田園の憂欝 或は病める薔薇 / 佐藤春夫
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東京の話を聞きたがつた。東京の話ではない江戸の話である。この老婆は「煙のやうな昔」(とそのツルゲニェフの
な言葉をその老婆自身が言つた)娘のころに、江戸の某様の御屋敷で御奉公したとかで、御維新の騒ぎで
に語り出して、さてまだ眼の見えた昔に見た江戸の質問を彼にするのであつた。維新で田舎へ帰つたと言ひながら
て居なかつた。彼には答へる術もないその江戸の質問を、くどくどと尋ねるのであつた。さて彼が「江戸」の事
質問を、くどくどと尋ねるのであつた。さて彼が「江戸」の事は不案内だと気がつくと、彼の女の娘時代のその
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あたつて、ごく近くの或る丘の凹みの間から、富士山がその真白な頭だけを現して、夕映のなかでくつきり光つて居
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なかで考へた。さうだ! さうだ! これや王禅寺の方へ遠足した時、道に迷うて這入つて行つた家の糸とり娘
。彼はさう気がついた。それにしても、王禅寺の近所の一軒家に糸をとつて居た娘――その時には、
やうな早足、それが目まぐるしく彼の目に見える。それは王禅寺といふ山のなかの一軒の寺の犬だつた。その形は明確に
光で、そんなにはつきりと見える筈はない。それに王禅寺の犬は、なる程、狂犬になつたのだ、けれども、もう一週間も
宥めるやうに彼に説明するのであつた。しかし彼は王禅寺の犬が気違ひになつた話などは聞いたこともないと思ふ。
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広い武蔵野が既にその南端になつて尽きるところ、それが漸くに山国の地勢に入らうと
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御奉公したとかで、御維新の騒ぎで殿様が甲府の町奉行になるところが駄目になつた話やら、その年は実に悪い
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……近い東京……近い東京……遠い東京……その東京の街々が、アアクライトや、ショウヰンドウや、おひおひとシイズンになつてくる
た。遠い東京……近い東京……近い東京……遠い東京……その東京の街々が、アアクライトや、ショウヰンドウや、おひおひとシイズン
居られなかつた。遠い東京……近い東京……近い東京……遠い東京……その東京の街々が、アアクライトや、ショウヰンドウや、お
せずには居られなかつた。遠い東京……近い東京……近い東京……遠い東京……その東京の街々が、アアクライトや、
女は最も非難せずには居られなかつた。遠い東京……近い東京……近い東京……遠い東京……その東京の街々が
一時間、真直ぐの里程にすれば六七里でも、その東京までは半日がかりだ……それにしても、どんな大理想が
して電車が通つて居たり、公園があつたりする東京といふものの概念は何一つ持つて居なかつた。彼には
てくれながら、いろいろと東京の話を聞きたがつた。東京の話ではない江戸の話である。この老婆は「煙のやうな
遠い老婆が、風呂釜の下を燃してくれながら、いろいろと東京の話を聞きたがつた。東京の話ではない江戸の話である
あたふたと出かけた。心は恐らく体よりも三時間も早く東京に着いたに相違ない。
うちにと、早い昼飯をすませると、毎夜の憧れである東京へ、あたふたと出かけた。心は恐らく体よりも三時間も早く東京に
彼の妻は、秋の着物の用意に言寄せて、東京へ行つて来ようと言ひ出した。彼の女は空の天気を案ずるより
は先づ飯を炊かなければならなかつた――不意に東京へ行くと言ひ出した彼の妻は、汽車の時間の都合でそれの
次には半ば彼自身の意志から、彼の空想は、東京のそのうちでも人気の多いやうな場所へ向いて行つた。とその
も、彼はそれを未だ見たことはないけれども、東京の何処かにこれと全く同じ場所がきつとありさうに想像され
た。それだから、妻の何時も居る台所の方には東京のことの空想が一ぱい充満して居て、いつかの夕方ひとりで飯
ひびき。電車の軋る音。活動写真の囃子。見知らぬ併し東京の何処かである街。それ等の幻影は、すべて彼の妻の都会
お前の手から逃げ出す。すべり落ちるんだ。一たい、お前は東京のことばかり考へて居るからよくない。お前はここのさびしい田舎にある豊富
彼の心は平和であつた。食卓には妻が先日東京から持つて来た変つた食物があつた。火鉢の上には鉄瓶が
暗い台所には、妻が竈へ火を焚きつける。妻が東京へ引き上げたいといふ気持は、たしかにこんな時に彼処で養はれるに違ひ