小説 円朝 / 正岡容
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笹寺の笹や四谷の秋の風 綺堂――絶えずその笹寺の笹の葉摺れが寂しく聞こえ
てきた。従ってこんな芸人の住む所らしくもない寂しい四谷なんかに師匠の住んでいることも一にお神さんが下町へ住むことを
四谷から麹町、ほんのひと跨ぎだった。
なかなかやってこないときた。ピューピュー筑波ならしの吹く寂しい四谷の大通りに佇っていて、小圓太はつくづく杉大門の主を怨みにおもっ
湯島を夜中に起きだして、はるばる四谷まで。暮春とはいい、まだ夜夜中は寒かった。暁方、師匠のところへ
その日。感激で満身を慄わせながら小圓太は、四谷から振出しの神田三河町の千代鶴という寄席まで独り言ちながら歩いていった。どこを
俺、四谷のほうを向いちゃ……。
って露いささかも身に後ろ暗いことはない。この何年か四谷の師匠のほうへは足も向けては寝ないくらいのこの自分じゃないか
なればこそ、急用あって四手駕籠へ乗り四谷の師匠の家の前を素通りするとき、ほんとうに師匠はしらないだろうが、
どんなに助かったことだろう、それが。かつて師匠圓生のいる四谷のほうへ足向けては寝ないと誓った圓朝は、文楽師匠住む中橋の
「師匠、四谷の大師匠が倒れちまったって。いま文楽師匠から報せがあった」
に早く報せにきたんだ、薄情野郎あン畜生め、四谷が倒れたと聞いたらそれっきり影覗きもしやがらねえって」
にきたということだった。従って、もういまの四谷の家にはおしのどんもお嫁に行ってしまっていなかったし、
傾けていた、すぐ自宅に遊んでいる若い者二人を四谷の師匠のところへ泊りがけで手伝いにやっておいて。
「それに戦はお師匠さん四谷へおいでの時分から上野辺じゃ、もうそろ始まっていたんですってねえ
ないわけが、いまにしてようやく肯かれた。同時に四谷の師匠のところへだしてやった弟子たちの、首尾好く先方へ着けたか
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その晩おそく石屋から火の玉のようになって談じ込まれた湯島の家では、圓太郎夫婦が平あやまりにあやまったのち、圓太郎がお座敷三つ分
た。ばかりかたいへん心配してある日、釣台で次郎吉を湯島までかえしてよこした。
ある者はすぐ医者を呼びにいった。またある者は湯島の家へと報せに走った。
―めでたく小圓太は二つ目に昇進した。同時に湯島の父親のところへかえることを許された。
湯島を夜中に起きだして、はるばる四谷まで。暮春とはいい、まだ夜夜中は
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豪儀なところはみんな坊主が憎けりゃ袈裟までだって、片っ端から薩摩のお侍が、焼き、焼き棄ててしまいましたとさ」
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とばかり考えていたら、なんのなんの我が敵は正に本能寺にあり、張本人、うちの師匠のところへもぐずり込んでいって弟子にし
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師匠が杉大門の大将にたのまれてふた月ばかり甲州のほうの親分手合のところへ、余興のようなことでたのまれていって
ねえような奴ぁ大嫌いなんだ。しかも手前は俺が甲州へ発った留守中、端席の真打なんぞ勤めて失敗りやがった。何かてえと
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文楽だ、お前さんは知るめえが本芝にいて、大阪で文治さんの聟になってその四代目を襲いでよ、それから江戸へかえっ
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面白さ。次いで赤と藍とを混ぜ合わしたとき、由縁も江戸の助六が大鉢巻の紫をそのままそこに、髣髴たらしめ得るありがたさ。
時分あたら前途ある芸人で二つ目の苦労に耐えかねて江戸を売り、ついに生涯、旅烏で終ってしまうものが少なくなかった。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」とうたわれたそのころ、駒込の炮碌地蔵前ときては場末
さんの聟になってその四代目を襲いでよ、それから江戸へかえってきて楽翁になったり、大和大椽になったりした人だっ
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上野や向島や御殿山の花もいつか散りそめ、程ちかき人形町界隈の糸柳めっきり銀緑に萌え始めて
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、いきなり二つ目から真打へ。そんな品川の次がすぐ大井川だなんて飛双六じゃ、てんきり話にならねえね」
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三河町の千代鶴は、もう十町も手前のほうへと通り越してしまっていた。しきりに
