獄中への手紙 07 一九四〇年(昭和十五年) / 宮本百合子
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お手紙に伊豆かどこかの小旅行は云々とあって、迚も伊豆まではのびなかったネと
手紙に伊豆かどこかの小旅行は云々とあって、迚も伊豆まではのびなかったネと多賀ちゃんと大笑いしました。でも休まった工合
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けさ、十六日づけのお手紙着。ありがとう。箱根のエハガキ、やっとつきましたそうですね。山の峯々遠けれど、という次第
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七、高台寺 二七 新潮
淡彩」「氷蔵の二階」「街」をよみ、「高台寺」「白い蚊帳」が見当りません。
階」「心の河」など、そして「白い蚊帳」「高台寺」等。
「高台寺」「白い蚊帳」は内容を覚えて居りません。これから見つける分。
その細き一筋にかかっているところ何と面白いでしょう。「高台寺」という小さい作品をよんで、おどろきを新にしました。批評家して
「心の河」、これはお話したとおり。それから「高台寺」、これは作者の生活的な稚さが、いやです。「街」も
のおかれている歴史への無知識にすぎず、「高台寺」は、ある生活にある女の鈍感さがあらわれていていやです。或る
、その過程として面白く、しかもね、そのいやな「高台寺」に、やはり「一本の花」及びそれ以後の動きの芽はあるの
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が、八十七歳とかでアメリカへにげてゆきました。ニースの家もブラッセル銀行の預金もなくなりました。当分は、シャリー・テムプル主演の
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いるようです。これから台所へおりて、夕飯たべたら、音羽へゆきます。
本のこと、実に思うにまかせません、今夜音羽へ行って、よく説明して来ます、明朝は行けないそうですから。富士見町
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一人の女のひと(アイヌのひと)が中心でね。ロンドンのことや何かまで出るのです。その女のひとの見た世界とし
、太郎ではないがダイジダイジで、喋らないしね。ロンドンやパリが、その女のひとの目で見られるのも面白いこと。では
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優等生ですから。いかにもそれらしい字をかきます、お父さんはワイオミング州にいるのですって。でもやっぱり何を商売にしているのかは不明
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それから富士見町へまわりました。ここでいろいろ話し二十日に日比谷へ行く用がある(ひと
よく説明して来ます、明朝は行けないそうですから。富士見町の方は三日午後より七日迄留守の由です。
その他。随分どっさりのものが送られて居りません。富士見町へ行って、そのリストとてらし合わせて、一部ずつちゃんとそろえて届ける約束しました
すぎ十二時十分前位まで宅下げ待って、それから富士見町へまわりました。九段下へバスが池袋から出ているのよ、東京駅行。
をのぼって行ったら、パラパラ降って来ました。いそいで富士見町の方へ曲って家へ辿りついたら先生オーバーを着て出かけるところ。あたふたして
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越後の高田へゆく筈のところ風雪ひどく汽車不通。そのため大阪の方は電燈が不足で、大阪高島やは、百匁ローソクを何百本と
けさは、花満目です。下のタンスの上には、大阪から種をとりよせて咲かせたと花やが自慢したという大輪のダリヤが
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三十日は夕方、佐藤さん夫妻と戸塚へゆき、おそくまで久しぶりに喋って遊んで来ました。いねちゃん二十九日に
ちゃんという娘が胸の方本ものになったらしいし、戸塚はふらふらしているし、そのほかのことで。いずれお話いたしますが。
戸塚では、又蓼科へゆく由です。きょうあたり行ってしまっていやしまいかと
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も同様ですけれど、今も一寸あっちの話が出て、ロッキー山脈御存じでございますか、あすこの方でロスアンジェルスには日本の人がどっさり居ります
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とを見物。きょうは女大。明日は一日鎌倉、江の島へ出かけます。二十七日は翌日立ちますから夜夕飯をたべにつれて行っ
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というはりきりかたでお書きです。前の河村の親類の高森の熊野写真館の心配で玖珂の迫口家の三女二十一歳とも子という人だ
、私、山崎の小父さま、一つ車にのって、高森というところの佐伯屋という料理屋へゆきました。そこへ行ってから又
に花婿、母上、私、山崎伯父と一つ車で高森の佐伯屋という家にゆきました。達ちゃん黒い衣類に袴、羽織で
