半七捕物帳 64 廻り灯籠 / 岡本綺堂
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になって、京都無宿の藤吉に介抱されながら、ひとまず王子の門蔵の家へころげ込むと、その晩から踏み抜きの傷がひどく痛み出した
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「大木戸の方はどうなりました」
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のは、ここらに遊んでいる本助という奴が早稲田の下馬地蔵の前を通りかかると、摺れ違った男がある。むこうは顔を
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高田馬場から四つ家町、板橋、練馬、三河嶋を逃げまわって、松戸の宿まで行ったときに、金蔵が召捕られて先ず安心ということになり
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酒と女の道楽からとうとう無宿者になってしまって、江戸の隅々をころげ廻っているうちに、人殺しこそしませんが、大抵の悪い
上だが、いざお縄にかかるという時には、江戸で一、二といういい顔の御用聞きの手に渡る筈だ。こんな駈け出し
抜けをした以上は我が身が大事だ。いつまでも江戸にうかうかしちゃあいられめえ。きっと草鞋を穿いたろうと思うから、まあ当分は
、金蔵はこんなことを云っていたそうです。おれは江戸に恨みのある奴があるから、そいつに意趣返しをした上でなけりゃあ
科人の仕返しを恐れて、女と一緒に逃げ隠れるとは、江戸の御用聞きの面汚しであると、頭から叱ってしまえばそれ迄であるが
のである。こんにちと違って、その頃の高田あたりは江戸の田舎であるから、半七の名も知らず、顔も識らない。その半七
見て、その方へ手をまわして詮議する。金蔵は江戸の奴だから江戸に隠れているだろうと思って詮議するのが普通で、
へ手をまわして詮議する。金蔵は江戸の奴だから江戸に隠れているだろうと思って詮議するのが普通で、誰も彼も金蔵
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云うのです。惣吉と松之助だけがひと組になって、本郷から板橋の方向へ行ったのだそうで……。旦那方もずいぶん厳重に
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甚の株を譲り受けていると云うだけのことですから、八丁堀の旦那衆のあいだにも信用が薄い。親の代から出入りの子分は相当
「困る事をさせるじゃあねえか。そんなことが八丁堀の旦那衆に知れてみろ。三甚は株を摺ってしまうぜ。子分たち
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半七を縛ったのは、ここらを縄張りにしている戸塚の市蔵の子分らであった。神田と戸塚と距れていても
甚五郎を預かっていたのであるが、きのうの夕方、戸塚の市蔵の子分が来て、牢抜けの金蔵が此の頃ここらに立ち廻っ
「わたくしは穴八幡からすぐに戸塚の市蔵のところへ行って、植新へ立ち廻った奴は金蔵に相違ない
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そのなかで藤吉、兼吉、松之助は入墨者です。地方は京都と二本松だけで、そのほかは江戸近在の者でしたが、たった一人、
逃げた奴はみんな無宿者で、京都無宿の藤吉、二本松無宿の惣吉、丹後村無宿の兼吉、川下村無宿の
が出来ない。ほかの者とは分かれわかれになって、京都無宿の藤吉に介抱されながら、ひとまず王子の門蔵の家へころげ込むと
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(例)日本橋伝馬町
夜の五ツ(午後八時)少し前の出来事で、日本橋伝馬町の牢内で科人同士が喧嘩をはじめて、大きい声で呶鳴るやら、殴り合い
一人、チャキチャキの江戸っ子がある。本石町無宿の金蔵、これは日本橋の本石町生まれで、牢屋とは眼と鼻のあいだで産湯を使った奴
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その仕返しに来られては大変であると思って、ひとまず品川辺の友人のところへ身を隠したが、忽ち煙草銭にも困るよう
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「実は、高田馬場の近所へ……」と、お力は答えた。「白井屋という
こう思って、半七はその翌日、高田馬場へ出向いた。きょうは朝から晴れて暑くなったが、ここらに多い
「こんなぼんくら野郎を叱ってみても追っ付かねえ。まあ、高田馬場の狐につままれたと思って料簡しておくんなせえ」
が金蔵らしく思われるのです。なにしろ小ひと月のあいだに、高田馬場から四つ家町、板橋、練馬、三河嶋を逃げまわって、松戸の宿まで行っ
藤吉は高田馬場まで三甚を追って行ったが、そこでわたくしに出逢ったので、
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用達しに廻って、七ツ(午後四時)頃に神田の家へ帰ると、やがて善八が来て、牢抜けが又ひとり挙げられ
「わたしは神田三河町の半七という者だ」
にしている戸塚の市蔵の子分らであった。神田と戸塚と距れていても、古参の子分ならば半七の顔
あとを追い廻してばかりもいられませんから、もう思い切って神田へ帰りましたが、あとで聞くと、いや、どうも大変で……
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惣吉と松之助も板橋の寺をあらして召捕られ、藤吉も千住の寺で押さえられる。これも何かの因縁でしょう。
、わたくし共も手をわけて探索していると、藤吉は千住の深光寺へ押込みにはいりました。寺の納所たちが銅鑼をたたいて
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ないので、半七は怱々にここを出た。それから京橋へ用達しに廻って、七ツ(午後四時)頃に神田の家