桜もち / 伊庭心猿
地名一覧
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、私の祖父は幼い父を伴ひ徳川慶喜について駿府に行つた御家人で、遠州金谷ヶ原で刀とる手に鋤鍬をもち、さんざん苦
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業平蜆はとうになくなつたが、まだ言問團子や、長命寺の櫻もち、地藏坂の草だんごは、それぞれ名代の看板を掲げてゐる。
團子」の命名が先考花城翁による縁故からで、のち長命寺内に芭蕉舊跡の一宇を再興、そこに自ら移り住んだのである。
さんが蒸籠形の四角な器を運んできた。「長命寺門前山本や」の燒印をおした白木の蓋をあける。ぷんとくる櫻の
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幡山は兵法家として有名な清水赤城の孫である。赤城には四男一女があり、長男は礫州、次男が一方、三男が大橋訥
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礫州の末子の隆正が、静岡縣知事關口隆吉の養子にはいつた。關口泰を生んだ。關口隆吉
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といふ名は、隆吉が山口縣令のときにでき、山形縣知事のときに産れたからだと、これは老先生から親しく伺つた
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一友に誘はれて久しぶりに向島を散歩したのは、まだ花には少しはやい三月なかばのことで
私の向島の思ひ出は、長命寺内芭蕉堂の懷石料理にはじまる。その日、小學一
丹陵の實姉であつて、共に時を同じくして向島に居を卜してゐたのである。
。時に十六歳。やがて艮輔が官を辭し東京向島に退隱するに當つて、父も隆正といつしよに東京へ出て
滑川蟾如、茶人の中村宗知等と共に、明治中期の向島文人史の幾ページかを占める。艮輔はのちの元老院議官關口隆吉
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に退隱するに當つて、父も隆正といつしよに東京へ出て來たといふ。その時にはもう祖父母とも死んでゐ
た。時に十六歳。やがて艮輔が官を辭し東京向島に退隱するに當つて、父も隆正といつしよに東京へ出