半七捕物帳 37 松茸 / 岡本綺堂
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なければならない。旅馴れないものが打ち揃って、江戸から熊谷まで出てゆくのは、ずいぶん厄介な仕事でもあるので、加賀屋の方
もそうらしく聞えました。加賀屋の若いおかみさんも女中も熊谷の人ですから。やっぱり何かの知り合いじゃないかと思いますよ」
加賀屋の娘は熊谷の里にいた時に、何か内証の男でも拵えていたの
江戸と熊谷と距れているので、ふたりの女はなんにも知らなかったが、安吉
た。太田を出た御用の松茸は、上州から武州の熊谷にかかって、中仙道を江戸の板橋に送り込まれるのが普通の路順で、
の金銭を自分の自由にするわけにはゆかなかった。熊谷の里へ頼んでやるにも適当の使がなかった。彼女はよんどころなくお鉄
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というのですから、その騒ぎは大変、太田の金山から江戸まで一昼夜でかつぎ込むのが例になっていて、山からおろして来ると、
に縁付くならば、どんな面倒な失費もよんどころないが、遠い江戸へ縁付けてしまうのに、そんな面倒をかさねるのはお互いにつまらない事で
つまらない事であるから、さしあたっては行儀見習いの為に江戸の親類へ預けられるという体にして、万事質素に娘を送り出してしまい
して、万事質素に娘を送り出してしまいたい。勿論、江戸の方ではそういう訳には行くまいから、そちらで相当の支度をさ
をしなければならない。旅馴れないものが打ち揃って、江戸から熊谷まで出てゆくのは、ずいぶん厄介な仕事でもあるので、加賀屋
ここへ縁付いてから、ただ一度その親たちと姉とが江戸見物をかねて加賀屋へ訪ねて来て一と月ほども逗留して帰った
お元とは取りわけて仲よくしている関係から、かれが江戸へ縁付くに就いても一緒に附き添ってきたのであった。年のわり
国者同士が江戸で落ち合って、それから何かの関係が出来る。そんなことは一向めずらしくないと
「いつ頃から江戸へ出ているんだ」
たちもいろいろに心配して、結局その嫁入り先を、遠い江戸に求めたのであった。お元が質素にして故郷を出て来
がそれを知らない筈がなかった。かれは或る事情から江戸に出て来て、八幡祭りを見物に行った時に、偶然かのお
江戸と熊谷と距れているので、ふたりの女はなんにも知らなかったが
で、ふたりの女はなんにも知らなかったが、安吉が江戸へ出て来たのは、かの太田の金山の松茸献上がその因をなし
の松茸は、上州から武州の熊谷にかかって、中仙道を江戸の板橋に送り込まれるのが普通の路順で、途中の村々の若い百姓たち
につく虞れがあるのと、もう一つにはふだんから江戸へ出て見たいという望みがあったのとで、かれは大胆に江戸
たいという望みがあったのとで、かれは大胆に江戸へむかって逃げて来た。諸国の人間のあつまる江戸に隠れていた方
に江戸へむかって逃げて来た。諸国の人間のあつまる江戸に隠れていた方が、却って詮議が緩かろうとも考えたのであった
たので、殆ど乞食同様のありさまで、どうやらこうやら江戸まで辿りついた。江戸には別に知己もないので、かれはやはり乞食の
乞食同様のありさまで、どうやらこうやら江戸まで辿りついた。江戸には別に知己もないので、かれはやはり乞食のようになって江戸
はすぐにその乞食の境界から救われるようになった。江戸に入り込んでから三日目の朝に、かれは測らずも加賀屋の嫁と
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、安吉が江戸へ出て来たのは、かの太田の金山の松茸献上がその因をなしていたのであった。太田を出た
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「なんでも明治になってから横浜へ引っ越して、今も繁昌しているそうですよ。お鉄の家は浅草
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文久三年の八月十五日は深川八幡の祭礼で、外神田の加賀屋からも嫁のお元と女中のお鉄、お霜の三人が
外神田の大通りへ出ると、師走の夜の町はまだ明るかった。加賀屋の店も
家へ入るのを見とどけた。そうして、お元が外神田の加賀屋の嫁になっていることを探り出したので、その後もたびたび加賀屋を
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老爺さんか。べらぼうに寒いじゃねえか。今夜はよんどころなしに本所まで行って来たんだが、おめえも毎晩よく稼ぐね」
