初看板 / 正岡容

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地名一覧

八丁堀

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ないということが間もなくわかりました。帰ってから八丁堀の朝田が柳桜師匠とうちの師匠の二枚看板で、このときに師匠は

横浜

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それからすこし経って師匠燕枝の一座で横浜へ行きましたが、このとき私が「本膳」を演ったら、その晩、

なかに「本膳」と同じ呼吸のところがある。で、横浜で聴いたお前の「本膳」がよほどよかったから今夜はひとつ聴かせて

下りてくると、今夜は俺が聴いているせいか、横浜のときよりよほどうまかったぜと笑いながら師匠に肩を叩かれましたが、

大阪

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さんの元のお神さんの小満之助という音曲師が大阪から帰って来て、三代目都々逸坊扇歌となった。元のお神さん

富士山

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をとるだろうとか、ひと晩でできてしまったあれは富士山のようなやつだとか、そりゃあもうあなた、ほめてほめてほめちぎっていくの

末広

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くらいずつ演ったものなのですが、ある晩、人形町の末広で文楽に、前、申し上げた人の次の燕路、それに木やりの勝次郎

下谷

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、頭取をしていた蔵前の柳枝師匠(その時分は下谷の数寄屋町にいましたが)にも話してくれて、さっそく燕花と

金沢

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そののち私がすこうしはどうにかなってきてからやっぱり金沢へかかったとき、やっぱりこの爺さん京橋の上に座ってお辞儀をして

日、逆さにふっても鼻血も出ない一文無しでこの金沢の楽屋を出て、京橋の上へかかってきたら忘れもしない爺

かしていい落語家になりたいと、その頃、京橋の金沢の昼席を、三年間、柳枝さんが真打をつとめていましたが

蔵前

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に師匠の燕枝にはもとより、頭取をしていた蔵前の柳枝師匠(その時分は下谷の数寄屋町にいましたが)にも話し

には悪いもんですね、私の燕花という名前は蔵前の柳枝さんの前名で、その次がチウチウ燕路の前名、つづいてその

東京

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お客様方もまた志ん馬以上にほめたりするので、東京へ帰ると、とうとう本腰でやる気になり、すぐつてを求めて落語家になり

東京へ帰るにしても五人の頭へ四人分の路金しかない

と半分ずつ分けて、おかげでやっとその渡しを渡って、東京まで帰ってくることができました。

歌っていたら、入口のちかくでめしを食っていた東京者らしいお職人衆がホラヨといくらかのお銭を投げてくれました。

て大三治だろうとこう言ってくれ、しかもそれからはこの東京で指折りの末広亭が年に十二本柳派をかけるのですが、そのたんび

日本橋

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いっそう私は思い出されてならないのですが、これも名高い日本橋の木原店の寄席で私に三月、真打をとらせてくれるという

人形町

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三十分くらいずつ演ったものなのですが、ある晩、人形町の末広で文楽に、前、申し上げた人の次の燕路、それに

京橋

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てきてからやっぱり金沢へかかったとき、やっぱりこの爺さん京橋の上に座ってお辞儀をしているのでわが身に引き比べてなんと

鼻血も出ない一文無しでこの金沢の楽屋を出て、京橋の上へかかってきたら忘れもしない爺さんの乞食が、自分の

なんとかしていい落語家になりたいと、その頃、京橋の金沢の昼席を、三年間、柳枝さんが真打をつとめていまし

、鶴枝というこれも没りました二人は、私が京橋で乞食の爺さんに逃げられた時分、ホトホト自分の境涯に愛想を尽かし