北海道に就いての印象 / 有島武郎

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札幌

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時、主に私の心の対象となるのは住み慣れた札幌とその附近だ。長い冬の有る処は変化に乏しくてつまらないと人は

をしていた頃には、米国風な広々とした札幌の道路のこゝかしこに林檎園があった。そこには屹度小さな小屋があっ

北海道

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北海道に就いての印象

私は前後約十二年北海道で過した。しかも私の生活としては一番大事と思われる時期を、

は三十から三十七までいた。それだから私の生活は北海道に於ける自然や生活から影響された点が中々多いに違いないという

いうことを思うのだ。けれども今までに取りとめてこれこそ北海道で受けた影響だと自覚するようなものは持っていない。自分が放

のに依るかも知れないが、一つは十二年も北海道で過しながら、碌々旅行もせず、そこの生活とも深い交渉を持たない

忘られないものとなってしまっている。この間も長く北海道にいたという人に会って話した時、あすこにいる間はいやな

処でもそういう気持を起させるものではあろうが、北海道という土地は特にそうした感じを与えるのではないかと私は思っ

北海道といってもそういうことを考える時、主に私の心の対象となるの

生活にも或る華やかさがついてまわっている。けれども北海道の冬となると徹底的に冬だ。凡ての生命が不可能の少し手前まで追いこめ

光の余翳であるのを略々確めることが出来た。北海道という処はそうした処だ。

でやって行くのに或る促進を受ける。これは確かに北海道の住民の特異な気質となって現われているようだ。若しあすこの土地に

に人為上にもっと自由が許されていたならば、北海道の移住民は日本人という在来の典型に或る新しい寄与をしていたか

な施設によって全く踏みにじられてしまった。而して現在の北海道は、その土地が持つ自然の特色を段々こそぎ取られて、内地の在来の形式

最初の北海道の長官の黒田という人は、そこに行くと何といっても面白いもの

もある。少女の何人かを逸早く米国に送ってそれを北海道の開拓者の内助者たらしめようとしたこともある。当時米国の公使とし

私は北海道についてはもっと具体的なことが書きたい。然し今は病人をひかえてい

東京

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出来ない境だろう。それから水々しく青葉に埋もれてゆく夏、東京あたりと変らない昼間の暑さ、眼を細めたい程涼しく暮れて行く夜