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さて、あけましておめでとう。除夜の橿原神宮の太鼓というのをおききになりましたか? 私たち(この内容は
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、湯本温泉全景(※)、玉垂の滝(※)、箱根神社の森(※)、箱根町全景(※)の写真絵はがき)〕
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文庫本がまとまらなくてやり切れないので、去年の冬、牛込の方、というところから送られて来た戸棚の本箱、どっかの古物
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ああ、お菓子は紅谷で(神楽坂)ワッフルをお送りしました。あれはもちもよいから珍しいでしょう。隆ちゃん
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一つ話があります。それは栄さんの妹さんが小豆島から来るとき、子供の一切の衣類、自分の平常着、その他木綿、毛糸
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をよそへはもち出さぬという男。猛之介は、しかし、武蔵野の黒い土の厚みを二つにはいで、そこから儲を見ようという自分
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です、マジョリカの焼物をめぐって。「小村淡彩」は、鎌倉の小料理やへ来た馬鹿な女中をめぐっての風景。馬鹿な小女が、
と三越とを見物。きょうは女大。明日は一日鎌倉、江の島へ出かけます。二十七日は翌日立ちますから夜夕飯をたべにつれ
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と面白いでしょう。ミケルアンジェロが、フィレンツェにいられなくなって、ローマ暮しで心は悲愁に充ちているとき益※仕事に熱中したというの
」をかいて、とにかくイエスという人の生きた時代のローマとイェルサレムとガリラヤの関係を現実に理解させましたが、どうもホグベン先生
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それはあなたのお誕生日にいたしましょう。そして私は十二日に鵠沼にいる女友達で小原さんというのを見舞に行ってやって、それのひきつづき
水もないのよ今は)それを考えると渋ります。鵠沼のあずまやがつぶれたのでいやね。さもなければあすこへ一晩泊った
ましたが、おやめにいたします。無理だから。もし鵠沼にちょっと泊れるところでもあれば、一晩海のそばで眠って来ますが
でね。なかなかちょくちょくとはゆきません。その点では鵠沼はましですね、咲枝もつくづく云って居ました、何しろ海は荒くて子供
こっちが又一人になって困るということになるし。鵠沼はただいくら位でおくのか。親切でもなさそうな宿でしたしね
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※ 九月七日。何と東海道でしょう。もう一枚の肉やのエハガキとくらべて見ると、ほんとに面白いと
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八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 神奈川県国府津町前羽村字前川より(芦ノ湖及び元箱根風景(※
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、こんな笑顔してくれる人いない筈と思って見たら本郷の独文へ通っている弟さん。智慧ちゃんのなくなったとき咽び泣いていた弟
一つの午後の室の光景が浮んで来ました。本郷の仕事部屋。机の上に原稿紙をひろげていて、でももう三
あると思って。私たちの散歩、夜の散歩で、あの本郷の三角路の角の店へ行ったことがあったでしょう? あのときの
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、手紙の中にかきましたろうか。十九か二十のとき北海道へ長くいて、アイヌ村に暮したりして、アイヌをかきたいと思って
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ではないがダイジダイジで、喋らないしね。ロンドンやパリが、その女のひとの目で見られるのも面白いこと。ではどうぞお
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よく申しました。常識ではないことですからね。(下関、徳山間海港警備という新しいシステムが出来たのですって、本年から。万端
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、父の五回目の命日です。多賀ちゃんをつれて青山へ行って、どこかで林町の連中と落ちあって夕飯をたべることになり
明日青山へ出かける前、栄さんに眼医者へつれて行って貰います、私たち二人。多賀
あっちこっちへ行ってしまうので、きょう一日しかひまがないから青山の墓詣りをするという話なので、図書館は明日として一緒に出かける
がよかろうと、十一時二十分前ごろ家を出て、青山の宮川氏の家へゆき、白山の戸台さんのアパートへ案内しそれから、
