母子叙情 / 岡本かの子
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いいが独逸の話だけはして呉れないといいなあ、ベルリンのことを平気でペルリン、ペルリンというんだもの、傍で気がさしちまう
「おなかじゃベルリンと承知してて、あれ口先だけの癖よ」
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を向き直った。運転台や昇降口の空間から、眩しく、丸の内街の盛り場の夜の光が燦き入った。
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の女は逢った。かの女の手紙の着いた翌晩、武蔵野の家から、規矩男は訪ねて来たのであった。部屋には大きい
の中で、一ばん郷土的の感じを深く持たせるという武蔵野の中を選んで、別荘風の住宅を建てた。それから結婚した。
一ヶ月ばかりの間に三四回もかの女と連れ立って、武蔵野を案内がてら散歩し乍ら、たびたび自分の家の近くを行き過ぎるのに、規矩
ているとおり、東京の何処のこともあまり知らない様子。武蔵野のことは委しかったが、それにも限度があった。彼の家のある
歪みのある円に描いた範囲内の郊外だけだった。武蔵野といってもごく狭い部分だった。それから先へ踏み出すときは、
があった。そしてかの女は規矩男と共に心楽しく武蔵野を味わった。躑躅の古株が崖一ぱい蟠居している丘から、頂天だけ
これ等の場所は普通武蔵野の名所と云われている感どころより、稍々外れて、しかも適確に武蔵野の
云われている感どころより、稍々外れて、しかも適確に武蔵野の情趣を探らせて呉れるだけに、かの女には余計味わい深かった。こう
「それよりも、今日はあなたのその靴木履で、武蔵野の若草を踏んで歩く音をゆっくり聴かして頂くつもりです」
規矩男の家は武蔵野の打ち続く平地に盛り上った一つの瘤のような高まりの上に礎石を載せ
並べて、豊富で力強い気分を漂わせた。建築当初は武蔵野の田畑の青味に対照して、けばけばしく見え、それが却ってこの棲家を孤独な
棲家を孤独な淋しい普請のようにも見させたが、武蔵野の土から生えた蔦が次第にくすみ行く赤煉瓦の壁を取り巻き、平地の
鹿鳴館時代の美人の系統をひくものがあった。土着の武蔵野の女には元来こういうタイプがあるのか、それともこの夫人だけが
規矩男のその肉体をまざまざ感じたその日、かの女は武蔵野へ規矩男を無断で置いて来た。それが最後で規矩男からかの
その日規矩男の書斎から出た二人は、また武蔵野の初夏近い午後をぶらぶら歩き出した。一度日が陰って暗澹としたあたり
かの女は唐突として規矩男から逃げ、武蔵野のとある往還へ出るまでのかの女は、ほとんど真しぐらに馳けた。その
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刺繍をした小布を冠されていた。かの女が倫敦から買って帰ったベルベットのソファは、一つ一つの肘に金線の房
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いるのが匂った。トロカデロ宮を裏へ廻った広庭はセーヌの河岸で、緩い傾斜になっていた。その広闊な場面を、幾何学的
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一行四人の足は日比谷公園に踏み込んだ。K・S氏は沁々とした調子でかの女に
かの女は一行とゆるゆる日比谷公園の花壇や植込の間を歩きながら、春と初夏の花が一時に蕾
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洋画家志望のかの女のむす子は、もう、五年も巴里に行っている。五年前かの女が、主人逸作と洋行する
の訪問を受け、話の序に、いろいろむす子の、巴里滞在について質問をうけた。
「おちいさいのに一人で巴里へおのこしになって……厳しい立派なおしこみですねえ。それに、
とかの女はその夫人には明さなかったむす子を巴里へ留学させて置く気持の真実を久し振りに、自問自答してみた。
足かけ四年は、経った。かの女の一家は巴里にすっかり馴染んだ。けれども、かの女達はついに日本へ帰らなくては
子にその思い遣りが持てるのは、もはやかの女自身が巴里の魅力に憑かれている証拠だった。
