富岡先生 / 国木田独歩
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全体彼奴等に頭を下げぺこぺこと頼み廻るなんちゅうことは富岡の塾の名汚しだぞ。乃公に言えば乃公から彼奴等に一本手紙
上げて先生の道具と一緒に肩にかけ、程遠からぬ富岡の宅まで行った。庭先で
富岡の門まで行ってみると門は閉って、内は寂然としていた
「また来る」と細川は突然富岡を出て、その足で直ぐ村長を訪うた。村長は四十何歳という分別
小学校に於て大津も高山も長谷川も凌いでいた、富岡の塾でも一番出来が可かった、先生は常に自分を最も愛して
拙者ばかりでなくこういう風であるから無論富岡を訪ねる者は滅多になかった、ただ一人、御存知の細川繁氏のみは殆ど毎晩
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学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士大津定二郎が帰省した。
種々の雑談に一つ新しい興味ある問題が加わった。愈々大津の息子はお梅さんを貰いに帰ったのだろう、甘く行けば後の高山
法学士大津定二郎が帰省した。彼は三人の一人である。何峠から以西
「何だ、大津の定さんが来た?、ずんずんお上りんさいと言え!」先生の太い
大津は梅子の案内で久しぶりに富岡先生の居間、即ち彼がその昔漢学の
「ヤア大津、帰省ったか」
なく辞して玄関に出ると、梅子が送って来た。大津は梅子の顔を横目で見て、「またその内」とばかり、すたこら
こんな調子。それで富岡先生は平気な顔して御座る。大津は間もなく辞して玄関に出ると、梅子が送って来た。大津
てちょうど帰郷ったばかりのところを、友人某の奔走で遂に大津と結婚することに決定たのである。妙なものでこう決定ると
五六日経つと大津定二郎は黒田の娘と結婚の約が成ったという噂が立った。
ところで大津法学士は何でも至急に結婚して帰京の途中を新婚旅行ということ
「先生は今夜大津の婚礼に招かれましたか」
は答えた。実は招かれていないのである。大津は何と思ったかその旧師を招かなかった。
「大津の方からこの頃は私を相手にせんようですから別に招もし
とが折り折り木間から隠見する。そして声音で明らかに一人は大津定二郎一人は友人某、一人は黒田の番頭ということが解る。富岡老人
お蔭で世に出ることが出来ない!」これは明らかに大津法学士の声である。
た。田甫道をちらちらする提燈の数が多いのは大津法学士の婚礼があるからで、校長もその席に招かれた一人二人
た」と村長は夜具から頭ばかり出して話している。大津の婚礼に招ねかれたが風邪をひいて出ることが出来ず、寝
「解せるじゃアないか、大津が黒田のお玉さんと結婚しただろう、富岡先生少し当が外れたの
「そうとも! それで大津の鼻をあかしてやろうと言うんだろう、可いサ、先生も最早あれで
先生すら何とかかんとか言っても矢張り自分よりか大津や高山を非常に優った者のように思ってお梅嬢に熨斗を
いう一念を去ることが出来ない。幼時は小学校に於て大津も高山も長谷川も凌いでいた、富岡の塾でも一番出来が可
の様子だ、オイ細川、彼等全然でだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気で猪小才で高慢な顔をして、小
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(例)東京へ※
言えばその界隈で知らぬ者のないばかりでなく、恐らく東京に住む侯伯子男の方々の中にも、「ウン彼奴か」と直ぐ
成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学
なく、但し三人の中何人が遂に梅子嬢を連れて東京に帰り得るかと、他所ながら指を啣えて見物している青年も
が失望するだろう、何に田舎でこそお梅さんは美人じゃが東京に行けばあの位の女は沢山にありますから後の二人だってお梅
「オヤ! 細川先生、老先生は今東京へお出発になりました!」と呼吸をはずまして老僕は細川の
「東京へ※」細川は声も喉に塞ったらしい。
「ハア東京へ!」
「貴公富岡先生が東京へ行った事を知っているか」と校長細川は坐に着くや着か
で宜しい此処にもその積があるとお梅嬢を連れて東京へ行って江藤侯や井下伯を押廻わしてオイ井下、娘を頼む位
日居て出立て了った。今も話しているところじゃが東京に居る故国の者は皆なだめだぞ、碌な奴は一匹も居ら
ヤ細川! 突如に出発ので驚いたろう、何急に東京を娘に見せたくなってのう。十日ばかりも居る積じゃったが癪
な顔をして逃げて去って了うた、それから直ぐ東京を出発て何処へも寄らんでずんずん帰って来た」
その翌々日の事であった、東京なる高山法学士から一通の書状が村長の許に届いた。その文意
に見るところの美しい性質を以ておられる、自分は随分東京で種々の令嬢方を見たが梅子嬢ほどの癖のない、すらりと
「どうしてか知らんが今度東京から帰って来てからというものは、毎日酒ばかり呑んでいて、
その翌日村長は長文の手紙を東京なる高山法学士の許に送った、その文の意味は次ぎの如くで
富岡先生には「東京」が何より禁物なので、東京にゆけば是非、江藤侯井下伯その他故郷の先輩の堂々たる有様を
拙者はそう鑑定している、ところが富岡先生には「東京」が何より禁物なので、東京にゆけば是非、江藤侯井下伯
末終にこの世を辞して何国は名物男一人を失なった。東京の大新聞二三種に黒枠二十行ばかりの大きな広告が出て門人高山文輔