籠釣瓶 / 岡本綺堂
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つ(午後二時)を少し過ぎた頃であった。雷門の前まで来ると、次郎左衛門を乗せた駕籠屋の先棒が草鞋の緒を踏み切った
、行くまいか」と、彼は立ち停まって思案した。雷門はもう眼の前に立っていた。
「私はこのあいだ雷門でお目にかかってから、ゆうべまで続けて八橋の所へまいりました」
ないで、この頃はなるたけ逃げようとしている。現に達者で雷門を歩いていながら、病気だといって廓へは寄り付かない。そんな不人情な
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も溜まらずに打ち落されて、胴は階子に倒れかかった。兵庫に結った首は斜に飛んで、つづいて登ろうとする浮橋の足もとに転げ落ち
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は治六とほかに二、三人の子分を連れて江戸見物に出た。この佐野屋に宿を取って、彼はその頃の旅人が
するように、花の吉原の夜桜を観に行った。江戸めずらしいこのひと群れは誰也行燈の灯かげをさまよって、浮かれ烏の塒をたずねた
江戸のよし原のいわゆる花魁なるものが、野州在の女ばかりを見馴れていた
売って、あらん限りの金をふところに押し込んで、再び江戸見物にのぼった。ことしも治六が供をして出た。
ねえ」と、治六は投げ出すように言った。「去年江戸から帰ってすっかり堅気になって辛抱しなさるようだったから、まあいい塩梅だ
も千両ほどの金をもっている。それを元手に江戸で何か商売でも始めるつもりだから、この後もまあよろしく願いますよ」
したように言った。「それだけの元手がありゃあ、江戸でどんな商売でもできますよ。千両はさておいて、百両あっても
、両手を膝に置いてじっと考えていた。師走の江戸の町には、まだ往来の足音が絶えなかった。今夜の霜の強いの
つもりであった。もう再び故郷の佐野へは帰らない。江戸に根を据えてしまう覚悟であるから、さすがに一夜を争うにも及ばない
親類に頼んで故郷を立ち退くよりほかはなかった。彼は江戸へ出て、何か生きてゆく方法を考えなければならなかった。彼は
のに、どうして今夜は寝ねえんだね。もう江戸へへえったから、ゆっくりと手足が伸ばせる筈だが……」と、治六
「佐野の家をぶっ潰して唯ぼんやり江戸へ出て来たじゃあ、吉原へ面を出しても幅が利くめえから、
ていると言うかも知れねえが、もし、旦那さま。江戸へ出るまではなんにも言うめえと思って、道中でも口を結んでい
「江戸が懐かしいので又のぼりました」と、次郎左衛門は笑った。八橋に変ること
は徳川家に祟るという奇怪な伝説があるので、江戸の侍は村正を不祥の刀として忌むことになっているが、他国
の書置きであった。それと知って、彼がおどろいて江戸へ引っ返したのは、次郎左衛門が入牢ののちであった。彼は主人の行く末
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浅草寺の五つ(午後八時)の鐘を聴いてから、次郎左衛門は暇を告げ
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先月は霜枯れで廓も寂しかったのは、この大音寺まえを通る駕籠の灯のかずでも知られた。いよいよ今が花の三
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「千両……。古河に水絶えずだね」と、亭主は感心したように言った。「
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いられないようになった。妹のお光と二人で下谷の大音寺前に小さい家を借りて、小鼓指南という看板をかけて
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さんは注意した。お光は橋場の寮を出て深川へ行った。
代籤でそれが当ったというので、お光は深川までその金を受取りの使いにやらされた。昼間だから大丈夫だろうが、
はしばらくそこに待たされた。二十両の金をうけ取って深川を出たのはもう七つ(午後四時)さがりで、陰った日
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には多分変ったこともあるまいと言った。自分は浅草観音へ参詣した帰りで、これから堀田原の知りびとのところを訪ねようと
浅草寺の五つ(午後八時)の鐘を聴いてから、次郎左衛門は暇
で、お光は泣きながら欄干を離れた。そうして浅草の方へとぼとぼと歩き出したが、馬道の角まで来てまた立ち停まった
ようにだんだんに明るくなった。幾羽の鳩の群れが浅草の五重の塔から飛び立つのが手に取るようにあざやかに見えた。眼の下
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人が親切に言ってくれた。町人といっても、人形町の三河屋という大きい金物問屋で、そこのお内儀さんがとかく病身のために
お光の主人の寮には人形町の本宅から付いて来ているお兼という年増の女中があって、
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次郎左衛門の終りはあらためて説くまでもない。彼は千住で死罪におこなわれた。八橋ばかりでなく、ほかにも大勢の人を