いたが、安吉の無心は際限がなかった。かれは本所の木賃宿に転がっていて、お元から強請る金を酒と女に遣い
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というのである。その年ごろや風俗がこのあいだの晩、両国の橋番小屋の外にうろついていた男によく似ているらしいので、半七はいよ
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十月のなかばであった。京都から到来の松茸の籠をみやげに持って半七老人をたずねると、愛想
の一尾も食べるというくらいのことです。この前日に京都の松茸を頂いたのは有難い。おかげで明晩の御料理が一つ殖え
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うちの三浦老人は、大久保に住んでいて、むかしは下谷辺の大屋さんを勤めていた人である。わたしは半七老人の
先方の云い込みを故障なしに承諾した。お元は下谷の媒妁人の家に一旦おちついて、そこで江戸風の嫁入り支度をし
熱い蕎麦を二杯たのむと、蕎麦屋は六助といって、下谷から神田の方へも毎晩まわって来る男であった。
銭を置いて、すっと出て行った。ここは殆ど下谷と神田との境目にあるところで、南にむかった彼の足が加賀屋
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を変えた。番頭の半右衛門が若い者ふたりを連れてすぐ深川へ駈け付けると、それは何者かが人さわがせに云い触らした虚報で、お元
のお元と女中のお鉄、お霜の三人が深川の親類の家へよばれて、朝から見物に出て行ったが、
文久三年の八月十五日は深川八幡の祭礼で、外神田の加賀屋からも嫁のお元と女中のお鉄
その嫁が深川の祭礼を見物に行って、その留守に永代橋墜落の噂が伝わった
と、押し詰った師走ももう十日あまりを過ぎて、いよいよ深川の歳の市というその前夜であった。半七は明神下の妹をたずねて
かも知れないと思ったのとで、かれは朝から深川の町々をさまよっていると、混雑の中でお元とお鉄の姿
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で、ことしの春頃からこの三浦老人とも懇意になって、大久保の家へもたびたび訪ねて行って「三浦老人昔話」の材料をいろいろ聴い
お客様もみな揃っていた。そのうちの三浦老人は、大久保に住んでいて、むかしは下谷辺の大屋さんを勤めていた人
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今も繁昌しているそうですよ。お鉄の家は浅草へ引っ越して、これも繁昌しているらしい」と、半七老人は答え
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云い出すともなしに、永代橋が墜ちたという噂が神田辺に伝わった。文化四年の大椿事におびえていた人々は又
、ひとりの男が若い女に声をかけた。男は神田の半七で、本所のある無尽講へよんどころなしに顔を出して帰る途中
だ。おめえは識っている人じゃあねえかえ。おれは神田の半七だよ」
を二杯たのむと、蕎麦屋は六助といって、下谷から神田の方へも毎晩まわって来る男であった。
置いて、すっと出て行った。ここは殆ど下谷と神田との境目にあるところで、南にむかった彼の足が加賀屋の方
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が、その午過ぎになって誰が云い出すともなしに、永代橋が墜ちたという噂が神田辺に伝わった。文化四年の大椿事
その嫁が深川の祭礼を見物に行って、その留守に永代橋墜落の噂が伝わったのであるから、加賀屋一家が引っくり返るように騒いだ
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両国橋の上には今夜の霜がもう置いたらしく、長い橋板も欄干も暗い
「おめえも強情な子だな。節季師走に両国橋のまん中に突っ立って何をしているんだ。四十七士のかたき討
た。時候は節季師走という十二月の宵、場所は両国橋、相手は若い女、おあつらえの道具は揃っているので、彼は
ないと彼も思った。このあいだの晩、お鉄が両国橋の上をさまよっていたのも、身投げや心中というほどの複雑っ
の男が蕎麦屋の前に立った。そのうしろ姿が彼の両国橋の男によく似ているので、半七もおもわず立ち停まった。案外無駄
思いました。実はこのあいだの晩も剃刀を持って両国橋の上に待っていたのでございます」
して、お鉄は巧みに詞をかまえて、彼を両国橋の上によび出した。彼女は帯のあいだに剃刀を忍ばせて、宵から