富士 / 岡本かの子
地名一覧
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足柄の真間の小菅を踏み、箱根の嶺ろのにこ草をなつかしみ寝て相模へ出
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のにこ草をなつかしみ寝て相模へ出た。白波の立つ伊豆の海が見ゆる。相模嶺の小嶺を見過し、真砂為す余綾の浜を通り、
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、ほぼ間配りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが、便利のため後世の名で
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足柄の真間の小菅を踏み、箱根の嶺ろのにこ草をなつかしみ寝て相模へ出た。白波の立つ伊豆の海
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頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟国と呼ばれていた時代
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を分け進む身となった。葛飾の真間の磯辺から、武蔵野の小岫がほとり、入間路の大家が原、埼玉の津、廻って常陸
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……いくらこの山の座り幅が広いたって、三国か四国に亙っているに過ぎまい。それを海山遠く取入れた話をするなんて、あんまり
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た、秋鳥も瀬の面に浮ぶようになった。筑波山の夕紫はあかあかとした落日に謫落の紅を増して来た。稲
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加波山で猟れた鹿らしく鹿島の猟で採れた鰒、新治の野で猟れた、鴫、那珂の川
さしむかう鹿島の崎に霞たなびき初め、若草の妻たちが、麓の野に莪蒿摘みて煮る
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平地に禿立している紫色の山を望み、それは筑波という山であって、それには人身の形をした山神が住んで
山の祖神の予感に違わず、この筑波の岳神は、自分の息子の末の弟だった。
ここにまた筑波の山中に、涙明神という社がある。本体には富士の火山弾が祭っ
が没くなるとまもなく子が無いことを託っていた筑波の岳神夫妻の間にこれをきっかけに男女五人ほどのこどもができた
山々はもちろんのこと、東国でも、福慈とか、この筑波とかいう名山には必ず、こどもをお遺しになり、山を拓かすと
。双親は負け惜しみもあり、なに、それなら、水無瀬は筑波の岳の跡取にして、次の代の筑波は女神、女族長でやらし
水無瀬は筑波の岳の跡取にして、次の代の筑波は女神、女族長でやらして行くといっている。
母はやや老い、筑波の岳神の家では、働きものの水無瀬が主婦のような形になって
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加波山で猟れた鹿らしく鹿島の猟で採れた鰒、新治の野で猟れ
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山に、ほぼ間配りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが、便利のため後世の
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の名だたる山に、ほぼ間配りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが、便利のため
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を西国の名だたる山に、ほぼ間配りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが、便利
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房総半島に上り、翁は再び望多の峰ろの笹葉の露を分け進む身と
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のこどもを西国の名だたる山に、ほぼ間配りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが
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。その上、重く堅い巌を火の力により劈き、山形にわたくしを積み上げさせたということは、仇おろそかのすさびに出来る仕事で
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が先に立ち奴たちを率いて、裾わの田井に秋田を刈った。冬ごもり時しも、旨飯を水に醸みなし客を犒う待
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頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟国と呼ばれていた時代のことである。
界隈の土蜘蛛の残りの裔を討伐に向った。たまたまこの佐賀牟の国の富士の山麓まで遠征した。
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海路は相模国三浦半島から、今の東京湾頭を横断して房総半島の湊へ渡るのが船筋だった。