鶴は病みき / 岡本かの子

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地名一覧

本所

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…それも単純で好いな……僕なんか本所育ちで、本所の大どぶに浮いた泡のようなもんですよ。」従妹「あらいやだ

大阪

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某日。――朝早く主人は社用で大阪に発って行った。麻川氏の部屋の前を通ると、氏は例の

人達に聞かれるのを嫌がるので、)主人今朝大阪より此処へ戻る。夜汽車の疲れを見せてH屋の表門を主人がはいるや

某日。――大阪から主人が戻って五六日たった今日の午前十時頃、H屋の門前

鎌倉

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頃であり乍ら結局葉子がふかく麻川氏を想うとき場所は鎌倉で季節は夏の最中となる。葉子達一家は、麻川荘之介氏の自殺

を支店にし、そのまた支店で別荘のような料亭を鎌倉に建てたのであったが商売不振の為め今年は母屋を交ぜた三棟

が兄さんの大川氏と暫く別れ、近所に宿を極めてしばらく鎌倉に落ちつくのだそうだ、で、今日からK氏のモデルになり始めた。

しかし、麻川氏の神経はあんまりうるさい。これではまるで、鎌倉へ麻川氏の意地張りの対手に来て居るようなものじゃないか……

ひきしまる。それに坂本さんもあんなに好い人だし、僕鎌倉へ来て好かったかな。」私「けむたがられたことも私達ありまし

屋の門前に一台の古馬車が止った。これは鎌倉でも海岸に遠い場所から海岸へ出る人の為めに備えられている雇い馬車

何処かの貸馬車置場にでも納まっているものらしい。鎌倉の街を歩いて居て曾てこんな馬車に逢わなかったのを見ると、余程

麻川氏の俤は見えて来る。葉子は、その俤を鎌倉で別れて以来、日がたつにつれどれ程懐しんで居たか知れない。

頃ともなれば……そしてまた年毎に七八月の鎌倉を想い追懐の念を増すばかりである。

扇ヶ谷

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私はむっとして傍を向いた。何故私が扇ヶ谷の道路で観た馬上の女性を麻川氏の前で美人と云ったのは

て居ると云っても好いくらいだのに何故私がたまたま扇ヶ谷の馬上美人を氏の前で褒めては悪いのか。事実私として

京都

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達をH屋の一棟へ案内した。H屋は京都を本店にし、東京を支店にし、そのまた支店で別荘のような

東京

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棟へ案内した。H屋は京都を本店にし、東京を支店にし、そのまた支店で別荘のような料亭を鎌倉に建てた

も帯も氏の痩躯長身にぴったり合っている。氏が東京から越して来ると共に隣の部屋の床の間に、くすんで青味がかった

某日。――麻川氏は私達より三四日後れ昨夜東京から越して来た。今朝早くから支那更紗(そんなものがあるかないか

某日。――主人が東京から来たので、麻川氏はこちらの部屋へ挨拶に来た。庭

某日。――二三日前、画家のK氏が東京から来て麻川氏の部屋のメンバーになった。噂によれば夏目漱石

が麻川氏と相撲でもとり始めたらしいどたんばたんの音、東京から来た二三人の麻川氏訪問者も交ってわっわの騒ぎだ。それ

私はうしろから見た。画家K氏は二三日前一たん東京へ帰り、早朝まだ一人の来客も麻川氏の部屋には無い。氏は

社にたのんだ。P社の記者がそれを納得して東京へ帰ってから従妹に昼の西瓜の半分を切らして私の部屋の縁

。そして大真面目に「あなたんとこへまだ随分沢山の人が東京から来るんでしょうな。およそ何人位まだ来る予定ですか。」私「それ

土地が珍らしいから用事がなくっても遊びに来るんでしょう、東京生活よりお客が多いくらいです。」麻川氏「お客の種類は大別して

あなたん所でお客が多かったんですな。」私「東京から距離が近いのに土地が珍らしいから用事がなくっても遊びに来るん

籐椅子に倚って新聞を読んで居た。私は、先刻東京から来たばかりの叔母さんと一緒なので、麻川氏に一礼して

たあとなので「いいえおはいり下さい。藤村の羊羹が東京から届きましたの。」愛想よく麻川氏に座蒲団をすすめた。氏は

易いから。」従妹が突然太い声を出して「私ね東京って云えば直ぐに青山御所を思い出すっきりよ。」と云ったので話

にこんな歌がありませんでしたか……大都市東京の憂愁を集めて流す為めか灰色に流れる隅田川は……とか

と咽喉に引き込んだような声で笑って、「僕、東京へ行って来ました。昨夜、おそく思い立ったんで御挨拶もしない

某日。――昨夜、おばさん三味線を持って東京へ帰り(私に唄をうたわせ発声運動の目的で来たが私が

に火をつけてから云った。「どうだい。一たん東京へ引き上げちゃあ。そして九月になってみんな帰っちまってからまた来るとし

隅田川

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…大都市東京の憂愁を集めて流す為めか灰色に流れる隅田川は……とかいうの。」私「ええ。ずっと子供のうち

た。そのあとの話の都合で私は主人が少年時代隅田川の河童党で神伝流の免許を受けて居ることを云った。だが