孤島の鬼 / 江戸川乱歩

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地名一覧

和歌山県

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一度国へ帰って見ようと思う。国というのは和歌山県の南端の、Kという船着場から、五里程西へ寄った海岸にある俗称

鎌倉

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、その足で附近の省線電車の駅へと急いだ。鎌倉の海岸近くに住む深山木の家を訪ねる為であった。

彼は声を低めて真面目な顔になった。彼の鎌倉を出る時からの興奮は、増しこそすれ決してさめていない様に見えた

はもう辛抱が出来なくて、私は夜汽車に乗って、鎌倉の深山木の家を訪ねて見たが、彼は留守だった。近所で

非常に暑い日であった。朝九時頃、私が鎌倉へ行こうと着換えをしている所へ、深山木から電報が来た。逢い

そのあとでもう一度お逢いしていますね。ホラ、鎌倉の海岸で」

「エ、鎌倉? アア、あの時君は気がついていたのですか、あんな騒動

れた日には、僕は別の要件があって偶然鎌倉へ行ったんですが、途中で君の姿を見かけたものだから、つい

に行って見た所が、足芸の子供が、どうやら鎌倉の海岸にいた四人の内の一人らしく思われる。ハッキリした記憶が

私は一目見て、それが、鎌倉の海岸にいた子供の一人であることを感じた。そのことを諸戸に

「君、この間鎌倉の海水浴へ行っていたね。あの時伯父さんは君のすぐ側にい

そういう風に答えるものだよ。それから、君はさっき鎌倉の海岸なんか行ったことがないと云ったけれど、あれは嘘だね。砂

掴むことも出来なかった。「友之助が七月五日に鎌倉へ行ったことがあるか」「その時誰が連れて行ったか」「

「鎌倉じゃないの」

「そうそう、鎌倉とかいったっけ。友のやつ親方の秘蔵っ子だったからね。ちょくちょく、いい

風に考えたに違いない。そこで、深山木氏が一たん鎌倉に引上げるのを待って、初代さんの場合と同じ、誠に巧妙な手段に

大阪

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のです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪の川口という船着場で、拾って来て、たんせいをして育て上げた子

よ。そしてね、箱詰めになって、船にのって、大阪へ来たんだ。大阪で箱から出たんだよ。その時俺ぁ

なって、船にのって、大阪へ来たんだ。大阪で箱から出たんだよ。その時俺ぁ、生れて始めて広々した

いるのだ。それが、初代さんは三つの時に大阪で捨てられたので、多分父にも最近までは行方が分らないでい

春代は流れ流れて大阪に来たが、糊口に窮して遂に初代を捨てた。それを木崎夫妻が

ローマ

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なっているのかも知れない。ホラ『即興詩人』にローマのカタコンバへ這入る所があるだろう。僕はあれから思いついて、この麻縄を用意

武蔵野

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。休日には郊外電車の駅で待合わせて、よく緑の武蔵野を散歩した。こう目をつむると、小川が見えて来る。土橋が見え

丸の内

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当時私は二十五歳の青年で、丸の内のあるビルディングにオフィスを持つ貿易商、合資会社S・K商会のクラークを勤めてい

日比谷公園

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なって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷公園に立寄り片隅のベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又

を、私は活動写真で覚えた手つきで、ある日、日比谷公園のベンチの上で、彼女の指にはめてやったのである。する

松山

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ては願ってもない条件だった。ちゃんと東京の知合いの松山という人に相談をして、その人から引受けるという手紙まで来て

へ連れて行かれ、一晩みっしりと説法された。松山は父親の長い手紙を持っていて、その文面に基いて意見を述べ

の父親からの云いつけだといって、以前寄寓した松山という男が僕の下宿を訪ねて来た。僕はその人にある

が来た。大学を卒業すると、父親はさっき云った松山を介して、僕にこの研究室を建ててくれた上、研究費用とし

意味で、父の命令に従う気になった。僕は松山の家へ行って、その決心を伝え、結婚の運動を進めてくれる様

と命じられていた。父の手紙と例によって松山が父の使いみたいに頻々とやって来るのだ。偶然の一致とは

小川町

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に、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町の乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入り、一杯ずつお

巣鴨

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から電車の停留所までと、電車にのってから、彼女は巣鴨の方へ、私は早稲田の方へ、その乗換場所までの、僅かの

