或る女 1(前編) / 有島武郎
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木部はすぐ葉山に小さな隠れ家のような家を見つけ出して、二人はむつまじくそこに移り住む事に
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の多い、家並みのまばらな、轍の跡のめいりこんだ小石川の往来を歩き歩き、憤怒の歯ぎしりを止めかねた。それは夕闇の催した
立ち去った。大八車が続けさまに田舎に向いて帰って行く小石川の夕暮れの中を、葉子は傘を杖にしながら思いにふけって歩いて
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「僕のほんとうに行く所はボストンだったのです。そこに僕の家で学資をやってる書生がいて僕
いはしたが岡も上陸してしまえば、詮方なくボストンのほうに旅立つ用意をするだろう。そしてやがて自分の事もいつとはなしに
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に残して乱れあった。いつ見ても新開地じみて見える神奈川を過ぎて、汽車が横浜の停車場に近づいたころには、八時を過ぎ
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だけで校友会にいらっしゃいってそういっておくれ。それから横浜の近江屋――西洋小間物屋の近江屋が来たら、きょうこっちから出かけたからって
包み物の中には何があるかあててみろとか、横浜のように自分の心をひく町はないとか、切符を一緒にしまって
いつ見ても新開地じみて見える神奈川を過ぎて、汽車が横浜の停車場に近づいたころには、八時を過ぎた太陽の光が、紅葉
中ほどにある一軒の小さな旅人宿にはいって行った。横浜という所には似もつかぬような古風な外構えで、美濃紙のくすぶり返っ
痛んでどうしても東京に帰れないから、いやでも横浜に宿ってくれといい出した。しかし古藤は頑としてきかなかった。
葉子はその朝横浜の郵船会社の永田から手紙を受け取った。漢学者らしい風格の、上手な字で
の為替が同封してあった。葉子が古藤を連れて横浜に行ったのも、仮病をつかって宿屋に引きこもったのも、実をいう
でから、気温は急に夏らしい蒸し暑さに返って、横浜の市街は、疫病にかかって弱りきった労働者が、そぼふる雨の中にぐったり
から乳母の姿を探り出そうとせず、一種のなつかしみを持つ横浜の市街を見納めにながめようとせず、凝然として小さくうずくまる若者ののらしい
絵島丸が横浜を抜錨してからもう三日たった。東京湾を出抜けると、黒潮に乗って
なものが潜んでいるのを感じさせた。絵島丸が横浜の桟橋につながれている間から、人々の注意の中心となっていた
してその叫喚がややしずまったので、葉子はようやく、横浜を出て以来絶えて用いられなかった汽笛の声である事を悟った。
時突然葉子の前に現われたのが倉地事務長だった。横浜の桟橋につながれた絵島丸の甲板の上で、始めて猛獣のような
横浜で倉地のあとに続いて船室への階子段を下る時始めて嗅ぎ覚えたウイスキーと
だけの覚悟があってするんですよ。僕はね、横浜以来あなたに惚れていたんだ。それがわからないあなたじゃないでしょう。暴力
「あなたに木村さんというのが付いてるくらいは、横浜の支店長から聞かされとるんだが、どんな人だか僕はもちろん知りません
しぼんだ花束が取りのけられてなくなっているばかりで、あとは横浜を出た時のとおりの部屋の姿になっていた。旧い記憶が香
されたり、邪魔者に見られるんだからおもしろうござんすわ。横浜を出てから三日ばかり船に酔ってしまって、どうしましょうと思った
二人はお打ち明け申したところ、こういうていたらくなんです。横浜へさえおとどけくださればその先はまたどうにでもしますから、もし旅費
。東京で本店にお払いになればいいんじゃし、横浜の支店長も万事心得とられるんだで、御心配いりませんわ。そりゃあな
持って帰ったらと思っているんです。たいていの人は横浜に着いてから土産を買うんですよ。そのほうが実際格好ですからね。
はどうにでもしますけれども、お土産は……あなた横浜の仕入れものはすぐ知れますわ……御覧なさいあれを」
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調子でいったが、その目はすでに笑っていた。サンフランシスコの領事が在留日本人の企業に対して全然冷淡で盲目であるという事、
であるという事、日本人間に嫉視が激しいので、サンフランシスコでの事業の目論見は予期以上の故障にあって大体失敗に終わった事、