何しろ、この頃自動車がないでしょう。青山へゆくんだって省線、市電、白山にゆくのだって市電、夜なかにかえれ
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美味しい柿。あなたは森本というその家を御存じかしら。ハワイからかえった人が今の主人で、薄肉色のソフトなんかかぶって、麦かり
麦かりをしているお爺さんです。その娘さんやっぱりハワイ生れ、ハワイ育ち、とこやさんです。ところが、一二年前すこし気が妙
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一月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(六義園の写真絵はがき※※)〕
おだやかでいい心地だったので、駕籠町のすこし手前で不図六義園の庭を思い出し、急におりて一めぐりしました。なかなかいい散歩場で
※ 一九四〇・一・四。この六義園は柳沢吉保が造ったのだそうです。岩崎がもっていたのを
ですが、そんな場所へわざわざ出かけてゆく折がなくて。六義園なら何のことはないし。
ました。それはね、あのエハガキをお目にかけた六義園ね、あすこの梅見に出かけようと思って。私の好きな好きな紅梅も
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不明。この頃いい絵が見たくて。すこし暇になったら上野の博物館へでも久しぶりで行って見ようと思います。この部屋の額と云えば
は写しものをたのんでいる可愛い人。お恭ちゃんはきょう上野の博物館見物です。佐藤さんのところに、さち子さんの姪が(十五歳)来
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きょうかえりに日比谷公園をぬけました。つよい風が欅の若葉をふきつけていて、柔かい葉
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。あの男は三年ぶりです。暮の二十日すぎに金沢からクルミの砂糖菓子を一箱送って来たのですって。林町では
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あしたは朝玉子をあげにゆきます。それから夕方は、小樽のおばあさんとてっちゃんのところ。でも、急に天気が変った
小樽のおばあさんをつれて、てっちゃんの家で夕飯をたべていた
は電報をどうもありがとう。前便を出しかたがた市場へ、小樽のおばあさんにあげる手袋を買いに行っていたあとにつきました
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て、てっちゃんの家で夕飯をたべていたとき、静岡の大火のことがわかりました。(十五日)何しろあすこは鶴さんの
表示をするのですって。さすがに若いものは正直だから静岡のは席をけってかえった由。文学をつくる人間のうつりかわりは案外こう
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きいたら、「ちっともそんなことはない」って、十八のとき広島へタイプの稽古に行っていたときは、夜よく家が恋しくて泣い
私は十三日のうちにかえります、広島を夜中に通る特急にのって、こちらへは十三日の午後につくこと
島田あたりは幾分ましで麦も収穫されましたが、広島のあたりはひどくて、麦が雑草みたいに立っていました。そして、
田舎に来たらしい気になりました。多賀子はこれから広島へゆきます、例のお話していたたか子の友達ね、あのひとにあっ
午後多賀子が広島からかえります、寝台券買えたかしら、あやしいものね。お母さんのおみやげに、
て送ると仰云るので、柳井ではとまらないし広島は遠すぎるし、さっき達ちゃんと相談して宮島までではいらっしゃって頂こう
野原の方へどうかと云っていた広島の娘さんのこと、多賀ちゃんきのう行って見てすぐまとまるという望みは
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を考えて。卯女ちゃんが、栄さんの会のとき、松山さんの男の子とお手々つないで歩いていました、もう歩くの。で
です。金星堂のは松山文雄さんに表幀たのみます、松山さんは今自分の仕事に向ってもはり切っていますから。素朴だが
まとめられるわけでまあ悪くもない心持です。金星堂のは松山文雄さんに表幀たのみます、松山さんは今自分の仕事に向っても
てしまいました。やっぱり同じぐらいかもしれず。短篇は松山氏にあとのは寿江子がします、私にしろというのだが、
明日は、金星堂の本の表紙のことで松山さんのところへ行かなければなりません。それから午後は座談会。月曜日は
『第四日曜』の方は松山さん昔のような表紙かいて、いろいろふさわしくないので気を揉んでい
松山さん、子供が赤痢で辻町の大塚病院に入院していて、毎日池袋
高山の本の表紙は松山さんにたのみます。河出のは先の方でたのむのですって、誰か
心」やっぱりいい題ね、なかなかいい題ね。この装幀は松山さんにたのんで、ふっくりしたゆたかないいのを考えて貰います、柔い
。私のためにではなく、松山さんのために。松山さんにもう一つ、高山の本の装幀をたのみます。それは大根畑
。これは大きい発見です。私のためにではなく、松山さんのために。松山さんにもう一つ、高山の本の装幀をたのみ
生きているものをつかまなくては駄目だわ。それを松山さんは静的な線で辿るから何だか似ないもの、いのちのないもの