間もなく私達はカフェを出て巣鴨の駅へ引返した。方向が反対なので、私達がそこのプラットフォームで

た切り、帰らぬ」ということであった。あの日巣鴨で別れてから、そのまま彼はどこかへ行ったものと見える。私

花瓶」のことばかり思っていた。妙なことに、巣鴨のカフェで、深山木のいたずら書きを見た時から、「七宝の花瓶」

「ヤア、よく来てくれましたね。この間、巣鴨では本当に失敬しました。あの時は何だか工合が悪くって

まつげに覆われた目が、なまめかしく見えた。「この間巣鴨では、何だか恥かしくて云えなんだけれど、僕は君にお詫び

「この花瓶はいつかの晩、巣鴨の古道具屋にあったのと、形も模様も同じでしょう。君は忘れ

神田

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の幼い好奇心から、同じ東京に家庭を持ちながら、私は神田の初音館という下宿屋に泊っていたことがあって、諸戸とは

本部を作る必要がある。実はその為に、僕は神田のある所に、ちゃんと部屋を借りて置いたよ。明日、君は例

して、その翌日打合わせた時間に、自動車を傭って、神田の教えられた家へ行った。それは神保町近くの学生町の、飲食店

だが、この神田の家へ来る道さえ、乃木将軍の像を古新聞などに包んで、

神田の洋食屋の二階で、不気味な日記帳を読んだ翌日、私は約束

相談が纏まると、私達は何よりも先ず、神田の洋食屋の二階の、額の中へ隠して置いた、系図帳と

諸戸は、神田へ走る自動車の中で、こんな意見を持出した。私も無論賛成であっ

今日の出来事でハッキリしたのは、私達が嘗つて東京の神田の西洋料理店の二階へ隠して置いた、暗号文と双生児の日記帳

東京

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たのだが、寧ろ大部分は私の幼い好奇心から、同じ東京に家庭を持ちながら、私は神田の初音館という下宿屋に泊ってい

、一人は当日姉につれられて海水浴に来ていた東京のものであった)砂に埋まっていた深山木の身辺へは、

いたと云うのは、あの四人の内で一人丈け東京から海水浴に来ていた子供のあったことと一致する訳ですからね

調べて見なければならないと思った。目的の子供が東京にいたと云うのは、あの四人の内で一人丈け東京から海水浴

読者の読み易い為に、文章に手を入れて訛りを東京言葉に直し、仮名や当て字は、正しい漢字に書き換えて、写して置いた

、どこの訛りかはしらぬけれど、ひどい田舎訛りを大体東京弁に訂正したので、原文の無気味な調子を、そのまま伝えて

、僕にとっては願ってもない条件だった。ちゃんと東京の知合いの松山という人に相談をして、その人から引受けるという

に出て大学までみっしりと勉強すること、それには、東京の知合いに寄寓して、そこで中学校に入る準備をし、うまく入学出来

たのだ。先ず第一は、学校をやる位なら、東京に出て大学までみっしりと勉強すること、それには、東京の知合いに

条件を堅く守って、僕の帰省も許さず、自分で東京へ出て来ようともしない。僕は、この父親の一見親切らしい仕打ち

はね、僕にちっとも知らさないで、此間からずっと、この東京のどこかの隅に隠れているかも知れないのだよ」

島にいる間に殺さなかったか。それは、父が東京にいたからだ、とは考えられないだろうか。蓑浦君、僕の

は初代さんの家の前をうろうろした時分から、ずっと東京にいたと考えることも出来るじゃないか」

ぬこともなかろう。いずれにせよ、僕は明日にも、東京を立つ決心なのだ。蓑浦君、君はどう思う。僕は少し昂奮

「その諸戸屋敷の旦那が、近頃東京へ行ったという噂を聞かないかね」

でも舟を着けて、わしらの知らん内に、東京へ行ったかも知れんな。あんた方、諸戸屋敷の旦那を御存知か

よ。若しかしたら、私に知らせないで、こっそり東京へ出られたのかと思って」

「東京でね、あなたとそっくりの人を見かけたんですよ。若しかしたら

「馬鹿な。そんな、この年で、不自由な身体で、東京なんぞへ出て行くものかな」

東京の会社で算盤を弾いていた頃の私には、まるで想像もつか

な鬼瓦が、屋根の両端に、いかめしく据えてあった。東京あたりでは一寸見られぬ様な、古風な珍らしい型だ。

。ただ今日の出来事でハッキリしたのは、私達が嘗つて東京の神田の西洋料理店の二階へ隠して置いた、暗号文と双生児の

にしてしまった。戦争と聞いて肉が躍った。東京にいた頃の私には、思いも及ばなかった気持である。

、僕達の手で探出し度い。そうすれば、東京にいる初代さんの母親も仕合せになるだろうし、また沢山の片輪者を

そう云うことを始めている所へ、僕が東京の学校へ入れてくれと云い出したんだ。親爺は外科医者になる

彼女が、私の前に現われた時、そして、私に東京弁で話しかけた時、私の喜びがどれ程であったか、ここに

新橋

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。恰度月給日だったので、私達は少しおごって、新橋のある鳥料理へ上ったものだ。そして、七時頃まで少しお酒