て計画されなければならぬという事、幸いに、サンフランシスコで自分の話に乗ってくれるある手堅いドイツ人に取り次ぎを頼んだという事、
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突然小さな仙台市は雷にでも打たれたようにある朝の新聞記事に注意を向けた
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かと思うと左岸の崕の上から広瀬川を越えて青葉山をいちめんに見渡した仙台の景色がするすると開け渡った。夏の日は北国
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葉子はぎょっとして立ちどまってしまった。短くなりまさった日は本郷の高台に隠れて、往来には厨の煙とも夕靄ともつかぬ薄い霧
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とスコットランド風な強い発音で船長に尋ねた。葉子にはわからないつもりでいったの
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「シカゴまで参るつもりですの」
「シカゴの大学にでもいらっしゃいますの」
「あなたもシカゴにいらっしゃるとおっしゃってね、あの晩」
もったいない……もっと低いものはおありなさらない?……シカゴではシカゴ大学にいらっしゃるの?」
「あなたにおあい申してから僕もシカゴに行きたくなってしまったんです」
、葉子にほかの不安を持ちきたさずにはおかなかった。シカゴに行って半年か一年木村と連れ添うほかはあるまいとも思った。しかし
発展はやはり想像どおりの米国の西部よりも中央、ことにシカゴを中心として計画されなければならぬという事、幸いに、サンフランシスコ
シヤトルでも相当の店を見いだしかけているという事、シカゴに行ったら、そこで日本の名誉領事をしているかなりの鉄物商の
、日本との直取り引きを始める算段であるという事、シカゴの住まいはもう決まって、借りるべきフラットの図面まで取り寄せてあるという事、
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に母のするとおりになって、葉子は母と共に仙台に埋もれに行った。母は母で、自分の家庭から葉子のような
まま、葉子ともに三人の娘を連れて、親佐は仙台に立ちのいてしまった。木部の友人たちが葉子の不人情を怒って、木部
は列席した。そして三か年の月日は早月親佐を仙台には無くてはならぬ名物の一つにしてしまった。性質が
ようなものが形を取って生まれ出た。ことに親佐が仙台支部長として働き出したキリスト教婦人同盟の運動は、その当時野火のよう
仙台における早月親佐はしばらくの間は深く沈黙を守っていたが、
れる事になった。この稀有の大げさな広告がまた小さな仙台の市中をどよめき渡らした。しかし木村の熱心も口弁も葉子の
口の大きい、色白な一人の青年を乗せた人力車が、仙台の町中を忙しく駆け回ったのを注意した人はおそらくなかったろうが、その
なったので、それをしおに親佐は子供を連れて仙台を切り上げる事になった。
こんな騒ぎが持ち上がってから早月親佐の仙台における今までの声望は急に無くなってしまった。そのころちょうど東京に
なし。ほんとに木村はあなたがおっしゃったような人間ね。仙台であんな事があったでしょう。あの時知事の奥さんはじめ母のほうはなん
崕の上から広瀬川を越えて青葉山をいちめんに見渡した仙台の景色がするすると開け渡った。夏の日は北国の空にも
なって来た。木村の顔を見るにつけて思い出される仙台時代や、母の死というような事にもかなり悩まされるのをつらく
―おかあさんがああいう堅い信者でありなさったし、あなたも仙台時分には確かに信仰を持っていられたと思いますが、こんな場合
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母の着古しというような香いがした。由緒ある京都の士族に生まれたその人の皮膚は美しかった。それがなおさらその人を
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がついた時にはいつのまにか、乳母が住む下谷池の端の或る曲がり角に来て立っていた。
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(例)新橋を
新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴が、霧とまではいえ