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「本郷もかねやすまでは江戸の内」とうたわれたそのころ、駒込の炮碌
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しまった。急に道具を取りにやるといっても、青山から代地まで。しょせんが今夜の役には立たなかった。
上げてくるものがあった。じつはここへくる途中、青山の久保本まで大廻りして、あらかじめ女主人と下足番の爺やとから、発病前後
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お正月の下席から思いがけなく小圓太は、文楽師匠から赤坂一つ木の宮志多亭へ借りられた。もちろん、前座としてである
青山南町なら、例の赤坂の宮志多亭へほんのひとまたぎであることも妙にうれしかった。
昔雷隠居に高座から引き摺り下ろされ、泣いて口惜しがった赤坂一つ木の寄席宮志多亭からきょう留守中に、七月下席、即ち
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て、それから四、五日家にいると、今度は根津のほうの石屋へ奉公にやられた。
これは親方も江戸っ子なら、お神さんはすぐ近所の根津の中店にいた人だとかで、家中物分りがよかった。やはり江戸っ子で
た日のことをおもわないのか、日暮里の寺の、根津の石屋の、池の端の両替屋の、黒門町の八百屋の、練塀小路の魚屋の、
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さんざつないで下りてきた鯉かんさんがいった。事実「両国八景」を目一杯にやって、そのあと声いろまでやって下りてきたこの人だっ
美味いもの屋で通っている両国の小大橋の表はよく日が当っているのに、八間の灯でもほしいほど薄暗い一
山なす毀誉褒貶も何のその、かくて両国垢離場の昼席とて第一流人以外は出演できなかった寄席の昼興行の、それも
中で圓朝の心に通うおんながただ一人だけあった。両国垢離場の昼席からは橋ひとつ隔てた柳橋の小糸という妓だった。垢離場四年
まずこうした両国川開きの情景からこの拙作短篇は始められていたのであるが、その晩珍しく
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「黒鞣革の手綱を山形に通して後方に廻して鎧の上帯に結びつけ、しずしずと乗り出したり……
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年月だったろう、それは)空や水、水や空なる大津渡海へと放たれたこの自分自身だろう。フーッと吸い込むこの部屋の空気のひと
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まず羊かんはいいとして、長崎土産カステーラを食べてみろといわれたにはハタと困ってしまった。
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。しきりに竹刀の声が聞こえ、もうじき於玉ヶ池の千葉先生の道場ちかくへすらきていたのだった。
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次は下谷広徳寺前の寄席。
下谷ではあるが、ここらも寂しい寺町はずれの、やっぱりお客の頭数は駒込
これも講釈や文楽師匠の人情噺で聞き覚えの祐天吉松が下谷幡随院の僧となって、坊主頭で朝湯へやってきて鼻唄を歌うくだり
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しがたい物騒がしさはほとんどその頂点にまで達していた。水戸の天狗騒ぎ、長州軍の京討入、次いでその長州征伐、黒船の赤間ヶ関大
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それもいいが、揚句に芝居の仙台様がお脳気を患いやしめえし、紫の鉢巻をダラリと垂らし
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それには自分と一緒になる前、おすみが深川のほうの糸屋へ嫁いていて生んだ子の玄正にも、いい
阿父さんがよく宿酔のとき、深川茶漬といって浅蜊のおじやみたいなものをこしらえ、その上へパラリと浅草
人だとかで、家中物分りがよかった。やはり江戸っ子で深川の生まれとか人の好さそうな兄弟子が一人いた。
深川の商人の家に生まれながら、なぜか子供のときから、仏門が好きで
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昭和癸未睦月下浣於 巣鴨烟花街龍安居 作者
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だしぬけに向こうの上野の御山の方から、北へ北へと鳴きつれてゆく薄墨いろの
