半七捕物帳 22 筆屋の娘 / 岡本綺堂
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坂の上には黒門がある。妙義の黒門は上野の輪王寺に次ぐ寺格で、いかなる罪人でもこの黒門の内へかけ込めば法衣の袖に
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、こいつよくよく悪い奴で、なんでも中仙道を行く途中、熊谷の宿屋で男の胴巻をひっさらって姿を隠してしまったんです。捨てられ
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をどうさまよい歩いたのか知りませんが、やっぱり上州の赤城の山のなかに素裸で死んでいたそうです。着物も帯も腰巻も
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半七は庄太を連れて、その次の日に江戸を発った。
上州は江戸よりも秋風が早く立って、山ふところの妙義の町には夜露がしっとりと降り
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それが評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい
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の強い朝の日は蕎麦屋の店さきに干してあるたくさんの蒸籠をあかあかと照らしていた。
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、五日を経て、わたしはこの間の礼ながらに赤坂へたずねてゆくと、老人は縁側に出て金魚鉢の水を替えていた
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「芝口の下駄屋の娘で、兄貴は家の職をしていて、弟は両国の生薬屋に奉公しているそうです」と、源次は説明した。
支度をして、半七はすぐに両国へゆくと、その薬種屋は広小路に近いところにあって、間口も可なりに広い
へも時々遊びに来る。お丸がその与之助に連れられて、両国の観世物などを観に行ったことがあるらしいとの事であった。
口から更にこういう事実を聞き出した。上州屋の女房は両国の薬種屋の媒介でここへ縁付いたもので、その関係上、多年親類同様に附き
物の出所もそれで大抵判ったので、半七は又引っ返して両国へゆくと、宗吉は店さきに水を打っていた。息子らしい男のすがたは帳場に
丸の奴はきのう出たぎりで今朝まで帰らねえそうです。両国の薬屋の伜もやっぱり鉄砲玉だそうですよ」
のであろう。もう打ち捨てては置かれないので、半七は両国へ出張って表向きの詮議をはじめた。与之助の親たちや番頭どもを自身番へ
、手あたり次第に大勢の男にかかり合いを付けていて、両国の薬種屋の息子とも情交があったんです。そのうちに上州屋の息子は東山堂
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筆屋の娘が頓死したんです。御承知の通り、下谷から浅草へつづいている広徳寺前の大通りは、昔からお寺の多い
お話しするのは慶応三年の八月はじめのことで、下谷の広徳寺前の筆屋の娘が頓死したんです。御承知の通り
評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい娘
その明くる朝、半七が朝飯を食って、これからもう一度下谷へ行ってみようかと思っているところへ、源次が汗を拭きながら駈け込ん
で、半七は帷子を着かえて家を出た。彼は下谷へゆく途中、明神下の妹の家をたずねた。
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(例)浅草田圃の太郎様を
の娘が頓死したんです。御承知の通り、下谷から浅草へつづいている広徳寺前の大通りは、昔からお寺の多いところでし
の八月、まだ残暑の強い時分でした。御存知でしょう、浅草田圃の太郎様を……。あのお稲荷様は立花様の下屋敷にあっ
になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい娘の
小僧に別れて、浅草の方角へ足をむけると、半七は往来で源次に出逢った。
そうか。時に丁度いいところで逢った。おめえこれから浅草へ行って、庄太にも手を貸してもらって、上州屋にいる奉公人
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それから二、三軒用達しをして、半七は神田の家へ帰った。近所の銭湯で汗を流して来て、これから
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。この坂の上には黒門がある。妙義の黒門は上野の輪王寺に次ぐ寺格で、いかなる罪人でもこの黒門の内へかけ込めば