それで思えらく、その人は(松山さん)人の印象の構成を静的にとらえようとしているのね。こんど
[自注8]『白堊紀』――顕治が松山高等学校のころ参加していたプロレタリア文学傾向の同人雑誌。
生活の感じがあって面白いの。『文学の進路』も松山さんで、大根畑よ。今のところだと一月中に二つ本
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梅雨になったって植つけに困りますものね、山口、岡山、大変な減収です、植えつけたん別も少くなっています。
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一度は来たいわ、或は十日に一度。それには福島は遠うございます、急行で五時間。しかもこの頃の上野のこみようは殺人的
やっぱり特別にやりくりの必要があることがわかりました。今年福島へゆこうとは思って居りません。あすこは、いろんなものの不自由はない
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が鳴ると、ソラと云って、私も昔の父の仙台平のハカマを縫い直したモンペをはいて熊の仔のような形で出
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※ 九月七日。バックの「愛国者」の住居は長崎です。いつも海と船とが家から見はらせるところに暮している。段々
ね。原稿を、日曜で目白市場の郵便局が休みで落合長崎まで行って貰うので、ついでに。
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思いました。生活力がないのではないのですもの、富山のかみさんたちの例を見たって。海と女とのいきさつは、海女に
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。又いつか春でも、用事なしで行って、お母さん京都へお連れしようと思います。本願寺を御覧になりたいんですって。私
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そう云えば、鳥取の手紙すっかりおそくなって。
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一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(六義園の写真絵はがき※※)〕
一月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(北京・牌楼の写真絵はがき)〕
一月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
、八分となるそうです。いよいよここはいいことね。目白の女子大が神奈川県との境の方へ敷地を買って、小学校、女学校、
一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
の方へ出てはらって又進みます。そんなにして目白まで来て、それからすっかり白い道を一足一足家へたどりつき。夜目に雪
二月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
のよろしくにしても、そのうちにこめられる心持は、目白時代よりは複雑なのがわかります。彼女も妻の心がわかりかかって
二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
私も安心ですから。寿江子はこの頃いろいろ勉強はじめていて目白へもあまり来ず、フーフー云ってやって居りますから、こちらは当に出来
三月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
でしょう? 私は火木土ですから大変いいわ。場所は目白の通りの左側の角の古本屋の横入った右側、下落合一ノ四三七と
三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
かえりに目白の市場で多賀ちゃんののむアスピリンをきいたら、思いがけずバイエルのがあって
三月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
も空気が快い日でした。さっき寿江子を送りがてら買物に目白の通へ出たら桜が開いている空の上に、綺麗な星の
四月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(柳瀬正夢個展より(一)「蒙古人」、(二)「水屋
四月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(木村荘八筆「庭樹」の絵はがき)〕
四月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
すっかり目白のところがきのが、一通あります。てっちゃん目玉クルリとさせ
五月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十三日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十五日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