にいるある若い学士と許嫁の間柄になっていた。新橋で車夫が若奥様と呼んだのも、この事が出入りのものの間
出すとすぐ、古藤の膝のそばで毛布にくるまったまま新橋まで寝通してしまった。
新橋に着いてから古藤が船の切符を葉子に渡して人力車を二台傭っ
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品川を過ぎて短いトンネルを汽車が出ようとする時、葉子はきびしく自分を見すえる
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思いもよらぬ浮き名を負わせたのも彼女である。上野の音楽学校にはいってヴァイオリンのけいこを始めてから二か月ほどの間に
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それは恋によろしい若葉の六月のある夕方だった。日本橋の釘店にある葉子の家には七八人の若い従軍記者がまだ戦塵
のを怖れないではいられなかった。葉子の父は日本橋ではひとかどの門戸を張った医師で、収入も相当にはあったけれど
貞世を抱いたまま黙ってすわり続けていた。間遠に日本橋を渡る鉄道馬車の音が聞こえるばかりで、釘店の人通りは寂しいほどまばらに
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親佐の苦心と貞操とを吹聴したついでに、親佐が東京を去るようになったのは、熱烈な信仰から来る義憤と、愛児を
は一方にどんと火の手をあげる必要がある。早月母子が東京を去るとまもなく、ある新聞は早月ドクトルの女性に関するふしだらを書き立て
る今までの声望は急に無くなってしまった。そのころちょうど東京に居残っていた早月が病気にかかって薬に親しむ身となったの
木村はその後すぐ早月母子を追って東京に出て来た。そして毎日入りびたるように早月家に出入りして、こと
帰って来た。葉子はとうとう我を折って最終列車で東京に帰る事にした。
いらだった。そしてその晩は腹が痛んでどうしても東京に帰れないから、いやでも横浜に宿ってくれといい出した。しかし
という父に似た性格さえこましゃくれて見えた。ことに東京生まれといってもいいくらい都慣れた言葉や身のこなしの間に、
て、一段一段遠ざかって行く二人の姿を見送った。東京で別れを告げた愛子や貞世の姿が、雨にぬれた傘のへん
しても木村と一緒になるのはいやだ。私は東京に帰ってしまおう」
あった。葉子は枕もとの椅子に木村を腰かけさせて、東京を発った時の様子をくわしく話して聞かせている所だったが、
時途切らした話の糸口をみごとに忘れずに拾い上げて、東京を発った時の模様をまた仔細に話しつづけた。
「そりゃいかん。何、船賃なんぞいりますものか。東京で本店にお払いになればいいんじゃし、横浜の支店長も万事心得
の奥さんの手紙が五十川のおばさんの所に着いて、東京ではきっと大騒ぎをしているに違いありませんわ。発つ時には
よ。そのほうが実際格好ですからね。持ち合わせもなしに東京に着きなさる事を思えば、土産なんかどうでもいいと思うんですが
「東京に着きさえすればお金はどうにでもしますけれども、お土産は…
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いなかった。そして午後の日がやや傾きかかったころ、大塚窪町に住む内田という母の友人を訪れた。内田は熱心なキリスト教の
のない所に物を探るような心持ちで葉子は人力車を大塚のほうに走らした。
さびしさに促されて、乳母の家を尋ねたり、突然大塚の内田にあいに行ったりして見るが、そこを出て来る時に
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の香いまでがそこいらに漂っているようだった。国分寺跡の、武蔵野の一角らしい櫟の林も現われた。すっかり少女のような
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てしまっていた。いたずら好きなその心は、嘉永ごろの浦賀にでもあればありそうなこの旅籠屋に足を休めるのを恐ろしくおもしろく思っ
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なしにどんよりと重く空いっぱいにはだかって、本牧の沖合いまで東京湾の海は物すごいような草色に、小さく波の立ち騒ぐ九月二十五日の午後
絵島丸が横浜を抜錨してからもう三日たった。東京湾を出抜けると、黒潮に乗って、金華山沖あたりからは航路を東北に