の景色がアリアリと今目に見えてきた、活気のみなぎって
のように消えては現れ、現れてはまた消えていく東京の寄席の名所図会の中には、おしまいに絶えて久しい赤ら顔の師匠の
東京の寄席が、いや、東京というふるさと全体が、にわかに火のように恋しく懐しくいとおしくなってきた
東京の寄席が、いや、東京というふるさと全体が、にわかに火のように
こないなところに愚図ついてることない、去にいな、もう東京へ」
ところの寄席になんか出ているのだろう、とうに一本槍に東京へ帰っていったはずの今松が。
「東京へ連れてって少うしの間辛抱してくれりゃ、真打だ。立派な真打
このお話アひと晩やふた晩じゃとても尽きません。東京へ帰ってゆっくり続き物にして申し上げます、いずれ師匠から木戸銭を取って」
「師匠のところを飛び出したんです。もう東京にゃいられやしません。東海道筋も、上方も、山陰道も思う
「東京の柳桜師匠とそっくり同じ字を書く春錦亭柳桜てえ年を老ったお人
そこで憲法発布のあと問もなく東京を去ったまま、杳として今日までゆくえをくらましている名人だった
久し振りで今松は東京の助六の家へ戻ってきた。永い間辛い稽古に通ってき
夢にまで見て憧れた東京の寄席へも、またつとめられることになった。
今度、東京へ帰ってきてからの今松は、もっぱら「芸」のこと以外の
だから、東京へ帰ったまんま、普通以上に用いられなくても、決して焦らず、なん
果せるかな小助六の名は、にわかに派手やかに東京中へ謳われていった。
「海老を呼んでやろう東京へ。あいつの噺口ならサラリとしているから、上方弁でもきっと
ガッカリして年期を終えて帰ってきた東京の寄席の看板には、あの今松の名は見出されなかった。
とき初めて鬼がら焼へ箸をやって、秋までには東京へ出てくるという海老団治の上をふッと思った。
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去年の暮れの下席、千住の天王前の寄席だった。
ところが場末も大場末の千住の寄席のうえに、上野の公園の桜の枝なんか何本折れたかわから
千住の薄暗い寄席の楽屋にも思い出はあるし、花川戸の西の宮って寄席の前
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ところが場末も大場末の千住の寄席のうえに、上野の公園の桜の枝なんか何本折れたかわからない、何十年来の大雪
から足に任せてブラブラブラブラ日本橋を神田、お成道とこの上野まで。ちょうど、鈴本の夜の高座へ、うってつけの時刻になっていた
四月、あの焼鳥の思い出深い上野の鈴本で披露をした。
花見客の群れ集う上野の山の賑わいがそっくりそのまま夜は、鈴本の寄席へ移されて毎晩
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浅草新堀端のこの道。
あの鬚もじゃの仁王様の姿ばかりが、まるで大空高くそびえ立つ浅草蔵前の大人形の大仏様のように消えたり、現れたり、また消えたりし
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汝、どうするか――。日本橋近くなったとき、ソーッと今松は相手を盗み見た。
それから足に任せてブラブラブラブラ日本橋を神田、お成道とこの上野まで。ちょうど、鈴本の夜の高座へ、
新橋や日本橋や柳橋や、いいお座敷も増えてきた。
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鬚もじゃの仁王様の姿ばかりが、まるで大空高くそびえ立つ浅草蔵前の大人形の大仏様のように消えたり、現れたり、また消えたりして
そのとき梅朝のところへ、蔵前の大師匠と謳われた三代目柳枝の大法会をするため、一門揃っ
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まだ日の沈みきらない上野広小路の角の焼鳥屋の紺暖簾を、肩で今松はくぐっていた。
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それから足に任せてブラブラブラブラ日本橋を神田、お成道とこの上野まで。ちょうど、鈴本の夜の高座へ、うってつけの
「神田の白梅なんで」
のあの寄席の抜き方だってなんだえ。毎晩毎晩、神田の川竹を休んじゃ、赤坂の一つ木の真打席へばかり酒飲みに行っ
なるほど、この頃、助六は神田の川竹を必ず抜いて休んでいる。
言うのだけれど、助六のことにすると決して横着で神田の川竹を抜き、一杯飲めるから赤坂のほうへ足が向くなんてそんなのじゃ
そうじゃない、ひと口に言ってしまえば、神田の川竹は始終大入りだったからだった。
この旦那方、どうやら神田の講釈場あの小柳の常連で、ひと通りやふた通りでない講釈の大通人
「神田伯水です。なに分」
と言いくさる。この年になって若い者に怯れを取ったら神田一門の名折れじゃと、恥を忍んで聴きにいったよ、お前さんの
大磯以来の神田伯水老人だった。
ても枯れても書生の一人くらいは連れて行かねば神田一門の恥じゃと思って東京中の講釈場をずいぶん探し歩いたが、正月
「なに、行ってくれる。それは重畳。神田伯水恩に着ますぞ」
商売人のやる洒落じゃねえな。海老(芝)で生まれて神田で育ち、海老(猪牙)で行くのは深川通い、海老(花)より
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珍しく素面で白梅の帰り、御徒町まで帰ってきていた今松は、俄に師匠にひと談判したくなっ
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新橋や日本橋や柳橋や、いいお座敷も増えてきた。