、それが又混むのこまないの。電話かけておいて目白までかえりそうです。「タカちゃん、ごはんとおみおつけだけあるようにしておい
七月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(「鴨緑江流筏」の写真絵はがき)〕
八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
であります。家というものは本当に性格的ね。この目白の家なんか、やっぱりひとが見たら何か性格が語られているのでしょう
八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(「松花江の鵜飼」の絵はがき)〕
八月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(国立公園富士・三保松原の写真絵はがき)〕
九月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(※満州国民衆風俗「路傍の肉屋」、※国立公園富士・鈴川より
九月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(モーアランド筆「救助」の絵はがき)〕
九月十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(ジオラマ筆「墨堤より鐘紡を望む」の絵はがき)〕
九月二十四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
今は一寸一筆ね。原稿を、日曜で目白市場の郵便局が休みで落合長崎まで行って貰うので、ついでに。
十月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より((1)島崎鶏二筆「竹」、(2)林重義筆
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十七日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
紅葉が、上り屋敷のあたりでもなかなか奇麗な色です。目白の通りずーっと銀杏でしょう。あれがすっかり黄金色よ。二年ばかり前、銀杏が
十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(第十回龍子個展より「真珠潭」の絵はがき)〕
十二月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
十二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十七日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
十二月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
すこし過でね。私は原稿の速達を出したかえり、目白の角の果物やの半町ほど先の右側に出ているお飾りやで
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一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(六義園の写真絵はがき※※)〕
一月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(北京・牌楼の写真絵はがき)〕
一月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(柳瀬正夢個展より(一)「蒙古人」
四月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(木村荘八筆「庭樹」の絵はがき)〕
四月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二日午後 〔豊島区西巣鴨一ノ三二七七巣鴨拘置所の宮本顕治宛 豊島区目白三ノ三五七〇より(封書 速達)〕
六月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡周南町上島田より(封書)〕
六月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十三日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十五日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 神奈川県国府津町前羽村字前川より(芦ノ湖及び元箱根風景
八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(「鴨緑江流筏」の写真絵はがき)〕
八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(「松花江の鵜飼」の絵はがき)〕
八月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(国立公園富士・三保松原の写真絵はがき)〕
九月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(※満州国民衆風俗「路傍の肉屋」、
