武蔵野 / 国木田独歩
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爪先あがりに登ってみると、林の絶え間を国境に連なる秩父の諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走っては
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ねばならぬと思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田
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「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図
危ぶんでいる。ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。
ものとは自分ばかりの願いではあるまい。それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳わしくこの問に答えて自分
。容易でないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。たぶん同感の人もすくなからぬことと思う。
部分を果したい。まず自分がかの問に下すべき答は武蔵野の美今も昔に劣らずとの一語である。昔の武蔵野は実地
今も昔に劣らずとの一語である。昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばん
んほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているの
下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、そのほうが
これが今の武蔵野の秋の初めである。林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様
空模様が夏とまったく変わってきて雨雲の南風につれて武蔵野の空低くしきりに雨を送るその晴間には日の光水気を帯びてかなた
こなたの杜にかがやく。自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに美しいことだろうかと。二日置いて九日
まずこれを今の武蔵野の秋の発端として、自分は冬の終わるころまでの日記を左に
をかかげて戸外をうかがう、降雪火影にきらめきて舞う。ああ武蔵野沈黙す。しかも耳を澄ませば遠きかなたの林をわたる風の音す、はたして
更けぬ。梢をわたる風の音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒の凩なるかな。雪どけの滴声軒
昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたように
美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。
、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉
が多い。これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落葉林の趣
の趣は同じことである。自分はしばしば思うた、もし武蔵野の林が楢の類いでなく、松か何かであったらきわめて平凡な変化
、蒼ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気がいちだん澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞こえる
がどんなに秋の末から冬へかけての、今の武蔵野の心に適っているだろう。秋ならば林のうちより起こる音、冬なら
それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹もずいぶん多いから。
また鷹揚な趣きがあって、優しく懐しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことが
の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨のさらに人なつかしく、私語くがごとき趣はない。
を感じ、永遠の呼吸身に迫るを覚ゆるであろう。武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干たる時、星をも吹き落としそうな野分が
の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。
この歌の心をげにもと感じたのは、じつに武蔵野の冬の村居の時であった。
ず。日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに
から冬へかけての光景も、およそこんなものである。武蔵野にはけっして禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏している。
に出るというような風である。それがまたじつに武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、
ある。自分は困ったか否、けっして困らない。自分は武蔵野を縦横に通じている路は、どれを撰んでいっても自分を失望ささ
野原の径を歩みてはかかるいみじき想いも起こるならんが、武蔵野の路はこれとは異り、相逢わんとて往くとても逢いそこね、相避け
は容易でない。しかし野原の径の想いにもまして、武蔵野の路にはいみじき実がある。
武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの
そこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当もなく歩くことによっ
らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこの
、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこのような処がどこにあるか。北海道の原野には
ように密接している処がどこにあるか。じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。
左にゆけば坂。君はかならず坂をのぼるだろう。とかく武蔵野を散歩するのは高い処高い処と撰びたくなるのはなんとかして
を引きかえして帰るは愚である。迷ったところが今の武蔵野にすぎない、まさかに行暮れて困ることもあるまい。帰りもやはりおよその
日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、その時は路をいそぎた
もよそ目には愚かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
便利のためにこれをここに引用する必要を感ずる――武蔵野は俗にいう関八州の平野でもない。また道灌が傘の代りに山吹
原でもない。僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有している。その限界はあたかも国境または村境が山や河や、あるいは
僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。しかしこれはむろん省かなくてはならぬ
と考えられる筋もある。このようなわけで東京はかならず武蔵野から抹殺せねばならぬ。
ずれはかならず抹殺してはならぬ。僕が考えには武蔵野の詩趣を描くにはかならずこの町外れを一の題目とせねばならぬと
また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考えのみ
感じて話したことがあった。この趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも家並、すなわち製図家の熟語で
また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。六つ玉川などと我々の先祖が名づけた
多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相違ない。亀井戸の金糸堀のあたりから木下川辺へかけて、水田と立木
、水田と立木と茅屋とが趣をなしているぐあいは武蔵野の一領分である。ことに富士でわかる。富士を高く見せてあだかも我々が
影が低く遥かなるを見ると我々は関八州の一隅に武蔵野が呼吸している意味を感ずる。
しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分がはなはだせまい。ほとんどないといってもよい。これは地勢のしからしむる
ているので、すなわち「東京」がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接しているからである。僕はどう
そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道
多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。この範囲の間に布田、
があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があって武蔵野に相違ないことは前に申したとおりである――
自分もかねて思いついていたことである。町外ずれを「武蔵野」の一部に入れるといえば、すこしおかしく聞こえるが、じつは不思議はないの
にして、小金井堤上の散歩に引きつづき、まず今の武蔵野の水流を説くことにした。
てみたいが、さてこれも後廻わしにして、さらに武蔵野を流るる水流を求めてみたい。
で見るならば格別の妙もなけれど、これが今の武蔵野の平地高台の嫌いなく、林をくぐり、野を横切り、隠れつ現われつし
水は透明であるのを見慣れたせいか、初めは武蔵野の流れ、多摩川を除いては、ことごとく濁っているのではなはだ不快な感
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こと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなる
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ということがあって、今日の光景ではたとえ徳川の江戸であったにしろ、この評語を適当と考えられる筋もある。このような
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辺を流れて品海に入るもの。渋谷辺を流れて金杉に出ずるもの。その他名も知れぬ細流小溝に至るまで、もしこれをよそ
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の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金……
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。自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。自分がかの望みを起こしたのもその時
