東海道五十三次 / 岡本かの子
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いう。重衡、斬られて後、千手は尼となって善光寺に入り、歿したときは二十四歳。こういう由緒を簡単に、主人は前
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連歌師の中にはまた職掌を利用して京都方面から関東へのスパイや連絡係を勤めたものもあったというから幾分その方の
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下を隧道に掘って通っている道を過ぎて私たちは草津のうばが餅屋に駆け込んだ。硝子戸の中は茶釜をかけた竈の火で
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向って、それは妙であった。私たちは翌朝汽車で桑名へ向うことにした。
と私たちの息子の時代のことを考えながら急ぐ心もなく桑名に向っていた。主人は快げに居眠りをしている。少し見え出し
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の目的は鈴鹿を越してみようということであった。亀山まで汽車で来て、それから例の通り俥に乗った。枯桑の中
た。枯桑の中に石垣の膚を聳え立たしている亀山の城。関のさびれた町に入って主人は作楽井が昨年話して呉れ
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一度は藤川から出発し岡崎で藤吉郎の矢矧の橋を見物し、池鯉鮒の町はずれに在る八つ橋の古
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「この間、島田で、大井川の川越しに使った蓮台を持ってる家を見付けた。あんたに逢ったら教えて
ている家を尋ねて、それを写生したりして、大井川の堤に出た。見晴らす広漠とした河原に石と砂との無限の
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ない鄙びた家並がある。ここは重衡の東下りのとき、鎌倉で重衡に愛された遊女千手の前の生れた手越の里だという。
「それにね、当時の鎌倉というものは新興都市には違いないが、何といっても田舎で文化
時代になってもまだそんなふうだったから、この時代の鎌倉の千手の前が都会風の洗練された若い公達に会って参ったの
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私たちが店を出るときに、主人は私に「この東海道には東海道人種とでも名付くべき面白い人間が沢山いるんですよ」と
はじめ東国の城主たちは熱心な風雅擁護者で、従って東海道の風物はかなり連歌師の文章で当時の状況が遺されていると主人は語っ
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そのときの目的は鈴鹿を越してみようということであった。亀山まで汽車で来て、それから
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十日行って、その間、必要品を整えるため急いで豊橋へ出てみるぐらいなものである。
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餅屋の前を通ると直ぐ川瀬の音に狭霧を立てて安倍川が流れている。轍に踏まれて躍る橋板の上を曳かれて行くと
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京から東に移った。そしてここに住みついた。庭は銀閣寺のものを小規模ながら写してあるといった。
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を尋ねて歩いた。これが作楽井をして小田原から横浜市に移住した長男の家にかかるよりも熱田住みの次男の家へかからしめ
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風が鳴っている三上山の麓を車行して、水無口から石部の宿を通る。なるほど此処の酒店で
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それから二十年余り経つ。私は主人と一緒に名古屋へ行った。主人はそこに出来た博物館の頼まれ仕事で、私はまた
はすっかり忘れ果て、二人ともめいめいの用向きに没頭して、名古屋での仕事もほぼ片付いた晩に私たちはホテルの部屋で番茶を取り寄せながら雑談
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渡って、道はだんだん丘陵の間に入り、この辺が桶狭間の古戦場だという田圃みちを通った。戦場にしては案外狭く感じた
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、何といっても田舎で文化に就ては何かと京都をあこがれている。三代の実朝時代になってもまだそんなふうだったから
連歌師の中にはまた職掌を利用して京都方面から関東へのスパイや連絡係を勤めたものもあったというから
が東国の広漠たる自然の中に下ってもなお廃残の京都の文化を忘れ兼ね、やっとこの上方の自然に似た二つの小峰を
は力が落ちる。自分たちのような用事もないものが京都へ上ったとて何になろう。
「この次は大津、次は京都で、作楽井に言わせると、もう東海道でも上りの憧憬の力が
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静岡辺は暖かいからというので私は薄着の綿入れで写生帳とコートは
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緊張していて常にうれしいものである。だが、大津へ着いたときには力が落ちる。自分たちのような用事もないもの
という目的意識が今もって旅人に働き、泊り重ねて大津へ着くまでは緊張していて常にうれしいものである。だが、
「この次は大津、次は京都で、作楽井に言わせると、もう東海道でも上りの
に希望を持つ為めに、憧憬を新らしくする為めに東海道を大津まで上っては、また、発足点へ戻ってこれを繰返すという話を
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そこで、また、汽車で品川へ戻り、そこから道中双六のように一足一足、上りに向って足を
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本になっている。私たちはその夜、島田から汽車で東京へ帰った。
たことには、家の造りが破風を前にして東京育ちの私には横を前にして建ててあるように見えた。
と言った。その日私たちは熱田から東京に帰った。
十一月も末だったので主人は東京を出がけに、こんな句を口誦んだ。それは何ですと私が訊く
氏が帳面につけたものがあるから、それをいずれは東京の方へ送り届けようということや、作楽井氏の腰の神経痛がひどくなっ