少年 / 神西清
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から乗船したやうな気もするが、あるひは馬関(つまり下関)だつたかも知れぬ。先祖の墓所が山口にあつて、父は明治
やがて母と少年とは、冬の海を基隆から下関へ、おなじ信濃丸に乗つて航海した。一年半まへの往路では
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出発の日どりなども加減する余裕はなかつたのだらう。神戸から乗船したやうな気もするが、あるひは馬関(つまり下関)だつた
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だつたが、かういふ時にはふだん抑へに抑へた東京女の勝気さが、閃光のやうに迸つた。母は徳川の御典医
走ることは決してなかつた。殊に晩年がさうだつた。まだ東京で浪人してゐた時分、健康のため禁煙を決心させられた頃
、家の外の生活――とりわけ学校の生活である。東京の山の手の或る小学校で、ほんの限られた二三の友達としか交はらず
が殊のほか盛んだつたことである。これは少なくも東京でかよつてゐた小学校では、ほとんどお目にかかつたことの
ではない。少年はそれより一年あまりも前、まだ東京にゐた頃、家主の息子である背の高い中学生から、同じ経験を
は、少年に新らしい友達を当てがつてみようと思ひ立つた。東京にゐた頃、少年のために友達になるやうに仕向けもし、また
のつきあひののち少年にさへ見抜くことができたやうに、東京の山の手の家庭の鼻もちならぬ模倣の気味が濃厚だつたのであるが
でもあつただらう。のみならず瀬川の息子は、東京の頃の少年の親しい学友たちに共通する美貌と柔弱さと気立ての優し
母は一応二の足を踏んだに相違ないが、生まれが同じ東京だといふことから来る親近感は、うるさい植民地の官吏婦人どうしの交際がそろそろ
病院だらう」と、自慢さうに言ひ、ここの設備は東京一の病院にも負けないくらゐ整つてゐる、それに扁桃腺の手術も
ちよつと鼻のつまつたやうな声だが、りんとした東京弁だつた。奥さんはいつのまにか、しやがんでゐる少年の真後ろ
の父も、しよつちゆうシャボンの香りをさせてゐた。東京にゐた頃は、神田の天下堂といふ洋物産で、飴色に透い
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香りをさせてゐた。東京にゐた頃は、神田の天下堂といふ洋物産で、飴色に透いて見える何とかいふ丸形