春泥 『白鳳』第一部 / 神西清
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
ノ宮から、宝ノ太后が悲しいなきがらになつて、この飛鳥へ還つて来られたのは、つい五年ほど前のことである。その
長柄へうつされたままであつた。かうして都が飛鳥にもどつたのは、なんだか恐ろしく久しぶりなことのやうな気さへ
・中ノ大兄として、かつて母后の住まはれた後ノ飛鳥ノ岡本の故宮で済ましてをられる。その一方ミササギの造営はしきりに督促され、
はれた。その難波の帝が亡くなつて、いよいよ都が飛鳥へ返らうといふ年の元旦にも、難波の鼠は大挙して大和へ引
ここは飛鳥の北につらなる藤原の里、内臣鎌足の連の本宅である。三月も
地名をクリックすると地図が表示されます
月の声をきいて、はや四日たつ。例年ならば神奈備の杉むらがくれに、ちらほら花もまじらうといふ時分なのだが、今年は
地名をクリックすると地図が表示されます
前の代は、十年といふ長い歳月を、都は難波の長柄へうつされたままであつた。かうして都が飛鳥にもど
この前、都が難波へ移されて、大化のみことのりの下つたその年の末にも、越
ぶつとほしで東へ向けて移つたといはれた。その難波の帝が亡くなつて、いよいよ都が飛鳥へ返らうといふ年の元旦にも
、いよいよ都が飛鳥へ返らうといふ年の元旦にも、難波の鼠は大挙して大和へ引つこしをした。民のうちに誰
すなはち執政の太子・中ノ大兄であつた。そのころ都は難波の長柄にあつた。太子は政務の合間を見ては、伊古麻の峠
いや、そればかりではない。額田ノ姫王が難波の都へ引きとられていつたのは、十三の歳だつたけれど、それから
地名をクリックすると地図が表示されます
も、ことしの花はどこで眺めることになるものやら。筑紫の朝倉ノ宮から、宝ノ太后が悲しいなきがらになつて、この飛鳥へ還
地名をクリックすると地図が表示されます
と、例の律気な性分からもう十日も前から、大津の新京へ移つて行つてしまつた。氷上ノ娘は夫人の代りに
この邸まで届けて来たのである。そして、自分が大津ノ宮へたつた後で、あの大海人ノ皇子のところへ、なるべくなら目だた