九谷焼 / 中谷宇吉郎
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この渓流の下流の所に、山代という温泉と大聖寺という人口一万ばかりの町がある。この二つが古い九谷焼の面影の幾分
わけである。それが、明治二十年頃からか、ぼつぼつ大聖寺山代及びその附近の村などに窯を築く人が出来て来て、こんな目立た
大聖寺では、他にM氏といって柿右衛門の赤をよく出している人が
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加賀の人でも、この頃では余り知っている人が少い位だから、
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九州の話だが、柿右衛門という人などは、熟柿が枝に下っているの
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は真正の九谷焼が滅亡してしまうと言い出して、当時大聖寺町に残っていた年とった画工たちと交際したり、型のように古い
私は小学校へは入るために、八つの春、大聖寺町の浅井一毫という陶工の家に預けられた。その頃七十幾つかで、
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もので、今は真正の古九谷として、東京や大阪の富豪の蔵におさまっているものが案外多いとのことである。このこと
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明治維新の頃、奈良の五重塔が五十円で入札に附された頃、九谷焼も同じような悲運
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である。勿論この会社は益々発展して、今東京や金沢の陶器店でさえ、殆んど全部がこの種に属するもので、今では
金沢の高等学校には入ってからは、夕方の散歩に陳列棚を覗きこむ位のもの
の家へよく遊びに行った。不折の門人だが、金沢へ来てから、日本画特に南画に趣味をもって、筆致の雄は
私はまた、金沢時代にN氏という画家の家へよく遊びに行った。不折の門人
鉢を見た。今は帝室技芸員とかになっている金沢の人が、随分永々苦心して得た焼で、器物の上の方
に行くことを覚えて、毎朝五時頃から出かけた。金沢では、雪の降る真暗の朝の五時から、一軒だけ湯を
それから、N氏は金沢にいる間に、色々の家に遺っている古い時代からの九谷の精密
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の九谷と、夜店で売っている九谷とが、今の東京の人に知られているので、丁度その連絡をなし、現今なお古い
この頃では余り知っている人が少い位だから、東京の人などには、「真正の九谷焼」は余り知られていないよう
。近年この村が殆ど全焼したことがある。その時東京の新聞などでは、九谷焼の窯元が全滅した、当分九谷焼を産出する
造り出したもので、今は真正の古九谷として、東京や大阪の富豪の蔵におさまっているものが案外多いとのことである
ないのである。勿論この会社は益々発展して、今東京や金沢の陶器店でさえ、殆んど全部がこの種に属するもので、今