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の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林を訪うて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。
して、そこを立ち出でた。この溝の水はたぶん、小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、青草の間を、さも
茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんな
初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には
自分といっしょに小金井の堤を散歩した朋友は、今は判官になって地方に行っている
小金井の流れのごとき、その一である。この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷
野を横切り、隠れつ現われつして、しかも曲りくねって(小金井は取除け)流るる趣は春夏秋冬に通じて吾らの心を惹くに足るもの
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は、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林である
与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままの大原野大森林とは異なっていて、その趣も特異
を除いて日本にこのような処がどこにあるか。北海道の原野にはむろんのこと、奈須野にもない、そのほかどこにあるか。
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で眺むるように見せるのはこの辺にかぎる。また筑波でわかる。筑波の影が低く遥かなるを見ると我々は関八州の一隅に
ように見せるのはこの辺にかぎる。また筑波でわかる。筑波の影が低く遥かなるを見ると我々は関八州の一隅に武蔵野が呼吸し
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しても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。六つ玉川などと我々の先祖が名づけたことがあるが武蔵の多摩川のような川
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にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦う
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、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山真白ろに連山の上に聳ゆ。風清く気澄めり。
また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考えのみでなく、またその中央に包まれて
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。自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。自分がかの望みを起こしたのも
秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林を訪うて、しばらく座って散歩の
とせねばならぬと思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したこと
となるもの。目黒辺を流れて品海に入るもの。渋谷辺を流れて金杉に出ずるもの。その他名も知れぬ細流小溝に至る
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も西国に人となって少年の時学生として初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至っ
鷹揚に教えてくれるだろう。怒ってはならない、これが東京近在の若者の癖であるから。
にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだという一語で消されてしまった。自分らは
評語を適当と考えられる筋もある。このようなわけで東京はかならず武蔵野から抹殺せねばならぬ。
それに僕が近ごろ知合いになったドイツ婦人の評に、東京は「新しい都」ということがあって、今日の光景ではたとえ徳川
僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。しかしこれはむろん省かなくてはならぬ、なぜならば我々は
た考えのみでなく、またその中央に包まれている首府東京をふり顧った考えで眺めねばならぬ。そこで三里五里
しむるところで、かつ鉄道が通じているので、すなわち「東京」がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接し
しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分がはなはだせまい。ほとんどないといっても
自分は以上の所説にすこしの異存もない。ことに東京市の町外れを題目とせよとの注意はすこぶる同意であって、自分も
小金井の流れのごとき、その一である。この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿
かならずしも道玄坂といわず、また白金といわず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道となり、あるいは中原道と
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僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金……
では千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる。また井頭池善福池などより流れ出でて神田上水となる
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と思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたり
。また井頭池善福池などより流れ出でて神田上水となるもの。目黒辺を流れて品海に入るもの。渋谷辺を流れて金杉に出ずるもの
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立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。この範囲の
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の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし
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東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取除いて
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一である。この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる。また
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、その一である。この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる
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と相携えて近郊を散歩したことを憶えている。神田上水の上流の橋の一つを、夜の八時ごろ通りかかった。この
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第一は多摩川、第二は隅田川、むろんこの二流のことは十分に書いてみたいが、さてこれも後
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そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を
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また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金……
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早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金……また武蔵野の味を知るにはその野から富士山
かならずしも道玄坂といわず、また白金といわず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道
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秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林を訪うて、
あるいは中原道となり、あるいは世田ヶ谷街道となりて、郊外の林地田圃に突入する処の
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千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる。また井頭池善福池などより
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新宿に入り四谷上水となる。また井頭池善福池などより流れ出でて神田上水となるもの。
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新宿に入り四谷上水となる。また井頭池善福池などより流れ出でて神田上水となるもの。
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僕はかつてこういうことがある、家弟をつれて多摩川のほうへ遠足したときに、一二里行き、また半里行きて
また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。
六つ玉川などと我々の先祖が名づけたことがあるが武蔵の多摩川のような川が、ほかにどこにあるか。
第一は多摩川、第二は隅田川、むろんこの二流のことは十分に書いてみたいが、
水は透明であるのを見慣れたせいか、初めは武蔵野の流れ、多摩川を除いては、ことごとく濁っているのではなはだ不快な感を