ながら、私は、今からたった十三四時間前に、新橋の鳥屋で差向いに坐って笑い興じていた初代を思出した。すると、

銀座

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のだが、その夜は、どうしたのか初代が銀座へ行って見ましょうと云い出した。初代は見立てのいい柄の、仕立

だった。晩春の銀座の夜を思出す。私は滅多に銀座など歩くことはなかったのだが、その夜は、どうしたのか

、私は初代と語り合っていたのだった。晩春の銀座の夜を思出す。私は滅多に銀座など歩くことはなかったのだが

だ。チョコレートと聞いて私は思い出した。その前夜私達が銀座を散歩した時、私は初代がチョコレートが好きなことを知ってい

品川

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、やっぱり娘の縁談のことについて相談する為に、品川の方にいる彼女の亡夫の弟の所へ出向いて、遠方の事故、

池袋

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、尋ねて見たところ、送り先が、諸戸の住居のある池袋であったことも分った。

私は彼が池袋に居を構えて間もなく、彼を訪ねた時の無気味な光景を

彼の新居は池袋の駅から半里も隔った淋しい場所に、ポッツリと建っている陰気な木造

たった時分、会社の帰りを、私は諸戸の住んでいる池袋へと志したのである。

入っていて、変にむし暑い夜であった。当時の池袋は今の様に賑かではなく、師範学校の裏に出ると、もう人家

北川氏は先日の友之助殺しに関係した池袋署の刑事であったが、他の警察官達とは少しばかり違った考え方

「あの日足芸があって、友之助ね、ホラ池袋で殺された子供ね、あの子が甕の中へ入ってグルグル廻される

不気味な日記帳を読んだ翌日、私は約束に従って池袋の諸戸の家を訪ねた。諸戸の方でも、私を待ち受けてい

池袋署の北川という刑事が、例の少年軽業師友之助の属してい

鶯谷

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歩き廻る場末の町を歩いていた時、それは省線の鶯谷に近い処であったが、とある空地に、テント張りの曲馬団がかかっ

のせいか、彼が彼の家とはまるで方角の違う鶯谷の曲馬団を見に来ていたというのも、何となく異様

疑いを受ける様なそぶりを見せたんです。あなたはなぜ鶯谷の曲馬団へ出入りしたんです。僕はあなたがあんなものに嗜好を

男があるので、早速聞会わせて見ると、丁度鶯谷の近くに曲馬団がかかっていて、そこで同じ足芸もやっている

その曲馬団の少年軽業師であって、私がいつか鶯谷で諸戸を見たのは、彼がその子供の顔を見極める為に行っ

もなく、私達の陳述によって、警察を通じて、鶯谷の曲馬団に変事が伝えられ、そこから死体引取りの人がやって来

には一人として疑わしい者もなく、やがて曲馬団が鶯谷の興行を打上げて、地方へ廻って行ってしまうと同時に、この曲馬

てしまったあとまでも、根気よく尾崎曲馬団(例の鶯谷に興行していた友之助の曲馬団のこと)のあとをつけ廻して、

その時分尾崎曲馬団は、逃げる様に鶯谷を打上げて、遠方の静岡県のある町で興行していたが、北川

日の出来事に移って行った。北川氏はその日、鶯谷で曲馬団の客になって、見物していたと偽り、出鱈目に

神保町

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傭って、神田の教えられた家へ行った。それは神保町近くの学生町の、飲食店のゴタゴタと軒を並べた、曲りくねった細い抜け裏

小岩

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恐ろしい勢で鶴嘴を使い、次から次とその辺の大岩小岩を押し落している。すると、まるで海戦の絵でも見る様に、

湘南

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、第一日曜というので、気の早い連中が、続々湘南の海岸へ押かけるのだ。

私達は相談をして、湘南片瀬の海岸に立派な不具者の家を建てた。樋口一家に丈五郎