いっそう目は雁の列とは反対の上野の御山のその先のほうへ、ジッと、ジィーッと注がれていったその
上野や向島や御殿山の花もいつか散りそめ、程ちかき人形町界隈の糸柳めっきり
「それに戦はお師匠さん四谷へおいでの時分から上野辺じゃ、もうそろ始まっていたんですってねえ」
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……そのころ日暮らしの里と呼ばれた日暮里はずれ、南泉寺という古寺の庭。
繁華な湯島切通しの自宅から場末も場末、こんな狐狸の棲む日暮里の南泉寺なんて荒寺の小僧にされてしまったのだ。
即ち次郎吉はその日のうちに落語家を廃めさせられ、この日暮里南泉寺の兄玄正の手許へと連れてこられてしまったのだった
焼く匂いが人恋しく流れてきていた。二年前、日暮里の南泉寺の庭で、泣く泣く仰いだときと同じ縹いろの秋の夕空
給仕してても心持がいいや。再び二年前の日暮里の暮らしをおもいだして、仄々とした喜びに、しばらく身内を包ませて
三たび小圓太は日暮里のお寺住居の上をおもいだしてしまうことが仕方がなかった。
ほんとにお前あの辛かった日のことをおもわないのか、日暮里の寺の、根津の石屋の、池の端の両替屋の、黒門町の八百屋の、
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て浅蜊のおじやみたいなものをこしらえ、その上へパラリと浅草海苔をふりかけたのをよくお相伴させて貰った。けれどあれとこれ
ところにしゃがんで待機していた坊主頭で大菊石のある浅草亭馬道という人が上がった。達者に「大工調べ」をやりだした
ある晩、連雀町の白梅の楽屋で浅草亭馬道がこういったときも、泣いて小圓太はつっかかっていって、
浅草森下の金龍寺。
と母のおすみを七軒町の新宅へのこして圓朝は、浅草茅町の小間物屋の裏へ引き移った。
圓太」という看板が、だしぬけに二月の下席、浅草阿倍川の寿亭という寄席へ揚げられた。鳴物入り道具ばなしと肩へ
もっとも今夜おそくには、この間浅草の雷鳴亭からたのまれていった座敷のお銭がなにがしかとどけられることに
大工調べ』だが、大丈夫ですよ、これでもし一、浅草の寄席からお銭のとどくのが遅れてもいまいって演る一席ですぐお
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広小路の本牧亭や神田の小柳や今川橋の染川で、親爺に連れていって貰って聴い
「天一坊で土蔵を建て」と川柳に唱われた初代神田伯山もでた。
感激で満身を慄わせながら小圓太は、四谷から振出しの神田三河町の千代鶴という寄席まで独り言ちながら歩いていった。どこをどうどんな風
やってきたんで。私ア文楽さんのでている神田の寄席でお前さんを聴いたんだ」
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はなかった。もし自分のめざして止まない落語家の世界を品川の海としても、これはたしかにすみだ川を抜手を切って
乗りましょう。だが、いきなり二つ目から真打へ。そんな品川の次がすぐ大井川だなんて飛双六じゃ、てんきり話にならねえね」
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上野や向島や御殿山の花もいつか散りそめ、程ちかき人形町界隈の糸柳めっきり銀緑に萌え始めてきた頃、やっと次郎吉は雑魚の魚
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上野や向島や御殿山の花もいつか散りそめ、程ちかき人形町界隈の糸柳めっきり銀緑に
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「オイなぜ消すんだ灯を。提灯は住吉踊の手遊じゃねえ、揺って面白えって代物じゃねえんだ」
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師匠圓生は今月は身体に楽をさせるとて、麹町の万長亭の中入りを勤めるだけのことだった。
四谷から麹町、ほんのひと跨ぎだった。
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そこの寄席、かしこの寄席と掛合って歩いた末が、駒込の炮碌地蔵前の、ほんのささやかな端席だった。それが初めて圓朝の
ねやすまでは江戸の内」とうたわれたそのころ、駒込の炮碌地蔵前ときては場末も場末、楽屋の窓を開けると、
が、ここらも寂しい寺町はずれの、やっぱりお客の頭数は駒込とさして変らなかった。
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に材を得た浅井了意の『伽婢子』や山東京伝の『浮牡丹全伝』をたよりに、よろしく膨大の譚を夢中で書き上げ
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立ち上がっていって欄干へ寄った。少し乗りだすようにして両国橋のほうを見るとポツリポツリ、早くも親指の尖のほど渦巻がいくつもいくつ