あり、恋人との同棲から捩ぎ外すことだった。(巴里のテーストはもはやむす子の恋人だった。)それを想像するだけで、
を新興芸術に持ち、新興芸術を通して、それを培う巴里の土地に親しんだむす子は、東洋の芸術家の挺身隊を一人で引受けた
「巴里留学は画学生に取っていのちを賭けてもの願いだ。それを、
られない者が、魅着し憑かれずにはいられない巴里――だが、そこからは必ずしも通俗的な獲物は取り出せないのだ。
寂寥を底に持ちつつ取りとめもない痴呆状態で散らばっている巴里。真実の美と嘆きと善良さに心身を徹して行かなければいられ
らしい程小児性じみて而も無性格に表現されている巴里。鋭くて厳粛で怜悧な文化の果てが、むしろ寂寥を底に持ちつつ
言葉の内容も、実は、かの女やむす子と同じく巴里に憑かれた者の心情を含んでいた。人間性の、あらゆる洗練を
むす子が巴里の北のステイションへ帰朝する親たちを送って来て、汽車の窓から
した瞳の動き方をしていた。かの女は巴里で聞かされたピサロの子供の話を思い出した。
女はセーヌ河に近いある日本人の家のサロンで、永く巴里で自活しているという日本人の一青年に出遇った。
かの女がむす子と一緒に巴里で暮していたときのことである。かの女はセーヌ河に近いある
夢のしたたりのように、あちこちに咲き迸るマロニエの花。巴里でこの木の花の咲く時節に会ったとき、かの女は眼を一度
巴里という都は、物憎い都である。嘆きや悲しみさえも小唄にし
「おかあさん、とうとう巴里へ来ましたね」
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
は、ほんの譫言に過ぎなかった。しかし譫言にもせよ、巴里と口唱するからには、たしかに、よいところとは思っていたに
のようにいわせるだけだ。彼女が当時口にした巴里という言葉は、ほんの譫言に過ぎなかった。しかし譫言にもせよ、巴里
時口癖のようにいった巴里という言葉は、必ずしも巴里を意味してはいなかった。極楽というほどの意味だった。けれど
その時口癖のようにいった巴里という言葉は、必ずしも巴里を意味してはいなかった。極楽と
物質の配分があって、十余年後に一家揃って巴里の地を踏んだときには、当然のようにも思えるし、多少の
将来、巴里へ行けるとか行けまいとか、そんな心づもりなどは、当時のかの女
傷手が、一々、抉り出され、また癒されもした。巴里とはまたそういう都でもあった。
かの女は巴里によって、自分の過去の生涯が口惜しいものに顧みさせられると、同時
今はむす子の声が代って言う、「お母さん、とうとう巴里へ来ましたね」そうだ復讐をしたのだ。何かに対する
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」そして今はむす子の
。そんな遣瀬ない親達の欲情も手伝って、むす子は巴里に残された。
「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」
そしてたとえ一人になっても、むす子は「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」と胸の中で、いうだろう。だが、それ
何年でもむす子のいるかぎり、毎年毎年、マロニエが巴里の街路に咲き迸るであろう。そしてたとえ一人になっても、むす子は
そうだ。むす子を巴里に残したのは一番むす子を手離し度くない自分が――そして今
「ときに、お宅のむす子さんは……たしか、巴里でしたな、まだお帰りにならんかな」
をもって他人の事情を打診する表情で「お子さんはもう巴里に何年ぐらいになりますかな。よほど永いように思いますが――
、むす子さんを一人で置いて来られましたな。巴里のような誘惑の多い処へ。まだ年若な方を、あすこへ一人置か
は知らしたくない部分だけは独逸語なぞ使って、一二、巴里繁昌記を語った。老紳士の顔は、すこし弾んで棗の実の
神経質に思いかえして見た。老紳士が年若なむす子を巴里に置く危険を喋ったとき、かの女は「もし、そのくらいで危険な
を決めにかかった。むす子が住むべき新しいアパートは、巴里の新興の盛り場、モンパルナスから歩いて十五分ほどの、閑静なところに在っ
かの女が、いよいよ巴里へむす子を一人置いて主人逸作と帰国するとき、必死の気持が
、英国や独逸へ行って居る間に出来た友人で、巴里でも有名なある外科病院の青年医を両親に見せることにした。
あるとさえ云われて居るところをむす子から封じて、巴里へ置いて行く意義はない。