九月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(モーアランド筆「救助」の絵はがき)〕
九月十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(ジオラマ筆「墨堤より鐘紡を望む」の絵はがき
九月二十四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より((1)島崎鶏二筆「竹」、
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十七日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(第十回龍子個展より「真珠潭」の
十二月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
十二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十七日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
十二月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
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になりましたか? 私たち(この内容は後出)は銀座からすきや橋に向って来た左角にある寿司栄の中でききまし
二人、この一隊が銀座へ出ました。一人も暮の銀座をこれまで歩いたことなしの連中なので(私のほかは)それぞれ
の二人、うちの二人、佐藤さんの二人、この一隊が銀座へ出ました。一人も暮の銀座をこれまで歩いたことなしの連中
ところも多々あります。ですからきのうは原稿とどけてから銀座の方へ二人で出て、夕飯をたべ、九時すぎかえったら、あの
れないからその代りと云って、湿布している息子を銀座へつれて行って、フジアイスでアイスクリームのましたときいて、あっこおばちゃん
(一)銀座の亀屋の二階にこれ迄商品がつまっていたのが空っぽになり
机です。多賀子、冨美子、恭子、三人づれで夕飯後銀座へ夜店というものを見に出かけました、私はそれから風呂に入っ
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かぜをひいたからかえってくれと云って来た由。東京で三十、三十一日はどんな日だか分っているのだから、私は
風でいやだこと。乾いて、こう風がふいて。東京の一番わるいところですね。
東京堂あたりへ行って見ると何とどっさりひどい本が(粗末な装幀で)
ローソクを何百本とか並べて商売をしている由。東京でもローソクは大事です。(ウチにもあります)
『東京堂月報』のことわかりました。すぐちゃんとします。『年鑑』ね、
上から池袋の方を眺めた景色もなかなか絵画的です。東京には雪のないとき、この陸橋の下を屋蓋に白く雪をのせた
コップに雪を入れサトーを入れたべました。「どうじゃろ東京の雪は、大味かしら」と云ったには笑いました。そうかも
『東京堂』一月号のこと、きょう、この手紙と一緒に送り出します。「
十二社で(新宿の先の)やったのですって。東京での、よ。そのとき私を招ぼうとしてすっかり仕度していて
新宿から一時間二十分、デンワもきくし、夜でも東京へ楽に出られるし、などいろいろと条件を考えたわけです。こんなこと
出かけたりする気にならない由です。私は、さては東京に当ったと云って笑いました、富ちゃんのお嫁は大体きまりそう
ゆく男女を見たから、十万円ある家へ何故山崎の東京にいる娘が嫁入らないか、という疑問もすこしわかったそうです、もっとも
違った扱いをするのだそうです。なかなかむずかしいようです。東京、田舎、その間には或る大したちがいがあって、多賀ちゃんはピーピーし
ヶ八十銭のわり。そちらのパンはいかがですか。この頃東京パンの食パンもとかく品切れです。いろいろの菓子類全く減りました。小豆が一
は常識よ、きわめて常識よ。ですから、田舎から出て東京に住むようになると、かくものは、地方文化的自得の表情を失って
ば白いお米がたべられると云ったのが、今は東京さいげば、南京米食わにゃならんぞい、ですからね。全然逆です
何とか事情が変るかしら。しかし昔は農家の娘が東京へ来れば白いお米がたべられると云ったのが、今は東京さい
につらなるためには。それのための服装が入用です、東京でのようにはゆきませんから。それを大至急作らなければなりません
たら風がひいやりとするせいか、何だか一寸東京を離れるのがいやなようです。淋しいというとつよすぎる表現ですが。
です。この紙の六つ切ぐらいのに、卒業証書のように東京市の印が朱で押してあって、面白いものです。こういう種類の
魚なんか三倍ぐらい高騰していて殆ど東京なみです。もとは一匹ずつ売っていたでしょう? それが切身だ
いうひとのこと、その婦人作家のこと月報ですか? 東京堂の。あの海鳥何とかいうところ? 何か微苦笑的対比があっ
ね。私たちは予定どおり十二日に立って十三日の午後東京へつきます。エーテル・マーニンというひとのこと、その婦人作家のこと月報
のです。お社は昔のとおりです。多賀ちゃん曰ク「東京で考えていたよりずっと奇麗さがへっちょるようだ。」お鈴
。東京からの汽車はまだいくらかましですが、こちらから東京へは全くひどいこみようです、寝台もあるかしら。これさえあやしいのです。
なりましたから。サクラ、富士、どっちも駄目ですから。東京からの汽車はまだいくらかましですが、こちらから東京へは全くひどいこみ