、モンパルナスからあまり遠くない地点に選んでやったくらいだ。巴里の味はモンパルナスのキャフェにあるとさえ云われて居るところをむす子から
よ」と、薄い旅費で行脚的に世界一周を企て巴里まで来て、まだ虚勢とひがみを捨て切らない或る老教育家が、かの女
一人巴里に置かれることが、むす子の願い、親の心柄であるとは云え
東京銀座のレストラン・モナミのテーブルに倚りかかって、巴里のモンパルナスのキャフェをまざまざと想い浮べることは、店の設備の上からも
へ入り、テーブルに倚りかかって、うつらうつらむす子と行った巴里のキャフェを想い耽る。
かの女の理性の足を失った魂のあこがれが、巴里の賑やかさという連想から銀座へでも行ったらむす子に会えそうな
から存在を無視されてしまうときに、むす子のいる巴里は手を出したら掴めそうに思える。それほど近く感じられる雰囲気の中に、
につき、それから主人の用務でイギリスへしばらく滞在するため巴里を出立するとき、むす子に言葉を慣らすため一人で残して置いたの
かの女は最初巴里につき、それから主人の用務でイギリスへしばらく滞在するため巴里を出立する
むす子が、だいぶ経験も積んで、巴里郊外の高等学校の予備校の寄宿舎に、たった一人日本人として寄宿した経験
ないんですよ。惚れた男はみんなきっと事情が出来て巴里から引上げなくちゃならなくなるんです」
集まった男女が遊び女であれ、やくざ男であれ、自分の巴里を去った後に、むす子の名を呼びかけて呉れるものは、これ等
むす子が恨めて仕方がなかった。何も知らずに巴里の朝に穏かに顔を洗っているであろうむす子が口惜しく、いじらしく、
かの女はむす子が巴里の街中でも、かの女を引っ抱えるようにして交通を危がり、野呂
のようでそうとう比較癖のある方らしい。僕の女性と巴里のむす子さんのと較べて考えてらっしゃるんじゃありませんか」
「やっぱり巴里のむす子さんへの歌だったな。『稚な母』って題で連作
画業は着々進んでいるらしく、ラントランシジャンとかそう云った手堅い巴里新聞の学芸欄に、世界尖鋭画壇の有望画家の十指の一人にむす
見ている態度だった。年少の画学生時代に貧困で巴里留学を遂げられなかった理想の夢を、彼は今やむす子に実現
が態々僕に云いに来たんだ。一郎君によく巴里で逢いました。実にしっかりやっておいでです。僕が何よりも
「おいおい、この間巴里から帰って来た社(逸作の勤め先)の島村君が態々僕に
数年間に巴里のむす子からかの女に宛てて寄越した手紙は百通以上にも
培わしている。かの女は、よくむす子と連れ立って巴里の街を歩くときのむす子の態度を思い出した。
た態度を持っているお母さんなら心配しません。僕は巴里でお母さんと一緒に居た時も、「世評にくよくよするお母さんが一番嫌
「巴里の坊っちゃんのお知合いの画家がいらっしゃいました。なにしろ東京駅へ着き立てに
かの女の胸に、すぐそれが巴里前衛画派中今は世界的大家であるK・S氏であることが判明し
取次のものは、K・S氏が携帯した巴里のむす子からの紹介状を差し出した。
かの女は早速着物を着換えた。K・S氏は巴里画壇の大家の中でも、特にむす子に親しくして呉れている人
飲みながら夜遅くまで芸術論を闘わせました。一口に巴里の新しい画派を抽象派と云いますが、その中で個人個人によって
は、巴里のどんな有力な画家でも出来ないことです。巴里ではどんなに早くても三月はかかります」
「こんな性急なことは、巴里のどんな有力な画家でも出来ないことです。巴里ではどんなに早くて
幕がわりのように、頓に長閑な貌様を呈して来る巴里の春さきを想い出した。濃く青い空は媚を含んでいつまでも暮れなかっ
「抽象派という名前で巴里の前衛画派を総括していますが、めいめい違った個性から出発する画論
た紹介の方法も効果があったには違いないが、巴里の最新画派の作品を原画で観るということは、人々には稀有の
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ほとんど沙漠の中の蛮地のように遠く思え、欧洲はすぐ神戸の先に在るように親しげな話し振りをかの女はした。だ
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高い坂へ来て、がくりと車体が前屈みになると、東京の中央部から下町へかけての一面の灯火の海が窓から見下ろせる。
。それはかの女が帰朝後間もない散歩の途中、東京で珍しく見つけたマロニエの木々である。日本へ帰って二タ月目に、
すると、むす子は一人で遠い外国に、自分はこの東京に帰っている。その間の距離が、現実に、まざまざと意識され
東京銀座のレストラン・モナミのテーブルに倚りかかって、巴里のモンパルナスのキャフェをまざまざ
銀座の西側に較べて東側の歩道は、東京の下町の匂いが強かった。柳の青い幹に電灯の導線をくねらせ
出る以外には、余所へ行かないといっているとおり、東京の何処のこともあまり知らない様子。武蔵野のことは委しかったが、それ
なって来た往還で、かの女はタクシーを拾って、東京の山の手の自宅へ帰って来た。かの女の顔色は女中に見咎められる
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はM地区の学校を出て、入学試験の成績もよく、上野の美術学校へ入った。それから間もなく逸作の用務を機会に
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らしく、機嫌を取ってまで連れ出す。しかし単純な彼はいつも銀座である。そしてモナミである。かの女を連れ出して、この喫茶店のアカデミックな
東京銀座のレストラン・モナミのテーブルに倚りかかって、巴里のモンパルナスのキャフェをまざまざと
。で、ある時はむしろ、かの女の方から進んで銀座へ出たがるので、そんなとき逸作はかの女の気が晴れて来
ずんずん募って行って、せめてあこがれを納得させるだけでも銀座へ踏み出してむす子の俤を探さなければ居たたまれないほど強い力が込み上げて
失った魂のあこがれが、巴里の賑やかさという連想から銀座へでも行ったらむす子に会えそうな気を彼女にさせる。さすが
夜のかの女――今夜もかの女は逸作と銀座に来てモナミのテーブルに坐っていたが、三四十分で椅子から立ち上っ
瞬き盛りの銀座のネオンは、電車通の狭谷を取り籠めて四方から咲き下す崖の花畑
いる食後の夜の町のプロムナードの人種になって、特に銀座以外には見られぬ人種になって、上品で綺羅びやかな長蛇の
呟きながら、どこまでも青年のあとに随き、なおも銀座東側の夜店の並ぶ雑沓の人混へ紛れ入って行くのを見て、「
銀座の西側に較べて東側の歩道は、東京の下町の匂いが強かった。
の進み方は不規則で乱調子になって来た。そして銀座の散歩も、もう歩き足り、見物し足りた気怠るさを、落した肩と
あなたはO・K夫人でいらっしゃいましょう。僕は一昨夜あなたに銀座であとをつけられた青年です。僕は初め、何故女の人が僕
こんな意味の手紙。これは銀座でそのことがあって一日おいて来た、あのナポレオン型の美青年から
焦れた為か、もっと迫った気持の追加が出来て、銀座で接触したのを機縁として、唯むやみにもう一度かの女
急にかの女の眼底に、銀座の夜に見たむす子であり、美しい若ものである小ナポレオンの姿が
た夜が三四日おきに三四度続くうち、かの女は銀座で規矩男のあとをつけた理由を規矩男に知らせ、また次の
誰が……あなたでない、よそのお母さんみたいな人に銀座でなんかあとからつけて来られて……およそ気味の悪いばかりだった
規矩男は母の命令で食料品の買付けに、一週一度銀座へ出る以外には、余所へ行かないといっているとおり、東京の何処
つく、親切な若い案内者ぐらいの無感覚に陥り易くなった。銀座でむす子の面影をどうしてこの青年の上に肖せて看て
「兎に角今夜は銀座でも見せてあげて、日本食を上げましょう。直ぐホテルへ電話かけてあげ
に向っていた。窓からは柳の梢越しに、銀座の宵の人の出盛りが見渡された。
ホテルから早速案内した銀座の日本料理屋では、畳に切り込んであるオトシに西洋人夫妻と逸作
食後に銀座通りの人ごみの中を一巡連れ立って歩いて見せた。人形蒐集熱にかかっ
K・S氏の展覧会の会場の銀座のデパートで、あなたが人中の僕を見て階段の上に佇んでいらっしゃっ
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東南風が一吹き強く頬に感ずると、かの女は、新橋際まで行ってそこから車に乗り、早く家へ帰り度いというさっき
新橋際まで来て、そこの電車路を西側に渡った。かの女は殆ど
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は、人ごとのように縁の遠いものとなり、くるりと京橋の方へ向き直り、風の流れに送られて、群衆の方向に逆いながら