の意中をきくために。ついでにみやげのレモンを買い、東京迄の寝台券を買うために。十三日の寝台で十四日朝ついて、
の在りだかを毎日ききにまわってしらべて居ります。東京も一時そうでしたが。岩波文庫の広告見ていると、ディドロの「
日よ。あした朝九時四十二分出発よ。その汽車は東京に向って走るのよ、では。
というようなお話で、お兄さんのお嫁さんも決して東京の奥さんたるコケンをはずかしめぬというわけです。岩本の小母さんはこま鼠
こんなことようしまいと思っちょったらどうして上手でと、東京へ行ったとき何をたべたというようなお話で、お兄さんのお
島田もお米は混合よ。割合が東京と逆で、外米は三分です。こっちは七分だが。でも
、うちの買物なんかはシャンシャン出るようになりましたが、東京の暑さはあちらとはちがう由で(それはそうでしょう)大体体が
改造文庫は実に少々よ目下。『文学発達史』しか東京堂にありませんでした、そんな工合。
(※)こちらは八十二度から四度です、東京も余りちがわないようね。何しろ一家総出ですからなかなかの賑わいです。泰子、
が統制でおかみさん大苦心です。砂糖、炭、米、東京で切符のものは(マッチ、砂糖)こちらではどうしても手に
家のたたずまいでしてね。門の上に、ほら昔の東京名所図絵の版画なんかにランプの入る角形の街燈が、鉄の腕で門
冨美子は、あれから遊覧バスにのって一日東京見物をし、きのうは渋谷の海軍館と三越とを見物。きょうは女
まわるのは沢山というところもあるの。これまで私は東京をはなれたくない自分の心持の面だけ肯定していて、何とか
いる保田の二階、あとをかりようかとも思います。東京から一時間とすこし。二階だけかりるのね。ここにはずっと住んで
銭、入学金二円、本代二円五十銭也。月謝は東京では皆おなじです。面白そうにしているから結構です。午後一時
は連中どうするのでしょうか、まだ不明です。赤子がきっと東京では駄目かもしれず、この間も夜中ふるえたりいたしました由。
そうですけれど。そこの柿よ。五銭ぐらいのよし。東京では二十五銭ぐらい。
のために朝からかけまわる勇気はありません。お正月の東京と鮭とはつきものなのに、今年は鮭もないのよ。うちは
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良ちゃんお母さん、弟が新宿の方の家を解散して、林町のすぐわきに六月ごろから住ん
て、あなたに何かの雑誌を買うことをたのまれ、新宿のところで本屋の店を出た途端、すべってころんだことを思い出しまし
いうところも可愛らしく思われました。結婚式を十二社で(新宿の先の)やったのですって。東京での、よ。そのとき私
それから新宿へ行って、ちょっとおかずを買って、多賀ちゃんと落合って、十一時の
の来っこないという心持は何といいでしょう。ここなら新宿から一時間二十分、デンワもきくし、夜でも東京へ楽に出
時二分で鵠沼を出て、五時すぎついて、新宿で一寸夕飯たべて、かえって、幸子ちゃんのところへ門の鍵やポストの
た女の子が、ぐるりとエビスをまわるものだから「この電車新宿へ行きますかしら」と心配そうに訊きます。
多賀子、きょうから新宿の伊セ丹の裏にあるタイプライタ学校にゆくことになりました。月謝
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へ行って、皮膚科の人に紹介されて、それから信濃町へおりて外苑をずっと歩いて墓参いたしました。丁度林町の一行と落合っ
にしておきたいと思います。そして早速とり計らいましょう。(信濃町のおじいさん、あちらへは、お手紙にあっただけでした。森長
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を思い出し思い出し歩いて。雪のある朝は陸橋の上から池袋の方を眺めた景色もなかなか絵画的です。東京には雪のないとき
あれから多賀ちゃんと池袋で会って、有楽町へ出てフレッド・アステアとジンジャ・ロージャースの「カッスル夫妻
きょう、そこの裏の池袋へ通じる市電の停留場にいたら、風がスースーと体にしみてしみて
が赤痢で辻町の大塚病院に入院していて、毎日池袋から通いました。その途すがらのスケッチよ。作者にとってもひとかたなら
下さいと、貼りつければいいのです、そのままの上から。池袋から来て仲町で上野ゆきにのりかえるとき、むこうを見たら郵便局があった
、かえるのに又面倒くサイナと、考えているの。池袋から上野へ直通の市電はなくなって、仲町でのりかえ、それが又混むの
待って、それから富士見町へまわりました。九段下へバスが池袋から出ているのよ、東京駅行。そこから九段の坂をのぼって
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末か、ひどく雪のつもった夜、私は繁治さんと高円寺の方へゆく用があって、あなたに何かの雑誌を買うことを
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あれから多賀ちゃんと池袋で会って、有楽町へ出てフレッド・アステアとジンジャ・ロージャースの「カッスル夫妻」というのを
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それから富士見町へまわりました。ここでいろいろ話し二十日に日比谷へ行く用がある(ひとのこと、夏のつづき)ことがわかりました
午後二時すぎの日光がチラチラして居ります、ここは日比谷よ。珍しいでしょう。あやうく潰れかかった図書館だけあって、内部の設備は実
ですが。どうも余りごたつくので。でも十八日は日比谷でしたからかいたわけねえ。はっきりしないなんて、御免なさい。
。六時五分すぎ。そちらからずっとまわって来て、日比谷で更科をたべてそしてここへかけて居るわけです。
三冊よ、私の送ったのは。上野、大橋、日比谷。明日は芥川の「河童」について伺います、どこに書かれて
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三冊とも(平林たいの)あってうれしいと思います。上野にないものであるのもある。必要にしたがって、下拵えの勉強は図書館
それでも上野になかった本が三冊とも(平林たいの)あってうれしいと思います
不明。この頃いい絵が見たくて。すこし暇になったら上野の博物館へでも久しぶりで行って見ようと思います。この部屋の額と
、二十七日に渡す分をすましてやや安心です。きょうは上野図書館が定期休日。人が来やしないかとはらはらして居りました
のです、そのままの上から。池袋から来て仲町で上野ゆきにのりかえるとき、むこうを見たら郵便局があったから、一寸かけて行っ
になった人が来ました。これが、いつぞや上野の図書館でいきなり私にものを云いかけたとお話した女の人でした
とまわり、お昼になったので林町で食事して上野へゆくためによりました。そしたら、六月十三日の母の
今夕刻の六時です。けさあれからずっと上野に来て。ここはこんなにひろくて風が通っているのにこんなに
のに又面倒くサイナと、考えているの。池袋から上野へ直通の市電はなくなって、仲町でのりかえ、それが又混むのこまない
上野にはソーダ水あってよ。私はのみませんが。ソーダ水というもの
は写しものをたのんでいる可愛い人。お恭ちゃんはきょう上野の博物館見物です。佐藤さんのところに、さち子さんの姪が(十五歳
は福島は遠うございます、急行で五時間。しかもこの頃の上野のこみようは殺人的で、入場券を売り出さないのですから。鵠沼だと電車
きのうはあれから七時ごろ迄上野にいました。中島湘煙女史というひとは、漢学で教育され
今上野です。お祭日で、上野は天王寺の墓地へお参りする人ゾロゾロよ。そして、この人通りは黒い紋つき
今上野です。お祭日で、上野は天王寺の墓地へお参りする人ゾロゾロよ。そして
こと。全部で三冊よ、私の送ったのは。上野、大橋、日比谷。明日は芥川の「河童」について伺います、どこ
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の集るようなところ随分さけて居りました。林町では浅草に近いから強制の由です。
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あるということを力説している、そして頼朝、為朝、蒲生氏郷など、なかなか面白うございますが、つまりは露伴流の人物論ですね。
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松山さん、子供が赤痢で辻町の大塚病院に入院していて、毎日池袋から通いました。その途すがらの
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この間うちから日本橋の三越に東洋経済新報社の明治・大正・昭和経済文化展覧会があって、二十九日
の気合から物をつくる術はないものと見えて、あの日本橋の角は貸事務所か陸軍病院になりそうだそうです、伊勢丹もやはり。その
[自注7]山田忍道の店――日本橋の白木屋。
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途中、時間の都合で神田へまわりました、そして仰云った61という番号の改造文庫しらべました
交って、うれしい暖いものになるのでしょう。きのうはそれから神田の本やへ行って、すこし店が分らなくて迷子になり、校正を
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へゆき、白山の戸台さんのアパートへ案内しそれから、駒込病院に入院して、手術が終ったのが午前三時。まさに盲腸は
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ましょう、そうね。こんな工合で、すぐ出かけて、私は虎ノ門へ出かけ十時半ごろ帰宅したわけです。
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た。四国町に昔西村の祖母が住んでいて、向島のおばあさまと云いならわしていたのが、三田のおばあさまと
、お恭ちゃんの御飯茶わんかって、そしてかえって来たら、向島の江井が来ていて、お雑煮用の鶏肉をくれました。そして
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から遊覧バスにのって一日東京見物をし、きのうは渋谷の海軍館と三越とを見物。きょうは女大。明日は一日鎌倉
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から校正をやってしまって、そちらへ行って、かえりに小川町の高山へ届けましょう。
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位まで宅下げ待って、それから富士見町へまわりました。九段下へバスが池袋から出ているのよ、東京駅行。そこから九段の